『憧れの人が私を推している件について。』
どうしてこの高校を選んだのですか?
もし志望校についてそう聞かれたのなら、私は真っ先にこう答えるだろう。
――憧れている先輩がいたからです。
もちろん、心の中で。
実際の高校受験のときは、学校の伝統や興味のある部活動について、それらしい理由を並べた。
まさか、
『大好きな先輩と同じ高校に行きたいです!』
などと言えるはずもない。
「菫ー! 今日一緒に帰らない?」
放課後。
鞄をまとめていると、親友の綾ちゃんが声をかけてきた。
「ごめんね、綾ちゃん。今日はその……どうしても寄り道したいところがあって」
「そっかそっかぁ! じゃあ、また今度一緒に帰ろうね!」
「うん、ありがと」
綾ちゃんに手を振り、私は足早に教室を出る。
無事志望校に合格した私は、足取り軽く帰路を急ぐ。
――いや。
正確には、帰路ではない。
目的地は、学校から少し離れた場所にあるキャラクターグッズ専門店だ。
通学路で普段使う道を外れ、学校の最寄り駅を通り過ぎる。
同級生に会わないように、わざわざ遠回りをして。
なぜなら今日は、とあるグッズの発売日だから。
「ふふ……売り切れてませんように……!」
風情ある商店街を抜け、目的の店へ。
店内には、有名なキャラクターのぬいぐるみやキーホルダーなど、たくさんのグッズが所狭しと並んでいる。
見ているだけでも幸せだ。
そして私は店の奥、新商品コーナーへ向かった。
そこに――先客がいた。
見覚えのある後ろ姿。
長身。
学校指定の制服。
そして、少し癖のある黒髪。
まさか。
そんなはずは。
彼が手にしているのは、今日発売されたストラップだった。
白い髪。
青い瞳。
雪の結晶をモチーフにした衣装。
――白雪姫梨。
私が活動しているVTuberのキャラクター。
つまり。
私自身。
「えっ……」
思わず声が漏れた。
その瞬間、彼が振り返る。
「あれ?」
目が合った。
「同じ学校の――菫ちゃん、だよね?」
「……」
コクコク。
私は無言で頷いた。
「やっぱりそうだ」
彼は優しく笑う。
その笑顔を、私はよく知っている。
私の憧れ。
二年生の――。
「天宮先輩……」
「うん」
天宮蓮先輩。
成績優秀。
運動神経抜群。
誰にでも優しくて、困っている人がいれば自然に手を差し伸べる。
女子からの人気も高い。
私がこの高校を志望した理由、そのもの。
そんな憧れの先輩が。
私のグッズを手にしている。
「このことは……学校の人たちには内緒にしてもらえないかな?」
「……」
コクコク。
「実は僕――VTuberの白雪姫梨ちゃんのファンなんだ」
「……」
「推しって意味、わかる?」
コクコク。
「そう。僕、彼女をずっと推してるんだ」
「……そう、ですか」
「うん。今も昔もずっと」
胸が痛い。
なぜだろう。
推してもらえている。
嬉しいはずなのに。
目の前にいるのが憧れの先輩だからなのか、妙に落ち着かない。
「ちなみに菫ちゃんは?」
「え?」
「こういうお店に来るってことは、何か好きなものがあるんじゃない?」
「……」
答えられない。
あなたです。
とは言えない。
「……ひ、秘密です」
「そっか」
先輩は笑った。
「じゃあ、お互い秘密ってことで」
その言葉に、私は小さく頷いた。
――このとき私は、まだ知らなかった。
この秘密が、私たちの距離を大きく変えていくことを。
