~6~
あの悪夢のような夜を境に、オードリックはもう一度この世界で生きることを許された。しかも、愛しいコーネリアと出会う前に。
過去の自分が何を仕出かし、彼女をどれほどまでに苦しめたのかをよく理解できたオードリックは、もう二度とコーネリアに近づかないことを心に誓う。
年に一度の建国記念の祝賀会には、子供を除く貴族家の全員が出席を余儀なくされる。この日をなんとか乗り切れば、コーネリアとの接点はほぼ皆無になるはずだった。
あとは毎年なんとか避け続け、そのうち彼女が相応しい人の手を取れば良い。そうすれば自分は過去のように国の為に命を捧げ、朽ちていくだけだから。
「なんとか避けなければ」
オードリックは過去の夜会を思い出し、彼女が何をしていたのかを思い返していた。
日中の式典には令嬢は参加しない。問題は王家主催の夜会である。
この日を社交界デビューに選ぶ貴族令嬢は多い。実際過去のオーネリアもそうだった。初々しい姿で友人たちと談笑している様子に目を、心を奪われたのだから。
会場にはわざと少し遅れて入場した。名前を呼ばれ、視線を浴びるのはどうしても避けたいから。そして壁の花にでもなるべく、できるだけ隅に、動かず大人しくしていた。
念のため視線をさ迷わせコーネリアを捜すと、はるか遠くに友人たちといる姿が見えた。大丈夫、これなら接点など出来るはずはない。良かったと、胸を撫でおろしていたところ、古い仲間の友人達に声をかけられ、シガールームへと誘われるのだった。
あそこなら令嬢が近づくことは無いだろうと、オードリックは喜んでついて行った。
男だけの部屋で語られることは、年齢に関係なく不謹慎で不躾な話題ばかり。
だが、そんなことを楽しく思うのも男特有の面白さ。そしてそんな訳の分からない話の中にも情報は転がっているものだ。
昨年あたりから、デビュタントを迎えたばかりの初心で何も知らない令嬢を辱める、不届きな輩が出ているらしい。なんでも高位貴族の令息達で、下位貴族の令嬢をあえて狙っているらしい。身分の上の者に対し異を唱えることなど出来ない貴族社会において、下位の者達は見て見ないふりをし、泣き寝入りをするしかない。
とんだ奴らがいたものだと、早く国もお縄にすれば良いものをと考えながら話を聞いていた。
しばし談笑をした後で、そろそろ帰ろうかと考えていた彼は、熱気にあてられた身体を沈めるべくベランダに足を踏み入れた。
先客もいる中で、彼は自分の容姿を気にしながら一番外れの位置を陣取った。
爵位を継いでから、数えるほどしか訪れたことのない王宮ではあるが、端正に手入れされた庭は美しく、この夜会のために多くの灯りが灯されている。そんな幻想的な光景は、心の荒くれだったオードリックのような者にも美しく見えた。
婚約者なのか、恋人なのか、そこかしこで手を取り並び歩く姿を見かける度に、過去を振り返る。死に戻る前の時間の中で、一度としてコーネリアの手を取り歩いた記憶が無かった。彼女を囲い、自分の手の中に入れることに執着をし、その後の事も彼女の気持ちも全く考えてもいなかった男は、深いため息を吐く。
「一度くらい、してみれば良かったか?」
オードリックはあり得ないことだと、頭を横に振った。
楽団の音色が漏れ聞こえるベランダにあって、どこからか険しい声が聞こえてきた。
周りを見ても、他の者達の様子は変わらない。わずかに聞こえる声は、戦の喧騒に慣れた彼の耳にだけ届いているようだった。
まだ年若い女性の様な声。それと併せて数名の男の、浮かれたような声。先ほどの不届き者の話を聞いた後だけに、最悪の事態が思い浮かぶ。
『どこだ? どこにいる?』声を頼りに耳を澄ませ、暗闇の中視線を動かす。
『いた!』
庭木の茂る奥まったところに、それは居た。明かりも届かぬ外れに、淡い色のドレスの裾を引きずるように拒む令嬢。
正義を振りかざすつもりはないが、元来が軍人気質な男にとって身分などくそくらえだ。咎なら自分が負えばいい。今は一片の罪もない者を救う事しか頭に無かった。
オードリックは何のためらいもなく、二階のベランダから飛びおりた。
それを近くで見ていた者達が「きゃあ!人が!!」と叫び出すも、彼の耳には聞こえてはいない。そのまま、手を取り合う者達の間をすり抜けるように庭園を走り抜ける。
王宮内は宮廷騎士しか帯剣を許されていない。今のオードリックは言わば丸腰だ。
だが、辺境の地で魔獣と日々戦う彼にとって、王都の貴族令息など非力な子供と同じだ。最小限の物音で走り寄り、気が付けば令嬢の手を引く男を片手でノしていた。
「だ、誰だ貴様! 俺が誰だかわかっているのか?」
冷たい地面に倒され、オードリックの膝で抑えられている若い男が叫んだ。
他の二人はアッと今の事で、訳がわからず呆然としている。
令嬢は俯いたままドレスが汚れるのもかまわず、地面にペタリとへたり込んでしまっていた。
「お前が何者かなんて知るわけがないし、知りたいとも思わない。
嫌がる令嬢を無理矢理連れ去ろうとする、モテない男達なことは知っているがな」
「なっ!!」
「舞踏会会場のベランダからお前らが令嬢の腕を掴み、連れ去ろうとしているのが見えた。微かに女性の嫌がる声も聞こえたし、お前らの下衆いた声も聞こえた。
今ごろ舞踏会は騒ぎになっているはずだ。覚悟するんだな。ほら、騎士達が来るぞ」
オードリックの言葉通り、遠くに騎士が走って来るのが見える。
「ヤバイって、逃げよう!」
オードリックの膝の下にいる男を見捨てて逃げようとする二人。
「おい! 俺をおいて行くな!!」
男の叫びは聞こえても無視され二人は慌てて逃げるも、反対から駆け付けた騎士に簡単に捕まってしまっていた。
「ジョルダーノ辺境伯爵殿! これはいったい?」
騎士の一人に声をかけられ、オードリックは膝の下の男の腕を掴むと立ち上がり、そのまま騎士の手に男の腕を差し出した。
「見ての通りだ。そこの二人とともに令嬢を拉致しようとした不届き者だ。身分なんぞ関係ない。とことん追求してやれ、俺が証人だ」
オードリックに渡された腕の男はを見て、「あ、あなたは……」騎士の漏れる声に、
「俺が誰かわかったならこの手を放せ! 俺にこんなことをしてタダで済むと思うなよ。
「誰だろうと構わん。早く連れて行け!!」
オードリックの声にビクリと反応した騎士達は、三人の子息たちを引きづるように連れて行った。
残った女性騎士が、へたり込む令嬢に声をかけている。
もうこれで大丈夫だろうと、オードリックはその場を後にした。その時……。
「あ、あの。助けていただき、ありがとうございました。
私はコーネリア・キャリスタンと申します。お名前をお聞きしても?」
オードリックはその声を聞き、思わず足を止める。
心臓が早鐘を打つようにドクドクと刻む。
この声を聞き間違えるはずが無い。愛しさで気が狂いそうになるほどに、焦がれたその女性の声を。
ゆっくりと振り返ると、そこには女性騎士に支えられながら何とか立ち上がった令嬢がいた。
『コーネリア』
「当然のことをしたまでです。ご無事で何よりでした」
瞳を合わせることもないままに、オードリックは再び歩き出すのだった。