危ない身体
頭目の狭い視野に、黒い衣装に肌を隠したフードの男が、ジリジリと蛇のように近づく。身体には仲間の返り血が付いて、鉄の匂いが周りを充満していた。
頭目は覚悟を決め、腰にある護身用のナイフを黒装束の男に突き立てる。(先との戦いでご自慢の武器は既にボロボロ)
「黒蛇の下っ端が、調子に乗るな! 」
その怒号と共に頭目は激しくナイフを振り回し、攻撃をする──しかしその行動が命中する事は無い。まるで空中を舞っている葉を切りつけているように華麗に捌かれる。
頭に血が昇り、擦りもしない無駄のある猛攻が終わりを迎えると、息を切らした吐息が口から漏れる。だがそれを視認する間も無く、黄泉の冷気が背後に佇んだ。
背筋が凍る悪寒を感じた時、『俺の負けだ』と言わんばかりに、頭目は膝を付いてナイフを捨てる。
その行為は絶望的な状況に平伏した姿勢だったが、決して自分の人生を手放した訳ではない。
冷たい五本の指が密着し、鋭利のある爪が頭目の首筋に触れ、蜜蜂の針の如く撃ち込まれる刹那、辺りの空気が螺旋のように向きを変え頭目の腕に集約する。
集まった空気は余すことなく筋肉質な腕に吸引され、豪腕だった腕を更に逞しく肥大化させた。そして血管を浮き彫りにしプシューゥと云う蒸気を周囲にただ寄せた。
……『刈り取るは息吹き・薙ぎ払うは灯火』(頭目は擦り切れた声で呟いた)
「 本当はお前らのリーダーに浴びせるはずだった技だ!【スキル】『霧消の盗腕』 」
虚を突くように頭目が右腕を大きく振ると、大気が腕と共鳴して上空に昇り、周りの草木は全て薙ぎ払われる。
──よっしゃぁああぁあ
そう狂喜に満ちた声が森に響き、頭目は手応えのある腕を痙攣させながら『決まった…』と心に休息と安寧を与えた。
しかし勝利を確信し陶酔したのも束の間、消し飛ばした筈の敵は、依然変わりなく不動の姿勢で立っていた。
自分の渾身の一撃を打ったにも関わらず、無傷で立っている目の前の人間。その姿に頭目は戦慄を覚え、顔はサァーと血の気を失い青ざめる。
だがその感覚に浸る間も無く、ジワジワと盛夏のような熱さが頭目の胸を襲う。
その違和感を探るように、視線を胸郭に向けると自分の捨てたナイフが心の臓にグサッと叩き込まれていた。
── 何が起きたのか
一閃の如く速い事象に脳は会釈する事を放棄し、身体は死を待つだけの肉塊に成り果てたが、鼓動が止まる間際に儚い一つの記憶を蘇らせた。(きっと本能的に痛みを和らげようとしたのだろう)
それは洪水のように押し寄せ、頭目の脳内に再臨し、死んでいった仲間達の楽しい思い出だけを最期まで写し出す。
悠々自適な記憶の断片は、熱を持たない身体に不釣り合いで不恰好な温かい感情を湧き上がらせ、心臓の歩を…少し…また少しと徐々に遅らせた。
そして遂に進むことを諦め、生命活動を終わらせた肉体は、冷たい地面と抱き合うように倒れ込む。
「遺産は返して貰うよ、 全ては『堕とされた者』の為に… 」
マスクの男はそう一言発すると、瞬時に姿を消した。
一方、そんな事を知る由も無いリッチは感情を昂らせウキウキしながら、リベルの学院の前に立っていた。
──思ったより早く着いたな
【リーベル魔法学院】何百年も前から存在する、歴史ある学院。(門の前には巨大な石像が建っている)
王都には及ばないが前途有望な金の卵達が、十人十色に自由な服を着こなし、威風堂々と登校していた。
だがそんな綺麗で未来ある情景とは裏腹に、リベルの服は泥を被ったように古く汚れている。皆んな集団で行動しているのに、この子だけは一人。
その心細い姿は、魔法一筋で周囲と馴染めなかった自身の過去を鮮明に思い出させる。
──どうやら教えるのは魔法だけではないようだな