そして。
先輩が私を推している理由を。
* * *
その夜。
私はいつものように配信を始めた。
「みなさん、こんばんはー! 白雪姫梨です!」
画面の向こうからコメントが流れていく。
『こんばんはー!』
『今日もかわいい!』
『待ってた!』
「今日は視聴者さんからの質問に答えていきたいと思いますっ!」
そして一つ目の質問を読む。
「ペンネーム――白雪一筋さんからです」
コメント欄がざわつく。
『また白雪一筋w』
『常連じゃん』
『今日も来てる?』
「白雪ちゃんには、尊敬する人や憧れている人はいますか?」
「……」
私は一瞬だけ黙った。
憧れている人。
もちろんいる。
今日会ったばかりの――。
「実は、白雪には憧れてる人がいます!」
『おお!』
『好きな人?』
『彼氏!?』
「ち、違いますっ!」
思わず声が裏返る。
『怪しいw』
『絶対好きな人だ』
『誰誰誰!?』
「その人に少しでも近づきたくて、日々努力してます」
私は笑った。
「どんな人かは、想像にお任せしますー!」
『かわしてきたー!』
『気になる!』
『白雪応援!』
「では、今日もご視聴ありがとうございました! また来週お会いしましょう♪」
配信終了。
私は椅子にもたれかかる。
「つ……疲れたぁぁ……」
机に突っ伏す。
すると。
スマートフォンが震えた。
一件のメッセージ。
差出人は――天宮先輩。
『今日の配信、見たよ』
「――っ!?」
私は飛び起きた。
『憧れてる人がいるんだね』
心臓が跳ねる。
『どんな人なの?』
そんなことを聞かれても。
答えられるわけがない。
私はスマホを握りしめ、しばらく悩んだあと返信した。
『秘密です』
数秒後。
『そっか。残念』
そして続けて。
『でも、ちょっと羨ましいな』
私は首を傾げた。
『何がですか?』
『その人』
――その瞬間。
胸が、どくんと鳴った。
* * *
それから、先輩と話す機会が増えた。
学校では以前から優しくしてくれていたけれど、あの日を境に少しだけ距離が近くなった気がする。
「菫ちゃん、今日の数学の課題やった?」
「はい」
「すごい。僕まだなんだ」
「先輩、意外です」
「実は苦手なんだよね」
「嘘ですよね?」
「本当、本当」
そんな他愛のない会話が嬉しかった。
でも。
嬉しい反面、苦しくもなった。
先輩が好きなのは――白雪姫梨。
私ではない。
そう思うたびに、胸がきゅっと締めつけられる。
ある日の昼休み。
「ねえ、菫」
綾ちゃんが私の顔を覗き込んだ。
「最近、なんかいいことあった?」
「え?」
「だって、最近よく笑ってるじゃん」
「そ、そうかな?」
「うん。もしかして好きな人でもできた?」
「ぶっ……!」
飲んでいたお茶でむせる。
「な、なんでそうなるの!?」
「図星?」
「違う!」
……違わない。
でも、言えない。
私の好きな人は。
私ではない誰かを好きなのだから。
* * *
数日後。
放課後の廊下で、私は偶然、先輩と女子生徒が話しているところを見かけた。
「天宮先輩って、白雪姫梨が好きなんですよね?」
「うん」
先輩が答える。
「やっぱり! 私も好きなんです!」
「そうなんだ」
「今度、一緒にイベント行きません?」
「ごめん。それは無理かな」
「どうしてですか?」
「僕、好きな人がいるから」
――え。
胸が大きく鳴った。
好きな人。
先輩に?
いる?
