緋色の夢 4
「儀式、だと?」
ドルローチェが放った言葉に、グロスは眉を顰める。
それに対し彼女はくすくすと愛らしく笑えば、屋根の上からふわりと軽やかに地面に降り立った。
グロスは抱き締めていたレキを離し、自らの後ろに立たせて守るような態勢をとった。
すると、少女の後ろから見覚えのある月色の髪の人物が近づいてくる。
その者をレキも目視出来たのか、背後から息をのむ音が聞こえてきた。
「…成る程な。首謀者はお前か。」
ずっとレキとキアを心配していた金の髪と瞳を持つ人物が、薄く笑いを浮かべて目の前に現れる。
いつもの優しげな面影はなく、ドルローチェと同じく愉悦に満ちた表情をしていた。
「なん…で、カーライドさんが…?」
信じられないと首を弱く左右に振り、レキは小さくそう呟いた。
それに対し金色の青年はクツクツと喉で笑って、レキに視線を合わせる。
「私がこんな事をする筈がないと言いたそうな表情ですね。」
「…だって、貴方は俺達兄妹とも、ここの皆とも仲がよかったじゃないですか!
「確かに、良い関係を築かせて頂いていましたね。…非常に不本意ではありましたが。」
両の目が細められ、丁寧な表現からでも分かる程の棘を、彼は言の葉に込めて吐き捨てた。
徐々に陰りつつある明るさでも分かるくらいに、その瞳の輝きは刃物のように鋭く、冷たい。
もしかしたらあの少女に操られているのではないかと、姿を現した時から少しだけ期待を抱いていた、が。
これも全て彼の意志なのだと察して、哀しみからレキは顔をぐしゃりと歪ませた。
「皆…貴方を信じていたのに…!!」
悲痛な表情で訴えるレキを見て、カーライドは優しく微笑む。
その微笑みはよく見慣れた、自分達や村の皆に向けていた、笑顔。
「信じていた?信頼など、勝手に押し付ける自己満足の為のエゴでしょう。私はここの誰一人、信頼した覚えはない。」
いつもの顔で、いつもの声の調子で、彼は淡々と告げた。
しかし貴方は別だと、一言だけ付け加えて。
「私には貴方だけ居ればいい。……いや、“貴女”以外は必要ないのです。」
綺麗過ぎる程の微笑みを浮かべつつ、足元にあったロウドの足を右足の靴底で踏みつける。
するとその部分は淡い光を放ち、彼の靴を覆うように輝き始めた。
嫌な予感がして思わずやめてくれと大きく叫んだ瞬間、硬い筈の頭はまるで風船のように弾け飛んだ。
辺りに血液や脳漿、砕かれた骨の破片が汚らしく撒き散らされる。
声が音にもならない程の強さで、レキは絶叫した。
身内を目の前で殺され、更に亡骸すら冒涜したその仕打ちに、心が耐えられなかったのだろう。
落ち着かせようと伸ばされたグロスの手をも乱暴に打ち払い、声帯が壊れるのではないかと思うくらいに、少年は地面に膝を付き頭を抱えて叫び散らした。
青年の行為にグロスも怒りを露にし、憎しみを込めて彼を睨み付ける。
「死者に更なる屈辱を与えるとは…そこまで堕ちたか、ディセンダ=カーライド!!」
そう吼えて腰に携えていた剣を鞘から抜きさり、彼に対して武器を構えた。
カーライドは不快な表情で眉に皺を寄せて、指をぱちりと鳴らす。
すると後ろで待機していた少女が瞬時に踏み込み銀糸で腕を落とそうと攻撃をしかけるが、剣で巻き取るようにして相手の攻撃を防ぐと、即座に呪文を唱え剣に冷気を与えて糸を凍らせた。
舌打ちして糸を離しひらりと身を翻し、ドルローチェは青年から距離をとる。
(…なるほどな)
月色の青年は、そんな二人の戦闘を冷静に分析していた。
