天使のインターン
「おめでとうございます!」
突然、現れた人物にそう言われた。その人は白いゆったりとしたワンピースのような服を着て、頭上には淡く光る輪が浮いている。背中からはこれまた白い羽が生えていて、どこからどう見ても、絵に描いたような天使だった。何かのコスプレか?
「コスプレではありません! 正真正銘の天使です!」
「はあ?」
訳が分からない。兎に角、不審過ぎる。こんな夜中に。無視するのが一番だ。俺が踵を返そうとすると、その天使は慌てて袖を引っ張ってきた。
「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ。貴方は選ばれたんですよ?」
「選ばれた?」
「はい! 天界インターンシップの研修生に、です!」
何だそれは。
「天界インターンシップというのはですね、天寿を全うした後、天使として働いてくださりそうな方を選んで研修を受けていただくというものです。貴方には天使としての適性がありそうでしたので調べたところ、見事に審査を通過した、というわけです」
「いやいやいや、勝手にそんなこと言われても困るんですけど」
「でも、規則なんです。断ることは出来ません!」
「強引過ぎないか」
「そういうものなんです。神様がお決めになられたことなので」
きらきらとした瞳で見つめてくる天使。本当に訳が分からないが、従うしかないらしい。
物凄い力で袖を掴まれているからだ。
「納得していただけたようで良かったです」
「いや、納得はしてない」
「兎に角! 貴方には一ヶ月間、天使としてお仕事体験をしていただきます。ああ、天使の姿になるには羽を着けるんですが、その間は他の人間には姿が見えなくなりますのでご安心を」
「一ヶ月も拘束されるのは無理なんですけど」
「そちらもご心配なく。普段のお仕事を終えた後に数時間体験していただくだけですので」
「はあ……」
何だかもう、どうでも良くなってきた。ええい、なるようになれ。
「分かりました。もう離してくれませんか。逃げませんから」
「それなら……」
天使がやっと袖から手を外した。
「ところで、俺のどういうところが天使に向いていると判断されたんです?」
「ああ、それは……。貴方、道路で干からびそうになっているミミズを見つけると、木蔭の土の上に避難させてあげているでしょう。あれが評価されたんです」
「……」
喜んで良いのやら。俺はただ気の毒に思ってそうしているだけなのに。
「まあ、他にも理由はありますが、そんなところですね。さて、そろそろ研修を始めましょうか」
「えっ、もう?」
「善は急げです!」
何とも強引な天使である。やれやれ、従うしかないか。
「それで、どうすれば良いんです?」
「まずは、これを着けてもらいます」
そう言って、天使は大きな白い羽を一組取り出した。一体どこにそんな物を持っていたんだ。
「じゃ、背中失礼しますねぇ」
「え、ちょっと」
止める間もなく、背中に羽が装着された。軽い。着けている感覚があまりない。
「これで良し!」
満足そうに天使が笑う。
「さて、これで貴方は他の人間には見えなくなりました。持ち物も見えなくなるので、不審がられることはありませんよ」
そう言われても実感がない。自分には見えているままなのだから。
「それでは、研修を開始します。まずは、キューピット体験です!」
なんじゃそりゃ。
「貴方にはこれからキューピットになっていただいて、カップルをくっつけていただきます。まずはインパクトのある仕事からやっていただく方がやる気が出るでしょう?」
そう言うや否や、天使はまたどこからか弓と、鏃の代わりに赤いハートの付いた矢を取り出した。
「これから、すぐそこの公園で会社員の男性と女性が話をします。お互い気になっているようなんですが、進展がなくて。二人のうち、どちらかにこの矢を当ててください」
「ええ……」
そんないきなり。矢なんて放ったことないぞ。
「大丈夫です。何本かありますし、或る程度は矢も標的目掛けて飛んで行く仕様になってますから」
「そうですか……」
そうこうしているうちに、対象と思われる男女が道を歩いてくるのが見えた。
「シチュエーションも大事なので、公園に入ってから矢を引いてくださいね」
言われた通りにする。矢を構え、引き絞る。やがてその男女が公園に入り、向かい合った。
今だ。
ギリギリと音を立てる弦。思い切り引いてそして放った。