私は思わず物陰に隠れた。
「誰なんですか?」
「それは……秘密」
先輩が笑う。
私はその場から逃げるように走った。
好きな人。
当然、白雪姫梨のことだ。
そうに決まっている。
だって先輩は、私ではなく白雪姫梨を推している。
――なのに。
どうしてこんなに苦しいんだろう。
* * *
その夜。
配信の日だった。
「みなさん、こんばんは……」
いつものように挨拶をする。
けれど、今日はどうしても気持ちが乗らなかった。
コメント欄には、いつものように温かい言葉が並ぶ。
その中に――。
『白雪一筋:今日もかわいい』
その名前を見た瞬間。
胸が痛くなった。
私は、意を決して話す。
「……今日は、ちょっとだけ相談があります」
コメントが流れる。
『どうした?』
『大丈夫?』
「好きな人が、自分じゃない誰かを好きだったら……どうしたらいいと思いますか?」
一瞬。
コメント欄が止まった。
その後、一気に流れ始める。
『告白しちゃえ!』
『諦める必要ない!』
『好きなら伝えるべき!』
私は小さく笑った。
「……そうですよね」
そして。
「でも、私……その人にとって、私はただの『推し』なんです」
言葉にした瞬間、涙が出そうになった。
「だから、好きになってもらえるわけないんです」
コメント欄に、見慣れた名前が流れた。
『白雪一筋:それは違うと思う』
「……え?」
『白雪一筋:推しだから好きなんじゃない』
私は画面を見つめる。
『白雪一筋:その人自身が好きなんだと思う』
胸が高鳴る。
『白雪一筋:だから、ちゃんと伝えてみたらいい』
「……」
そのコメントを最後に、白雪一筋さんはコメントをしなくなった。
私はしばらく黙って。
「……ありがとう」
小さく呟いた。
* * *
翌日。
私は屋上へ向かっていた。
昨日の言葉が頭から離れない。
ちゃんと伝える。
無理でもいい。
このまま好きな気持ちを抱えたままなのは、もっと嫌だった。
屋上の扉を開ける。
そこに。
「……菫ちゃん?」
「先輩……?」
天宮先輩がいた。
「どうしてここに?」
「ちょっと……話したくて」
「僕も」
先輩が真剣な顔をする。
「昨日の配信」
「……!」
「僕、聞いてた」
顔が熱くなる。
「それで……ずっと考えてた」
「何を……?」
「僕が好きな人のこと」
胸が痛い。
やっぱり。
聞きたくない。
そう思ったのに。
「僕が好きなのは、白雪姫梨じゃない」
「……え?」
「もちろん、白雪ちゃんは大好きだよ」
「……」
「でも、それとは別に――」
先輩が一歩近づく。
「僕が好きなのは、菫ちゃんだから」
「…………え?」
頭が真っ白になる。
「……私?」
「うん」
「どうして……?」
先輩は少し照れたように笑った。
「実は僕、小学生の頃から白雪姫梨を知ってるんだ」
「え?」
「まだ配信を始めたばかりの頃から」
私は目を見開く。
「彼女の配信って、すごく一生懸命でさ。明るくて、失敗しても笑って、誰かが落ち込んでると必ず励ましてくれる」
「……」
「僕がつらかった時期に、何度も元気をもらった」
先輩は少しだけ俯いた。
「だから憧れてた」
「……そうだったんですね」
「うん」
そして。
「高校に入って、菫ちゃんと出会った」
心臓が跳ねる。
「優しくて、真面目で、ちょっと天然で……困っている人を見たら放っておけないところとか」
「……」
「笑ったときの顔とか」
顔が熱い。
「話しているうちに、気づいたんだ」
先輩が私を見る。
「――あれ? この子、白雪ちゃんに似てるなって」
「……!」
「まさかと思った」
私は息を呑む。
「そして、あの日。グッズショップで菫ちゃんを見つけて……確信した」
「……」
「でも、すぐに言うことはできなかった」
「どうして?」
「もし僕が『白雪ちゃんの正体って菫ちゃんだよね』なんて言ったら、菫ちゃんが困ると思ったから」
「……先輩」
「だから、ずっと黙ってた」
先輩は少しだけ苦笑する。
「なのに僕、菫ちゃんに好きな人がいるって聞いて……」
「え?」
「正直、焦った」
「……?」
「だから『好きな人がいる』なんて言った」
「それって……」