彼女は戦闘においては非常に優秀ではあるが、どちらかといえば奇襲向き、正攻法では闇色の青年には技術的な点で劣るだろう。
このままでは彼から少年を引き剥がすのは難しい。
それならばいっそ少年をこちらに誘導すればいいと、カーライドは次の手を考えた。
ぱちり、と再び指を鳴らす。
すると背後から大きな泡のような球体が現れて、その中には一人の人間が入っていることが目視できた。
「さぁ…出番ですよ。」
もう一度ぱちりと指を鳴らせば、その球体は一瞬にして割れ、人間の体がどさりと地面に落とされる。
その物音に少し落ち着きを取り戻し始めたレキが顔を上げ、視界の先にある人物の姿を確認した。
「……キ、ア…!?」
そこに倒れていたのは間違いなく妹のキアで、ふらつく体を奮い立たせ覚束無い足取りで彼女の元へと歩む。
彼女を起こそうと抱えるが腹部は真っ赤に染まって血の気が引いた顔色をしており、その無残な姿に絶句したレキは急いで霊術をかけては妹の様子を伺った。
心音は弱々しく奏でているが、意識が戻る気配がない。
「――――ッ!!」
その時、たった一コマだが、何かの映像が頭を掠める。
次第にそれは幾重にも交わり、頭が割れそうな程に痛んで。
「なん、だ、これ…っ、」
ゆっくりと、周りの色彩が反転する。
気付けば見知らぬ建物の中に自分が立っていて、腕の中にいたはずのキアの姿がなかった。
彼女の名前を呼びかけようにも、声も出ない。
一体何なんだと思っていると目の前の扉から一人の女性が姿を現す。
その女性の容貌はどこか、キアに似ていた。
彼女が無言で短剣を取り出し此方に向けて構えるとこの体は勝手に後退り、緊張から鼓動が激しく脈打ち始める。
『……どうして、なの。』
唇が勝手に動くと、女性に疑問を投げ掛けた。
けれど彼女は何も答えず、ゆっくり、ゆっくりと、歩んでくる。
『やめて……キリク…………!!』
懇願虚しく、短剣が目の前で振り上げられた。
ぐっと目を瞑り来るべく衝撃を覚悟して、全身に力を込める――――が、その刃はこの身に降り注ぐことはなかった。
『…………様…、』
小さく漏れた声に、そっと、瞼を開ける。
するとその女性…キリクは、自らの腹部に振り上げていた刃を突き立て、力なく笑っていた。
昔起こった出来事だと、彼は言った。
その言葉に現実味はあった。
しかし、確証は何一つなかった。
それなのに何故、この記憶が存在しているのだろう。
あれは全部、夢だった筈なのに。
どうして、術をかけている手が震えているのだろうか。
「……っ、」
喉の奥が熱い。
まるで胃液が食道をじっくりと登ってくるような、そんな熱さを感じる。
また上手く息が出来なくなってきた。
考えることも、出来ない。
苦しい。
苦しい。
「……は、っ…。」
じくじくと痛む心臓を抑えるように、胸の上からぐっと空いていた左の手のひらで押さえ付ける。
霊術は己の精神状態にも影響する為、こんな状態では術をかけ続けられないと分かっているのに。
体が言うことを、きかない。
「レキ!!」
ドルローチェと未だ交戦中のグロスがこちらに駆け寄ろうと踵を返したが、それを妨害しようとドルローチェが焔の呪文を唱え、彼の頭上に降り注がせる。
その隙に辺りに倒れていた首のない村人の死体を糸で操り肉壁にすると、グロスは舌打ちをしてそれらを避けるように後退した。
「事切れた人間の肉体など、切り捨ててしまえばよろしいのに。お優しいこと。」
傷付けぬように立ち回る彼を嘲笑いながら、少女は自由自在に屍を操る。
