絶対者
──部屋の隙間には土汚れが残留し、本は悠久の時間を過ごしたように大量の埃を被りながら粗末に散らかっている。
一呼吸すれば咳が止まらないであろう部屋の中で長い白髭を垂らしながら、枯れた声をボソボソと薄暗い一室に反響させた。
バチ、バチ…バチ…バチ
連動するように肌に電流が走る。
一歩間違えれば土に帰るほどの痛み、その体験は短いようで長かったが、この先の成果に比べれば安く耐えれる刺激だった。
そして肌に刺さるような痛みが止み、瞼を開けると心臓以外にもう一つ大事な何が身体の奥にある。
「完成…したのか? 」
その声は嬉しさのあまり震え、辿々しい。長年の宿願が叶った歴史的瞬間に、今までの軌跡が鮮明に頭を通過する。
──幼少期の頃、身体が脆弱過ぎた故に外出は愚か立つことすら叶わなかった。(唯一の思い出は外で遊んでいる子供を、儚い目で窓際から覗き見るだけ)
だが父親が自室に置いて行った一冊の古い魔導書を境に、その脆弱な肉体と変わり映えのしない寝たきりの人生は、息を吹き返した。
何の変哲もない紙切れを捲って直感的に内容を理解した瞬間、冷え切った身体に熱が周り、濁っていた景色は星空のように色褪せる。
そして魔力を身に宿し自由に動ける四肢が手に入ると、狭かった視野は地平線のように広がり、魔法への執着心と好奇心が途切れる事は無かった。
本来であれば十七歳で卒業する魔法学院を十三歳という若さで卒業し、三十歳で【賢者】の称号を獲得。
研鑽に研鑽を重ね五十歳になる頃、世界に魔法を広めた功績が讃えられ【英傑】として本に記された……まるで神が作ったレールを歩いているように苦悩のない人生。
しかし努力が身を結び、魔法の時代が到来するのを待ち侘びるだけとなった頃、事態は想いもよらない方向に進んだ。
鍛冶屋が世界に跋扈し、魔法よりも剣のブームが先に時代を彩り、若者の目を釘付けにしたのだ。しかも剣は魔法より単純。
魔法は依代となる杖を持たなければ効果を発揮出来ないのに対し、剣は握る手と頑丈な筋肉さえ有れば使用可能。
また魔法を駆使する杖の材料には、魔力を帯びた特殊な鉱石が必要であり、使用者の資質が無ければ只の棒切れとなってしまう為、剣を選ぶ者が増加した。
中でも魔王を打ち破ったソードマスターの影響は凄まじく、産まれてくる子供は全員剣を握り、魔法が世に浸透する事は結局無かった。だがそんな世界でも異分子のように人知れず魔法と向き合い続け、残り僅かな寿命を全て費やしてきた。
そして百歳の歳月を迎えた今宵、一刻前に誕生した血肉を巡るこの力は、ひたすら走り続けていた幸福の無い余生を、ダイヤモンドの原石に仕立て上げた。
──その名もサークル
言うなれば体内の回路。本来であれば杖の中にある筈の〈魔術回路〉を体内に再現し自分自身が杖になる事。
その傑作は、道具に依存する事なく魔法を発動できる利便性をもたらし、世界で重宝される新たな時代を築くと容易に想像させるものだった。
「コレがあれば… 世界の魔法を覆すことが出来るぞ!! 」
歓喜に満ち溢れた心情は、枯れたはずの声色に再び火蓋を付け、活気のある渋い声を轟かせた。
サークルはその枠に留まらず研鑽すればする程、使用できる魔法も変わる。
現在のサークルは七サークルと言った所。(一〜三は一般人レベル、四〜五は高位魔法師、六〜七は人外の領域)
サークルは序章に過ぎない……真の目的は未だ世界が到達してない【十サークル】に行くこと。
人体に魔法を付与し、肉体の老化を微量に遅らせていた卑しい行為は、今日を以て別れを告げるだろう。
時間を回帰することは、宇宙の法則を捻じ曲げる行為………だが裁く者は何処にもいない。
腕を天高く伸ばし背筋を伸ばしながら、大きく息を吸う。その動作はルールを破る幼気な子供のように無邪気であったが、大人気ない愉悦な笑みを浮かべていた。
「『天命に逆らうは不遜・ 崇敬を持って・時流を招聘する』その名は…エル・ダビデ・リッチ! 」
ドクン……………ドクン………ドクン…ドクン..ドクン..ドクン..ドクン..ド..ド..ド!
