~9~
オードリックが王都の邸宅に着いたのは昼過ぎだった。
本来ならすでに辺境地へ向かって出立している予定だったが、仕方がない。
自分は馬で駆けるが、諸々の支度品は後から使用人が馬車で運ぶ手はずになっている。それらの準備に少しばかり時間を取られ、結局は夕方近くになってしまった。
これではすぐに宿で泊まることになってしまう。それならばと、出立は明日の朝に変更し、今夜はもう一晩王都で過ごすことにした。
それが、心から後悔することになるとも知らずに。
王都にいてもすることのないオードリックは、晩飯までの間裏庭で剣の鍛錬をしていた。一汗かいたところに使用人が声をかけてきた。
「旦那様、客人でございます」
「客? 誰だ?」
「キャリスタン伯爵と、そのご子息とご令嬢ですが」
「キャ……、なぜ?」
ああ、なぜこんなところで剣をふるっていたのかと、本当に後悔をした。さっさと出ればよかったと。
「もう、いないと……」
「だ、旦那様の馬があると、ご子息様が……」
ああ、なんてこった。あの息子は無駄に気の付く、意外に出来る男だったのかと認めざるを得ない。どうしたものかと、試案しても良い答えが思いつかない。
死に戻る前、コーネリアは邸宅に足を踏み入れたことはない。しかも伯爵すらも接点などなかったのに。どうしてこんなことに……と。
しかし来てしまったものは仕方がない。追い返すわけにもいかず、腹をくくり会うことにした。
お礼を言いたいだけなのだろうから、それを聞いたらすぐに帰ってもらおう。
お茶の一杯くらいは出すのも貴族のたしなみだろう。そうだ、お茶一杯飲むくらいの時間を付き合えばいいのだ。
などと、鍛錬の汗を拭きつつ執事に出された服に着替えながら、そんなことを考えていたのだった。
そして向かうは応接室。王都のこの邸宅に長居をしたことがないので、主でありながらオードリック自身、初めて応接室に入った。
室内は必要最低限の装飾品しかない殺風け……、小ざっぱりとした内装で、家具に関しては亡き母が吟味したのであろう、重厚感のある品の良い物で揃えられていた。これならば客人を招いても問題ないレベルには整っている。
「お待たせしました」
オードリックが顔を見せると、キャリスタン家の一同はソファーから立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お忙しい中お時間をいただきまして、誠にありがとうございます。娘のコーネリアが直にお礼を申したいと、連れてまいりました」
「ジョルダーノ辺境伯爵様、この度は危険なところをお助けいただき、心より感謝しております。本当にありがとうございました」
腰をほぼ直角にまげて頭を下げるコーネリアを見て、何とも愛らしいと密かに心の中で思う。そして、彼女の長い髪が床につくのではないかと気が気ではなかった。
「ご令嬢、どうか頭をあげてください。私は騎士として、人として当然のことをしたまでです。魔獣討伐に慣れたこの目と耳が、たまたま他の人間よりも敏感だっただけのこと。礼にはおよびません、もうお気になさらずに」
「そ、そんなわけには……」
ぽつりとつぶやくその声すらも可憐でずっと聞いていたい。そういえば、死に戻る前は会話らしい会話もしたことがなかったと、そんなことを彼女からも言われたなと思い返していた。
オードリックは周りの目を盗みつつ、コーネリアを見つめる。この想いを知られてはならないと、それは必死に隠し続ける。
時刻は夕刻。
オードリックが目の前のカップを空にすると、それを合図だと思ったのか執事がよく通る声で皆に向かって口を開く。
「ご主人様。もうこのような時間でございます……」
おぉ!さすが我が執事、よくわかっていると思ったのも束の間、
「皆様方を晩餐にお招きしてはいかがでございましょう?」
おい!! 何を言っているんだ、それでもお前はこのジョルダーノ家の執事か? と、叱り飛ばしたくなるのをグッと堪える。客人の前だ、しかもコーネリアが目の間にいるのだ。
「いえいえ、それは申し訳がありません。我々も後先考えずに突然押しかけてしまい、このような時間までお邪魔するなど。これ以上、長居をするつもりはございません。そろそろお暇させていただきます」
「そうですか? それは残念だ。道中、気をつけてお帰りください」
やっと帰ると安心し、顔がほころびかけた時だった。
「ジョルダーノ辺境伯爵様。もしよろしければ、ぜひ我が家の晩餐にお招きしたいのですが。いかがでしょう?」
オードリックは目の端が引きつるのを感じた。それは無理だ。絶対に無理だ、と。
「せっかくのお招き、お気持ちだけいただいておきましょう。私も辺境の地を守る身ゆえ、長いこと領地を開ける訳にはいかないのですよ。本来なら今日には出立の予定でした。ですから、明日にはこの王都を……」
「それは、それは、ありがたきお誘いでございますね、旦那様。領地も精鋭ぞろいの騎士がおりますれば、一日くらい主の到着が遅れようともビクともいたしません。
そうでございますよね? オードリック様」
せっかく上手く断ろうと思っていたオードリックの背後から、執事が何を思ったかいらぬ返事をしてくれた。
「そうでございますか。さすがジョルダーノ家でございますね。辺境伯爵様の普段の指導の賜物なのでございましょう。それでこそ、我々も安心して過ごせるというものです。全ては辺境伯爵様のお陰でございます」
満面の笑みを浮かべて答えるキャリスタン伯爵。その横では子息も満面の笑みを浮かべている。コーネリアと言えば、はにかむように薄っすらと笑みを浮かべ俯いているではないか。『ああ、可愛らしい』と思う気持ちを抑えることなど、出来るはずが無い。
「よろしいですね? 旦那様、旦那様?
「あ? ああ、そうだな」
「まことでございますか? それは嬉しゅうございます。では明日、お待ちしております」
キャリスタン伯爵たちは喜びながら帰って行った。
コーネリアも嬉しそうに、はにかみながら父と兄に挟まれるように馬車に乗り込んでいった。そして、最後には窓から笑みを浮かべ会釈までしてくれたのだ。
これはどういったことだ? 幸せなんだが、と思っていたら執事が話しかけて来る。
「旦那様、よろしゅうございました。では、明日の準備をば……」
「明日? 明日なにかあるのか? 明日には領地へ戻るが」
当然のごとく口にした言葉を聞き、執事や使用人は驚いた顔で見つめて来る。
なんだ? どうした?
「明日はキャリスタン伯爵家の晩餐をお受けになったではありませんか? 覚えておられないのですか?」
「晩餐に? この俺が、何故?」
「先ほど旦那様は、ああ、そうだなとお答えになられましたが?」
あ? あれか? あれがそうだったのか? うわーーーー!! そんなつもりじゃなかったのに、どうすればいいんだーーーー!?