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『憧れの人が私を推している件について。』

掲載日:2026/09/06

 どうしてこの高校を選んだのですか?


 もし志望校についてそう聞かれたのなら、私は真っ先にこう答えるだろう。


 ――憧れている先輩がいたからです。


 もちろん、心の中で。


 実際の高校受験のときは、学校の伝統や興味のある部活動について、それらしい理由を並べた。


 まさか、


『大好きな先輩と同じ高校に行きたいです!』


 などと言えるはずもない。


「菫ー! 今日一緒に帰らない?」


 放課後。


 鞄をまとめていると、親友の綾ちゃんが声をかけてきた。


「ごめんね、綾ちゃん。今日はその……どうしても寄り道したいところがあって」


「そっかそっかぁ! じゃあ、また今度一緒に帰ろうね!」


「うん、ありがと」


 綾ちゃんに手を振り、私は足早に教室を出る。


 無事志望校に合格した私は、足取り軽く帰路を急ぐ。


 ――いや。


 正確には、帰路ではない。


 目的地は、学校から少し離れた場所にあるキャラクターグッズ専門店だ。


 通学路で普段使う道を外れ、学校の最寄り駅を通り過ぎる。


 同級生に会わないように、わざわざ遠回りをして。


 なぜなら今日は、とあるグッズの発売日だから。


「ふふ……売り切れてませんように……!」


 風情ある商店街を抜け、目的の店へ。


 店内には、有名なキャラクターのぬいぐるみやキーホルダーなど、たくさんのグッズが所狭しと並んでいる。


 見ているだけでも幸せだ。


 そして私は店の奥、新商品コーナーへ向かった。


 そこに――先客がいた。


 見覚えのある後ろ姿。


 長身。


 学校指定の制服。


 そして、少し癖のある黒髪。


 まさか。


 そんなはずは。


 彼が手にしているのは、今日発売されたストラップだった。


 白い髪。


 青い瞳。


 雪の結晶をモチーフにした衣装。


 ――白雪姫梨。


 私が活動しているVTuberのキャラクター。


 つまり。


 私自身。


「えっ……」


 思わず声が漏れた。


 その瞬間、彼が振り返る。


「あれ?」


 目が合った。


「同じ学校の――菫ちゃん、だよね?」


「……」


 コクコク。


 私は無言で頷いた。


「やっぱりそうだ」


 彼は優しく笑う。


 その笑顔を、私はよく知っている。


 私の憧れ。


 二年生の――。


「天宮先輩……」


「うん」


 天宮蓮先輩。


 成績優秀。


 運動神経抜群。


 誰にでも優しくて、困っている人がいれば自然に手を差し伸べる。


 女子からの人気も高い。


 私がこの高校を志望した理由、そのもの。


 そんな憧れの先輩が。


 私のグッズを手にしている。


「このことは……学校の人たちには内緒にしてもらえないかな?」


「……」


 コクコク。


「実は僕――VTuberの白雪姫梨ちゃんのファンなんだ」


「……」


「推しって意味、わかる?」


 コクコク。


「そう。僕、彼女をずっと推してるんだ」


「……そう、ですか」


「うん。今も昔もずっと」


 胸が痛い。


 なぜだろう。


 推してもらえている。


 嬉しいはずなのに。


 目の前にいるのが憧れの先輩だからなのか、妙に落ち着かない。


「ちなみに菫ちゃんは?」


「え?」


「こういうお店に来るってことは、何か好きなものがあるんじゃない?」


「……」


 答えられない。


 あなたです。


 とは言えない。


「……ひ、秘密です」


「そっか」


 先輩は笑った。


「じゃあ、お互い秘密ってことで」


 その言葉に、私は小さく頷いた。


 ――このとき私は、まだ知らなかった。