低温な掛け声は鼓動を速くし、ガリガリで枯れた老体を光合成した植物のように潤わせる。
…しかし顔は以前と変化無く、弛んだ肉を残し老人の面影は消えていない。髪はモジャモジャとした白髪を強調し、年の功を彷彿とさせていた。
唯一変化したところと言えば、以前より髪の輝きが増し、白銀になっているようだった。
その光景は時間を逆行させる偉業の難しさを物語り、改めて自身の脳に警鐘を鳴らした。
──七サークルでも未だ足りないのか…
姿見には筋繊維だけが若返りを見せる、老人の顔には似合わない肉付きの良い体が反射する。
その肉体を見て少し落胆したが、その不完全に見える現象が逆に魔法への渇望を掻き立てた。
──今は無理でも、サークルを成長させれば解決できるかもしれない…
そうしてサークルの成長を胸に熱意を燃やしていたリッチだったが、その意気込みを一蹴するように衝撃的な出来事が身の回りで起きる。(ガタ......ガタ...ガタ.ガタ.ガタ.ガタ.ガタ.ガタ.ガタ!)
「一体! この揺れは?! 」
紙屑だらけの古臭い部屋が大きく揺れ、天井から砂利が降ってくる。
揺れに気を取られていると、あたりが光に包まれ彗星のような速さで景色が変わる。
その場所は真っ白く何も無い。まるで生きてる心地がしないぐらい幻影のように生命反応の無い空間。
しかし決して幻の類いでは無い、膨大な魔力量と智力が無ければ不可能な芸当。
──これは…正真正銘『現実』だ…
そう未知の現象に興奮していると、目の前に白い人間の形をした謎の物体が現れる。
顔には雲霧が立ち込め表情は見えない、白い空間に白い物体。
その間違い探しの様な鬱陶しい風景に少し鬱憤を溜めたが、すぐ冷静になり目の前の現象を深掘りする。
だが分析するまでもなく長年の魔法使いとしての直感が働き、目の前の正体が人智を超えた者と判断出来た。
──間違いない
目の前に居るのは...【神】だ。そう確信し警戒していると、それを読み取ったように【神】が頭の中で喋り出す。
「ここに来た甲斐ありだな、稀代の魔法使い…ヒル・ダビデ・リッチよ 」
白いモノは当人しか知り得ないであろう情報を最も簡単に呼んだ。
──何故、本名を知っているんだ…
その疑問の所為で頭の中は混乱したが、すぐ整理出来た。きっと神の前では、どんな隠し事も全て無意味なのだろう。
人間で言うと糞をした後にケツをティッシュで拭くぐらい、神にとっては当たり前で当然の事象だった。
そんな存在が直々に来るとは、世界の規律を歪めた罰として殺しに来たのか──いやそうで有ればすぐに息の根を止められている筈。
「 そう身構えるな、君には絶対者になってもらいたいんだ。そうだなぁ…まずは世界の成り立ちについて話そう 」
─まだ世界が存在してない頃、【設計者】と呼ばれる神が居た。
神とは人物や物体では無く概念そのもの、こうなりたいという全宇宙の意思。
神が世界を作ったのは気まぐれか、それとも意図的なのかどうかは知る由もない。
だが世界を作ったのは神でも、人間を作ったのは神ではない。
人間を作ったのは─その星の意思
全宇宙の意思である神は、良い物も悪い物も際限なく創り上げてしまう。
神は負のエネルギーを善悪の区別なく星に混ぜては創り出し、【魔王】や【厄災】と呼ばれる特異点を数多の世界に遺してしまった。
そのエラーを排除・対処するべく、神は自ら自分の分身を生み出した。
それが目の前に立っている擬神と呼ばれる存在。
しかし擬神は神に近い生き物だが─神ではない。
強大すぎる力を持つが故に直接世界に介入することは叶わず、彼等の世界では厳しい制約が設けられ縛られている。
そのため擬神達は、自分達の代わりとしてエラーに対抗できる存在を作り上げた。
それが勇者や偉人として語り継がれる人物の正体である。