徐々に遠く、遠くへと離されている事に気付き、青年に焦りの色が表れて、ディセンダは状況を見計らってレキの元へと歩み寄れば、そっと、背中から抱き締めるように包み込んだ。
少年の体が驚きからびくりと震える。
しかし想定していた抵抗はないと察し、彼の手の中に小さな緋色の宝石を握りこませた。
「…我等が女王よ。皆、貴女の帰還を待ち侘びているのです。」
青年は密やかに耳打ちした後、手渡した宝石に力を注げば、紅く輝き始めたその宝石が次第に少年に異変をもたらし始めて。
その輝きに不穏な空気を感じたグロスは氷の呪で亡者の足を凍らせて足止めを行い、二人の元へと駆け寄ってくる。
すると少年から離れたディセンダが剣を抜き、グロスへと斬り込んできた。
剣と剣が交わる鋭い金属音が響き渡れば、闇色と月色の青年二人は同時に術を唱え、拮抗する力を爆発させると、爆風に巻き込まれぬよう互いに距離をとっては再び走り込み、両の剣が交えられる。
「ディセンダ様!」
その攻防に常に笑みを浮かべていたドルローチェからは一瞬笑みが消え、彼女はすかさず加勢に入ろうと駆けつけるが、ディセンダは来るなと一際大きな声で叫んで。
押し負け始めていた鍔迫り合いを力任せに振り払いバランスを崩したのを見てすかさず追撃すると、グロスは捌ききれなかった刃を左腕に受け、赤い鮮血が辺りに飛び散った。
「ぐ…ッ!」
際どいながらも何とか受け身をとれたが衝撃から剣は遠くに弾かれ、片膝を付いて左腕の傷を手で抑える。
ディセンダは刀身に付いた血液を剣を一振りして落とすと、息を整えながら闇色の青年を睨み付けて、
「我等が悲願、貴様などに邪魔をさせるものか!!」
そう、高々と吼えた。
肌が焼けるような熱さを、感じる。
ゆっくり瞼を開くと、目の前に広がる景色は全て真紅の炎に巻かれ、黒い煙は夕暮れの空を埋め尽くしていて。
頭だけ動かして視界を変えると、すぐ傍らには体を抑えて踞り、苦しそうな表情を浮かべている兄の姿があった。
声をかけようと言葉を発するも上手く音にならず、酸素だけがひゅうひゅうと抜けていくばかりで。
服を掴もうとしても力が入らずに、触れた筈の手のひらは既に触感すら失われていた。
そういえば、こんなにも辺りは炎に包まれているのに、何一つ音が聞こえていない。
―――ああ、そうか。と、キアは己の状態を察した。
(…レキ、)
キアは最後の力を振り絞り、立ち上がろうと体を起こす。
散々血を流したのにも関わらず、腹部からは未だ生命を象徴する液体が流れ出ていて、歯を食いしばり、じくじくと全身に伝わる痛みに耐えて、ゆっくりと立ち上がった。
ぐらりぐらりと視界は歪み、兄の姿が何人にも見えてしまうほど、視覚も正常ではなくなってきたらしい。
それでも両足で土をしっかりと踏み込んで彼の元へ寄り添うように歩み、そっと膝をつくと、苦しむ少年を優しく抱き締める。
大丈夫、大丈夫と、声が出なくてもそう彼に言い聞かせては背中を擦って。
兄の手の中で光っている宝石に自らも触れると、学んだことのない何かの呪文が頭をちらつき、その言葉を静かに唇だけで唱える。
『今度こそ、私が助けてあげるから。』
頭の中に、もう一人の自分がそう囁いた。
今よりももっと大人びてはいたが、自分と瓜二つの女性の姿が脳裏を過る。
泣きながら必死にもう一人の自分の名を呼ぶ緋色の女性の姿も、はっきりとした映像で見えてきた。
(…この人は、確か、)
走馬灯のように、次々と“現在の自分”が知らない思い出が、頭の中を駆け巡るが如く過ぎ去っていく。
その中には兄によく似た女性や、兄を尋ねてきた闇色の男性、そして―――カーライドの姿もあった。