 この秘密が、私たちの距離を大きく変えていくことを。


 そして。


 先輩が私を推している理由を。


* * *


 その夜。


 私はいつものように配信を始めた。


「みなさん、こんばんはー! 白雪姫梨です!」


 画面の向こうからコメントが流れていく。


『こんばんはー!』


『今日もかわいい!』


『待ってた!』


「今日は視聴者さんからの質問に答えていきたいと思いますっ!」


 そして一つ目の質問を読む。


「ペンネーム――白雪一筋さんからです」


 コメント欄がざわつく。


『また白雪一筋w』


『常連じゃん』


『今日も来てる?』


「白雪ちゃんには、尊敬する人や憧れている人はいますか?」


「……」


 私は一瞬だけ黙った。


 憧れている人。


 もちろんいる。


 今日会ったばかりの――。


「実は、白雪には憧れてる人がいます!」


『おお!』


『好きな人?』


『彼氏!?』


「ち、違いますっ!」


 思わず声が裏返る。


『怪しいw』


『絶対好きな人だ』


『誰誰誰!?』


「その人に少しでも近づきたくて、日々努力してます」


 私は笑った。


「どんな人かは、想像にお任せしますー!」


『かわしてきたー!』


『気になる!』


『白雪応援!』


「では、今日もご視聴ありがとうございました! また来週お会いしましょう♪」


 配信終了。


 私は椅子にもたれかかる。


「つ……疲れたぁぁ……」


 机に突っ伏す。


 すると。


 スマートフォンが震えた。


 一件のメッセージ。


 差出人は――天宮先輩。


『今日の配信、見たよ』


「――っ!?」


 私は飛び起きた。


『憧れてる人がいるんだね』


 心臓が跳ねる。


『どんな人なの?』


 そんなことを聞かれても。


 答えられるわけがない。


 私はスマホを握りしめ、しばらく悩んだあと返信した。


『秘密です』


 数秒後。


『そっか。残念』


 そして続けて。


『でも、ちょっと羨ましいな』


 私は首を傾げた。


『何がですか?』


『その人』


 ――その瞬間。


 胸が、どくんと鳴った。


* * *


 それから、先輩と話す機会が増えた。


 学校では以前から優しくしてくれていたけれど、あの日を境に少しだけ距離が近くなった気がする。


「菫ちゃん、今日の数学の課題やった?」


「はい」


「すごい。僕まだなんだ」


「先輩、意外です」


「実は苦手なんだよね」


「嘘ですよね?」


「本当、本当」


 そんな他愛のない会話が嬉しかった。


 でも。


 嬉しい反面、苦しくもなった。


 先輩が好きなのは――白雪姫梨。


 私ではない。


 そう思うたびに、胸がきゅっと締めつけられる。


 ある日の昼休み。


「ねえ、菫」


 綾ちゃんが私の顔を覗き込んだ。


「最近、なんかいいことあった?」


「え?」


「だって、最近よく笑ってるじゃん」


「そ、そうかな?」


「うん。もしかして好きな人でもできた?」


「ぶっ……!」


 飲んでいたお茶でむせる。


「な、なんでそうなるの!?」


「図星?」


「違う!」


 ……違わない。


 でも、言えない。


 私の好きな人は。


 私ではない誰かを好きなのだから。


* * *


 数日後。


 放課後の廊下で、私は偶然、先輩と女子生徒が話しているところを見かけた。


「天宮先輩って、白雪姫梨が好きなんですよね?」


「うん」


 先輩が答える。


「やっぱり! 私も好きなんです!」


「そうなんだ」


「今度、一緒にイベント行きません?」


「ごめん。それは無理かな」


「どうしてですか?」


「僕、好きな人がいるから」


 ――え。


 胸が大きく鳴った。


 好きな人。


 先輩に?


 いる?