そう心の中で息巻いていると、遠方から大人の女性が豊満な身体を揺らし、風を切って疾走してくる。
「 リベル〜!またあの森に行っていたの?心配したんだから〜」
甘美な声色が雰囲気を暖かくさせると、長い髪のせいか……香水の匂いが此方にまで届いた。
ボディーラインが解るほど肌に密着した肩出しのシャツに、長く黒いスカート。
一見、清楚に観える服装だが、良く目を凝らすと胸元の隙間から美しい肌艶と縦割れの谷間が顔を覗かせている。そして細いウエストの先は、急カーブを描くように官能的で大きな桃を腰の上から浮上させていた。
そんな美貌に年甲斐もなく頬を赤らめ、目を逸らしていると、時機を窺った新しい息吹きが突如吹き荒れる。
さぁ〜と微風のように過ぎ去ると思えたそれは女性の長いスカートをふんわり捲り上げ、刺激的なキャンパスを魅せた。
太ももを覆い隠す紫色の布が肌に透明感を残して張り付き、その生地を持ち上げるようにヘソから手を伸ばしている漆黒の細いベルトが露見する。
そんな優艶な光景の連続を機敏に捉えると、耐性の無い未熟な思考回路は停滞し、身体は唖然と立ち尽くしていた。
………当たり前だ(魔法一筋のおじさんには刺激が強すぎる)
しかし豊満な女性は、その下品で色欲な心持ちを悟る事の無く、出会い頭に自分の胸部をリベルに押し付け、着ぐるみに抱きつくよう強く抱擁している。
繊細な女の子は少し悶絶し、息苦しそうに膨れっ面を見せていたが不快な様子では無かった。
──しばらくすると女性はリッチに気付き髪を整え、尋ねる。
「 失礼しました。私はリーベル魔法学院の校長 シャルバと申します。貴方は一体? 」
その問いに対し、再びリベルの時と同様に『稀代の魔法使い〜』と陽気で手前味噌な挨拶を繰り広げる。
するとリベルとは違い、真正面の気品ある女性は優雅な笑顔で微笑む。だがそれが気遣いによる偽りの感情であることはすぐに分かった。
─無理して笑っているせいか……口角は微妙に引き攣り、目が虚になっている。
肯定でも否定でもない暗黙の気配りに対し、体の内側をチクチクと刺してくる些細な痛みが滲みたが、冷淡な表情を持ち出されるよりはまだ良い…そう楽観的になるしかなかった。
───そうして自己紹介を済ませ、リベルと会った経緯を説明するとシャルバは頭を下げ感謝こそ魅せたが、少しだけ難解な顔を覗かせる。
「 救ってくれた事は感謝します……しかし見ず知らずの人をリベルの弟子にする訳にはいきません。一つ条件があります 」
……成程(条件を聞く間もなく、すぐに内容を把握した)
魔法使いの間で信頼を得る方法は一つ、それは一対一で手合わせをする事。
度肝を抜く巡り合わせではあったが、既にシャルバの魔力は観測している。魔力量は可もなく不可もなく、特筆すべき箇所は無い。
しかし魔力の質は一級品、ここまで練り上げるのに一体どれだけの技量を費やしたのか…シャルバの資質を冷静に分析し、学院長の名が伊達では無い事を改めて実感した。
─こうしてリッチと校長は魔技場に向かい、お互いに向かい合う。
客席の最前列にはリベルが座り、多くの生徒が好奇心だけで試合を観に来ていた。
知らない老人と学院最強の美貌─いやシャルバとの対決を展望しない者は居ないだろう。
シャルバは杖を所持していないが、舌に紋様が浮かび膨大な魔力を孕んでいる…おそらく原理は当方のサークルと同質、己の舌を杖として利用しているのだろう。(舌で有れば隠す事も造作ない)
思想と発想が全く異なる新しい舞台は、知らず識らずの内に深層心理を虜にし、シャルバに向ける視線を若者の眼光のように輝かせ、細胞一つ一つを活気づけた。
──ブゥオォーォォー!