──神モドキは淡々と世界の全てを語った。
世界の秘密に高揚しながら耳を傾けていたが、一つの懸念点が頭の片隅を横切る。
もし勇者が人為的に作られていたなら、今までの充実した人生は全て機械的な物だったのか──そう心中での疑惑に不安を感じ、呼吸が少し荒くなる。
「安心しなよ、君はイレギュラーだ。だから君を絶対者に任命しようとわざわざ【他の連中】を無視して来たんだよ 」
全てを見透かしたような解答の前に、安堵と苛立ちが身体に広がった。
己の人生に疑いの目をかけ、少しでも安心を覚えた浅い心情に恥を覚えたのだろう。それは醜態を晒した肉体に喝を入れるよう、無意識の内に行われ鋭い痛みを発生させた。
気付けば人差し指と親指の長い爪が太ももに移動し、強い力で皮膚をつねっている。
──痛ッ
心の中で漏れた叫びは幸か不幸か、意識をハッキリ取り戻させると、突き出されたソレをすぐ脳に送り、真剣に熟考させた。
神モドキの言う【提案】とは、おそらく神と擬神の関係に近いものなのだろう。
陳腐なネーミングだが、凄まじい力と権力を持っていることは間違いない。
直接、それも神に似た存在が出向いて提案する程の話なのだから。
目の前の宝箱に手を伸ばせば十サークルに到達し、悲願を叶えることはきっと針に糸を通す事より簡単で安いものになる。
──しかしそれに意味は無い
欲しいのは称号では無く、ひたすら魔法の高みを目指せる身体と探求心だけ。
だからこそ十サークルと言う魔法の頂点でり、最高峰である領域に恋焦がれていた。
「絶対者にならないならそれでも良い、でも君は既に人間の枠を外れた存在。この世界に留めてはおけない、一度だけ世界のエラーを治して欲しい。 そしたら君に合った世界を見繕う 」
出された提案に対し、少し異端的な考えを巡らせたせいか…神モドキは間髪入れず頭の中で話した。
何か目論んでいるようだったが敵意は無い。
神モドキの言うことが事実であれば、今は従う他ないのだろう。
むしろ断ろうとすれば、目の前の物体は躊躇なく此方を潰してくる。
表情が理解出来ずとも、その気迫だけは身体の細胞が感じ取り、目の前の存在に畏怖を覚えさせた。
──だがコレでは終わらせない
十サークルに到達すればこの状況は変革する。
自分に阻害魔法をかけ神に悟られぬよう、リッチは画策した。
そして新たな越えるべき目標を眼前にして、興奮気味に心臓をバクバクしながら神の提案に承諾する。
「もう少し喋りたいけど、そんな暇は無い。もうすぐで【ヤツら】が介入してくる、(自分で撒いた種は自分で後始末をつけないとね…) 」
【ヤツら】という荒唐無稽な遺言を残し、行方を眩まそうとしている神モドキの姿形は、何処か焦っているようにも見えた。
それに根本的な解決するべきエラーの内容は、最後まで伏せられ謎に包まれたまま。
しかしその疑念を長考する猶予も無く、瞬時に空間は歪み出し、見知らぬ景色が辺りを囲む。
──ズゥーン!
鈍い音が招いた場所は、洞窟のようにジメジメとした空気が漂いぴちゃぴちゃと水滴を垂らしている。
そして前方に光が差し込み、出口が有るのを確認すると、吸い込まれるように足が躍動し新しい世界に身を投じた。
目の前の景色は以前の世界と全く同じ、青い空に白い雲、眩しい日差し。
しかし空間に充満している魔素量は明らかに違った。(魔素量とは魔法を使役するときに発生する物質、要するに魔法が発展していることを意味する)
『目前に広がる環境は十サークルに足を踏み入れる事を歓迎し、催促しているに違いない』──そう錯覚するぐらい無限の可能性と神話性を帯びていた。
そうして新しい門出に心を躍らせ草木を乗り越えると、深い森の向こうから魔法の詠唱が聞こえる。
「『雷鳴よ・彼方を貫け』雷冥 」
魔法の詠唱が森に響く。