 私は思わず物陰に隠れた。


「誰なんですか?」


「それは……秘密」


 先輩が笑う。


 私はその場から逃げるように走った。


 好きな人。


 当然、白雪姫梨のことだ。


 そうに決まっている。


 だって先輩は、私ではなく白雪姫梨を推している。


 ――なのに。


 どうしてこんなに苦しいんだろう。


* * *


 その夜。


 配信の日だった。


「みなさん、こんばんは……」


 いつものように挨拶をする。


 けれど、今日はどうしても気持ちが乗らなかった。


 コメント欄には、いつものように温かい言葉が並ぶ。


 その中に――。


『白雪一筋:今日もかわいい』


 その名前を見た瞬間。


 胸が痛くなった。


 私は、意を決して話す。


「……今日は、ちょっとだけ相談があります」


 コメントが流れる。


『どうした?』


『大丈夫?』


「好きな人が、自分じゃない誰かを好きだったら……どうしたらいいと思いますか?」


 一瞬。


 コメント欄が止まった。


 その後、一気に流れ始める。


『告白しちゃえ!』


『諦める必要ない!』


『好きなら伝えるべき!』


 私は小さく笑った。


「……そうですよね」


 そして。


「でも、私……その人にとって、私はただの『推し』なんです」


 言葉にした瞬間、涙が出そうになった。


「だから、好きになってもらえるわけないんです」


 コメント欄に、見慣れた名前が流れた。


『白雪一筋:それは違うと思う』


「……え?」


『白雪一筋:推しだから好きなんじゃない』


 私は画面を見つめる。


『白雪一筋:その人自身が好きなんだと思う』


 胸が高鳴る。


『白雪一筋:だから、ちゃんと伝えてみたらいい』


「……」


 そのコメントを最後に、白雪一筋さんはコメントをしなくなった。


 私はしばらく黙って。


「……ありがとう」


 小さく呟いた。


* * *


 翌日。


 私は屋上へ向かっていた。


 昨日の言葉が頭から離れない。


 ちゃんと伝える。


 無理でもいい。


 このまま好きな気持ちを抱えたままなのは、もっと嫌だった。


 屋上の扉を開ける。


 そこに。


「……菫ちゃん?」


「先輩……?」


 天宮先輩がいた。


「どうしてここに?」


「ちょっと……話したくて」


「僕も」


 先輩が真剣な顔をする。


「昨日の配信」


「……!」


「僕、聞いてた」


 顔が熱くなる。


「それで……ずっと考えてた」


「何を……?」


「僕が好きな人のこと」


 胸が痛い。


 やっぱり。


 聞きたくない。


 そう思ったのに。


「僕が好きなのは、白雪姫梨じゃない」


「……え?」


「もちろん、白雪ちゃんは大好きだよ」


「……」


「でも、それとは別に――」


 先輩が一歩近づく。


「僕が好きなのは、菫ちゃんだから」


「…………え?」


 頭が真っ白になる。


「……私?」


「うん」


「どうして……?」


 先輩は少し照れたように笑った。


「実は僕、小学生の頃から白雪姫梨を知ってるんだ」


「え?」


「まだ配信を始めたばかりの頃から」


 私は目を見開く。


「彼女の配信って、すごく一生懸命でさ。明るくて、失敗しても笑って、誰かが落ち込んでると必ず励ましてくれる」


「……」


「僕がつらかった時期に、何度も元気をもらった」


 先輩は少しだけ俯いた。


「だから憧れてた」


「……そうだったんですね」


「うん」


 そして。


「高校に入って、菫ちゃんと出会った」


 心臓が跳ねる。


「優しくて、真面目で、ちょっと天然で……困っている人を見たら放っておけないところとか」


「……」


「笑ったときの顔とか」


 顔が熱い。


「話しているうちに、気づいたんだ」


 先輩が私を見る。


「――あれ? この子、白雪ちゃんに似てるなって」


「……!」


「まさかと思った」


 私は息を呑む。


「そして、あの日。グッズショップで菫ちゃんを見つけて……確信した」


「……」


「でも、すぐに言うことはできなかった」


「どうして?」


「もし僕が『白雪ちゃんの正体って菫ちゃんだよね』なんて言ったら、菫ちゃんが困ると思ったから」


「……先輩」


「だから、ずっと黙ってた」


 先輩は少しだけ苦笑する。


「なのに僕、菫ちゃんに好きな人がいるって聞いて……」


「え?」


「正直、焦った」


「……?」


「だから『好きな人がいる』なんて言った」


「それって……」


「菫ちゃんに、僕のことを少しでも意識してほしかったから」


 そんな。