法螺貝のような遠吠えが会場に吹くと、興奮により躍動していた意識がビクッと姿勢を正し、目の前の試合に神経を傾けさせる。
「 老人だからと言って加減はしませんよ『天竜の喉笛は・悠久の大地を・奈落に堕とす』オリジナル魔法〜【竜星の囁き】 」
曇天がその声を受け入れた時、上空の雲は純白の光を創造し、一つの光線に形を変える。
『美しい』…その一言に尽きる光景だったが、そう想えたのは最初だけ。
綺麗な色彩は脅威の殺傷能力を内包し、荒ぶる水流の如く、荒々しくも一直線に突進してきた。
まるで竜の咆哮のように周囲を蹴散らす猛攻はドゥーンと云う重低音と轟撃を同時に発生させる。その天からの贈り物に大地は揺れ、誰もがシャルバの勝ちを確信した。
──だがその時、リッチが静かに発する。
「『蝕む力を集結し・天に仇出す』オリジナル魔法〜【漆喰い】 」
半透明の厚い空気の障壁が、一筋の光線の前に出現した。
それは透き通るぐらい非力で虚弱に映る壁だったが、会心の一撃とも言える叫び声をブラックホールのように吸収し抑えている。
そして瞬きする間もなく、その光は闇に喰われた星屑のように塵と化した。
絶対不可避に見えた技を防ぎ、観客の生徒がザワザワと驚愕している一方、相手の女性は眉間にシワを寄せていた。(彼女にとっては特別な技だったのだろう)
シャルバが繰り出したオリジナル魔法とは、名前の通り自分で考案し作成した魔法。一から魔法を創作するのは簡単ではない
一を二にするのは容易だが、ゼロを一にするには才能の上に努力と時間が不可欠であり、それを持ってしても実現出来る者は極小数。(その誠意に此方も応えなければ…)
───『過ぎる刃は・自戒の一太刀』
その詠唱が年季の入った唇から飛ばされた時、空気は氷のように張り詰めた。
「 これは…避ける事を勧める、オリジナル魔法〜【天咲刃】」
その攻撃は天を穿つ勢いで進み、電光石火のような速さで標的の前に現れる。
シャルバは防御するべく、光の障壁を何重にも重ねて出したが、まるで紙を切るように最も簡単に打ち破られてしまう。
額に汗を我慢強く流しながら、残りの障壁に僅かな魔力を上乗せし奮闘を試るが、その努力は無慈悲にも実らず、桜色の刃が生命線である最期の障壁を他愛もなく打ち砕いた。
そして鼻先まで斬撃が近づき死を覚悟した瞬間、その攻撃は軌道を曲げて天高く上昇し、雲を真っ二つに切り裂く。
すると晴天の青空が姿を見せ、太陽の光が眩しく照らされると、斬撃は役目を終えた花弁のように消失した。
神秘的な出来事に観客は唖然とし、静寂な空気が場内に流れたが、一つの言霊によって事態は急変する。
────キャッ!
凄まじい風圧が原因で、シャルバは尻もちを着き、吐息混じりな叫び声を喉から発生させる。
その拍子に、スカートはヒラヒラと幕を上げ、赤色の下着が土煙を掻い潜って、観ている全員を釘付けにした。
緋色の妖艶な下着に、それを身に纏っているムチッとした美しく逞しい太もも…そして湧き上がる歓声と熱狂。
その状況を一番近くで目撃した時、試合中にも関わらず顔は紅潮し始め、向き合った身体は無意識に背中を見せる。(後にも先にも、こんな姿を見せるのはこれが最後だろう)
シャルバはその隙に素早く体勢を戻し、土に汚れた長いスカートを振り払った。
「 完敗ですね、認めましょう。リッチさん、 いやリッチ様 」
シャルバは紅色に頬を染めながら、熱い視線で此方を見つめる。
まるで獲物を見つけたライオンのような雰囲気と目つきに、先程までの恥じらいは恐怖に置き換えられ、小粒の冷や汗を乾燥した皮膚に染み渡らせた。
いくら老人と云えど、魔法の効果で肉体年齢と感受性だけは若返りを見せている──即ち学院の生徒と殆ど変わらない。
迫ってくる獣にブルブルと身震していると、天が味方をしたのか。
ピィーー!と試合終了の合図が会場に届き、ホッという溜息と共に一命を取り留めた。