「菫ちゃんに、僕のことを少しでも意識してほしかったから」
そんな。
そんなの。
「ずるいです……」
涙がこぼれる。
「え?」
「私……ずっと、先輩は白雪姫梨が好きなんだと思ってました」
「うん」
「だから……諦めようとしてたのに」
「……ごめん」
「先輩のことが好きなのに……!」
言ってしまった。
ずっと言えなかった言葉。
「……え?」
先輩が固まる。
「私も、先輩が好きです」
「……」
「ずっと前から」
先輩の顔が、みるみる赤くなる。
「……本当に?」
「はい」
「僕のこと?」
「はい」
「白雪ちゃんじゃなくて?」
「先輩です!」
思わず叫ぶ。
先輩はしばらく呆然としたあと。
「……よかった」
心から嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間。
私も笑ってしまった。
「先輩」
「なに?」
「一つだけ聞いてもいいですか?」
「うん」
「私のこと……いつから好きだったんですか?」
「それは……」
先輩が少し考える。
「菫ちゃんが笑ってるところを見たときかな」
「それ、いつですか?」
「入学式の日」
「そんな前から!?」
「うん」
「じゃあ……私が先輩を好きになったのと、ほとんど同じじゃないですか」
「そうかも」
二人で笑う。
すると先輩が、ふと思い出したように言った。
「あ」
「どうしました?」
「そういえば、僕のペンネーム」
「……白雪一筋さん?」
「うん」
私は目を細める。
「……先輩」
「はい」
「『白雪一筋』って名前、今後どうするんですか?」
「え?」
「もう私と付き合うなら、『白雪一筋』じゃなくなるんじゃ?」
先輩は少し考えて。
「じゃあ――」
にっこり笑った。
「『菫一筋』にしようかな」
「……!」
「どう?」
「……恥ずかしいです」
「じゃあ、僕だけの秘密にする」
「それも恥ずかしいです」
「そっか」
先輩が笑う。
私も笑った。
* * *
その日の夜。
私はいつものように配信を始めた。
「みなさん、こんばんはー! 白雪姫梨です!」
コメント欄が流れる。
『こんばんは!』
『今日もかわいい!』
『待ってた!』
そして。
『白雪一筋:こんばんは』
私は思わず笑った。
「……あ」
コメント欄がざわつく。
『ん?』
『今なんか笑った?』
『何かあった?』
「えへへ。ちょっと嬉しいことがあったんです」
私は画面の向こうに向かって笑う。
「今日は、みなさんに一つだけ報告があります!」
コメントが一気に流れる。
『何!?』
『結婚!?』
『彼氏!?』
「ち、違います!」
慌てて否定してから。
「私、ずっと憧れていた人に――ちゃんと気持ちを伝えることができました」
『おおおお!』
『恋バナ!?』
『誰!?』
「それは秘密です!」
コメント欄が盛り上がる。
その中で。
『白雪一筋:よかったね』
その一言を見て、私は笑った。
「……はい」
少しだけ頬を赤くして。
「とっても幸せです」
配信を終える。
画面が暗くなった。
静かな部屋で、私はスマートフォンを眺める。
すると。
メッセージが届いた。
『今日の配信もかわいかった』
送り主は――天宮先輩。
私はすぐに返信する。
『ありがとうございます。先輩も今日、かっこよかったですよ』
少しして。
『じゃあ、明日学校で会ったら褒めて』
『みんなの前では無理です』
『じゃあ二人きりで』
『……はい』
そして最後に。
『おやすみ、菫ちゃん』
私は画面を見ながら微笑んだ。
『おやすみなさい、蓮先輩』
――私が憧れていた人。
ずっと遠くから見つめていた人。
その人は、実はずっと私を見つめてくれていた。
推しとファン。
そんな関係から始まった私たちだけれど。
これからは。
ただの「推し」と「ファン」じゃない。
隣に並んで。
一緒に笑って。
時々喧嘩して。
それでも、ずっと好きでいられる。
そんな関係になっていく。
だから今日も私は、少しだけ胸を張って言える。
――この高校を選んで、本当によかった。
だって。
私の憧れの人は。
私のことを――誰よりも大切に想ってくれているのだから。