 そんなの。


「ずるいです……」


 涙がこぼれる。


「え?」


「私……ずっと、先輩は白雪姫梨が好きなんだと思ってました」


「うん」


「だから……諦めようとしてたのに」


「……ごめん」


「先輩のことが好きなのに……!」


 言ってしまった。


 ずっと言えなかった言葉。


「……え?」


 先輩が固まる。


「私も、先輩が好きです」


「……」


「ずっと前から」


 先輩の顔が、みるみる赤くなる。


「……本当に?」


「はい」


「僕のこと?」


「はい」


「白雪ちゃんじゃなくて?」


「先輩です!」


 思わず叫ぶ。


 先輩はしばらく呆然としたあと。


「……よかった」


 心から嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見た瞬間。


 私も笑ってしまった。


「先輩」


「なに?」


「一つだけ聞いてもいいですか?」


「うん」


「私のこと……いつから好きだったんですか?」


「それは……」


 先輩が少し考える。


「菫ちゃんが笑ってるところを見たときかな」


「それ、いつですか?」


「入学式の日」


「そんな前から!?」


「うん」


「じゃあ……私が先輩を好きになったのと、ほとんど同じじゃないですか」


「そうかも」


 二人で笑う。


 すると先輩が、ふと思い出したように言った。


「あ」


「どうしました?」


「そういえば、僕のペンネーム」


「……白雪一筋さん?」


「うん」


 私は目を細める。


「……先輩」


「はい」


「『白雪一筋』って名前、今後どうするんですか?」


「え?」


「もう私と付き合うなら、『白雪一筋』じゃなくなるんじゃ?」


 先輩は少し考えて。


「じゃあ――」


 にっこり笑った。


「『菫一筋』にしようかな」


「……!」


「どう?」


「……恥ずかしいです」


「じゃあ、僕だけの秘密にする」


「それも恥ずかしいです」


「そっか」


 先輩が笑う。


 私も笑った。


* * *


 その日の夜。


 私はいつものように配信を始めた。


「みなさん、こんばんはー! 白雪姫梨です!」


 コメント欄が流れる。


『こんばんは!』


『今日もかわいい!』


『待ってた!』


 そして。


『白雪一筋:こんばんは』


 私は思わず笑った。


「……あ」


 コメント欄がざわつく。


『ん?』


『今なんか笑った?』


『何かあった?』


「えへへ。ちょっと嬉しいことがあったんです」


 私は画面の向こうに向かって笑う。


「今日は、みなさんに一つだけ報告があります!」


 コメントが一気に流れる。


『何!?』


『結婚!?』


『彼氏!?』


「ち、違います!」


 慌てて否定してから。


「私、ずっと憧れていた人に――ちゃんと気持ちを伝えることができました」


『おおおお!』


『恋バナ!?』


『誰!?』


「それは秘密です!」


 コメント欄が盛り上がる。


 その中で。


『白雪一筋:よかったね』


 その一言を見て、私は笑った。


「……はい」


 少しだけ頬を赤くして。


「とっても幸せです」


 配信を終える。


 画面が暗くなった。


 静かな部屋で、私はスマートフォンを眺める。


 すると。


 メッセージが届いた。


『今日の配信もかわいかった』


 送り主は――天宮先輩。


 私はすぐに返信する。


『ありがとうございます。先輩も今日、かっこよかったですよ』


 少しして。


『じゃあ、明日学校で会ったら褒めて』


『みんなの前では無理です』


『じゃあ二人きりで』


『……はい』


 そして最後に。


『おやすみ、菫ちゃん』


 私は画面を見ながら微笑んだ。


『おやすみなさい、蓮先輩』


 ――私が憧れていた人。


 ずっと遠くから見つめていた人。


 その人は、実はずっと私を見つめてくれていた。


 推しとファン。


 そんな関係から始まった私たちだけれど。


 これからは。


 ただの「推し」と「ファン」じゃない。


 隣に並んで。


 一緒に笑って。


 時々喧嘩して。


 それでも、ずっと好きでいられる。


 そんな関係になっていく。


 だから今日も私は、少しだけ胸を張って言える。


 ――この高校を選んで、本当によかった。


 だって。


 私の憧れの人は。


 私のことを――誰よりも大切に想ってくれているのだから。


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