ひゅう、と音を立てて飛んで行く矢。そして、見事に男性に当たった。
「お見事!」
天使が嬉しそうに言う。
討たれた男性は一瞬びくっとしたが、すぐに情熱的な言葉で女性に語り掛け始めた。相手の女性も満更でもなさそうである。
「上手くいきましたね! 後はあの二人に任せて大丈夫です」
「これだけで良いんですか?」
「ええ。我々の仕事は、切欠を作る事ですから。それにしても……」
天使の目が再び輝く。
「一発で当ててしまうなんて! やっぱり貴方には素質がありますよ! いやあ、良い人材が見つかって良かったぁ……。最近は天界も人手不足で。採用に力を入れているんですよぉ」
「はあ、そうですか……」
人の運命を左右してしまうなんて、何だか恐れ多い。複雑な気持ちで天使を見つめた。
「今日は、とりあえずこれまでです。また明日お迎えに来ますね。ああ、羽は外しておきます」
そう言って、私の背に手を伸ばし、羽を回収した。
「明日は、ちょっと地味ですけど、鳩のお世話をしてみましょう。可愛いですよ。……では!」
そう言って、天使は夜空へと飛び立った。
俺は一人、道に残された。明日もこんな不思議なことが起こるのか……。
何とも言えない、けれども、ちょっと嫌じゃない。不思議な気持ちで帰路についた。
明くる日の夜。あの天使が再びやって来た。
「こんばんはぁ!」
「うわ、やっぱり来た!」
「そりゃ来ますよぉ」
そう言って、すぐに俺に羽を着け始める。
「じゃ、今日は天界に行って、鳩の世話をします!」
「て、天界?」
「ひとっ飛びですよ。……それ!」
手を引かれて、星空へと飛び出した。吃驚してバタバタ暴れる俺を抑え込んで、天使は何でもないように飛んで行く。月明かりに向かうと、すぐに一際明るい雲が見えて来た。
「あそこが天界です」
あっと言う間だった。俺たちはふわりと雲の上に降り立つ。落っこちないのが不思議でならない。
「じゃあ、鳩の所に行きましょう」
手を引かれたまま、鳩小屋へ連れて行かれた。
小屋には何十羽もの白い鳩が居た。
「それでは、小屋の掃除からです。デッキブラシで床を擦って、水で流してください。それから餌をやる。それだけです」
天使の言う通りに、手順を踏んで行った。鳩たちは大人しく、時々、珍し気に俺を見て、ポッポーと鳴くだけだった。
「大分良い感じですね。飲み込みが早い」
今日も嬉しそうに天使が言う。褒められれば、まあ、悪い気はしない。
「じゃあ、お疲れ様でした。明日は、月桂樹の世話を教えますね」
「分かりました」
気が付いたら、このインターンシップを受け入れていた。非日常も悪くない。
「家まで送りますよ。しっかり捕まっていてくださいね」
天使に手を取られ、また空に飛び立つ。風が心地よい。
すぐに家の前に辿り着く。昨日と同様に羽を回収されて、天使と別れた。
それから、俺は毎晩のように天使と会い、天界の仕事体験をしていった。キューピットや鳩や月桂樹といった如何にも天使、といった物事から、書類整理といった現実世界にもあるような仕事もあった。
だが、どれも面白かった。普段、上司に潰され、客にクレームを言われ、擦り減っていた心では感じられなかった仕事の楽しさを思い出させられた。
そして、一ヶ月が経った満月の夜。
いつものように天使がやって来て、言った。
「お疲れ様でした。これでインターンシップは終了です」
「え、もう?」
「はい。期間は一ヶ月と決まっていますから。貴方は本当に適性がありますよ。どうか、天にやって来る時には天使を志望してくださいね。我々は待っていますから」
「そうですか……」
「あと、このインターンシップの記憶は、今日で消えます。天に召された時、思い出すまで」
「えっ……」
「大丈夫。思い出は消えるのではなくて、奥底に仕舞い込まれるんですよ。それはきっと、これからの貴方の糧になります。……それでは!」
それだけ言うと、天使は飛び立った。満月の方へ向かって。
そしてその姿が見えなくなった時……。
「あれ、俺、何してたんだっけ」
きょろきょろと辺りを見回すと、家の玄関の前だった。
仕事から何時の間にか帰って来たらしい。はっきりと思い出せないが、誰かと一緒にいた気がするのだが。
「まあ、いいか」
俺は玄関のドアを開けて、我が家へと入ろうとした。
すると、足元に羽が一枚、落ちているのが目に入った。
「何だこれ。見たことある気がするけどな……」




