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~5~


「コーネリア」


 オードリックは震える手でナイフを握りしめるコーネリアを、強く抱きしめた。

 コーネリアがオードリックの胸に突き立てた食事用ナイフ。

 非力な貴族令嬢である彼女の力では、オードリックの筋肉に覆われた胸には致命傷を与えられるはずもなかった。わずかな切り傷程度にしかならないそれを見て、ガタガタと震え始めるコーネリア。そんな彼女を自分の胸に抱えるように強く、強く抱きしめた。


「あああああ!!」


 泣き叫ぶコーネリアを離さぬように、その肌のぬくもりを感じられるように、オードリックは全てを飲み込むように「コーネリア」と、彼女の名を呼び続けるのだった。

 どこか遠くに行ってしまったような、彼女の気持ちを呼び戻すために。

 もう一度、初めから始められることを夢見るように。


「私を家に帰してください。もう、ここには居たくない。居られない!!」

「コーネリア、それは出来ない。あなたは私の妻だから。私のそばを離れることは、たとえあなたの願いであっても許さない」


「ここには私の居場所なんかないわ。誰もかれもが、私のことを遠巻きにして、全てを許す代わりに私の自由は何一つない。心を許せる人が一人もいない。本当に頼れる人が一人もそばにいない。こんなところで暮らす私のことなど、何とも思ってなどいないのでしょう?」

「なにを言うんだ。あなたはいつでもこの家では自由であって、あなたを蔑む人間はこの辺境の地には一人もいないはずだ」


「自由? やりたいことってなに? 家族も友人もいないこの地で、世間知らずの私に何をしろっていうの? あなたは私に何を求めているの? 私にどうしてほしいの?

 何の説明もないままに、愛をささやかれることもないままにこんなところに連れて来られて、私にどうしろっていうの? お飾りの妻? 子を産むだけの妻?

 それならいっそ、そう言ってくれた方がまだ納得も出来たのに。それなのに、あなたの手が暖かくて、あなたの瞳が私を好いてくれていると思えたからついて来たのに。そんな夢物語を信じられるほどに私は子供だったのね。あなたにしてみれば、わたしなんて取るに足らないほどの小娘で、だからこんな風に蔑ろにされ……」

「そんなことは無い!! 私があなたを蔑ろにしたことなど一度もない!」


 オードリックの叫びにも似た声に、コーネリアはビクリと肩を震わせる。

 

「知り合ってから初めて会話らしい会話をしているのよ、私たち。もっと早くこうしてくれていたら……。もう、むりだわ」

「コーネリア、お願いだ。私を見てくれ。君を失いたくないんだ。どうか、私のそばにいてくれ。願いなら何でもきくから、たのむ」


「なんでも?」

「ああ、どんなことでもかまわない」


「なら、離婚してください。私をここから解放してください」

「コーネリア……、それは。それだけは」


「ほら! なんでもいうことをきくなんて嘘じゃない。私の願いなんてそれっぽっちにしか思っていないのよ。

 離婚が出来ないのなら、それなら、どうか私を殺してください。

 私を手放せないと言うのなら、死んで私を自由にしてください。お願いします。

 お願いします。オードリック様」


 オードリックにしがみつくように懇願するコーネリア。その瞳からは大粒の涙が、とめどなく流れている。

 ここまでに彼女を苦しめたのかと、オードリックは自分を責めた。

 だが、どうすれば良かったのかすら、彼には分らないのだ。女性に対する知識も、常識すらも持ち合わせていない彼にとって、目の前のコーネリアの涙の意味すらも、ただ苦しく悲しいものだった。


 何も言ってはくれない、行動にも起こそうとしないオードリックよりも先に動いたのはコーネリアだった。

 向かい合わせにしゃがみ込む彼の腰に挿してあった短剣をめざとく見つけると、すきをついて抜きさった。そして、あっと言う間に自分の胸にむけてその刃を突きつけた。

 

「くっ!!」

「コーネリア!!」


 彼女の胸に突き刺さる短剣を握りしめ、コーネリアは痛みでうめき声をあげる。

 だが、非力な彼女の力では一思いに命を絶つことはできなかった。ためらいもあったのだろう。怒りや悲しみ、絶望に心を支配され、一瞬の判断で刺してしまったが、本気で死ぬ気などなかったのかもしれない。それでも、この地獄の様な日々から逃れられるのなら、死ぬことも厭わないと思ったのも事実だった。


 オードリックはそんな彼女の姿を見て、自分の愚かさを後悔するのだった。

 自分の我儘で愛する人を苦しめている事実が、彼を苦しめる。

 

「コーネリア、共に逝ってくれるか?」


 慈愛に満ちた瞳でコーネリアを見つめると、短刀を握る彼女の手を上から握りしめ、胸に刺さったままの短刀を抜き去った。


「ああ!!」

 

 衝撃で声をあげるコーネリアにも構わず、短刀を握りしめた二人の手をそのまま彼自分自身の胸に突き立てた。


「あっ!」


 痛みとは違う、驚きの声を上げる彼女の声を殺すように、

「人を刺す、その手の痛みを感じて欲しい。私は、愛するあなたの手で死んでいく。そして、私もまた、あなたをこの手で終らせたい」


 食事用ナイフとは違う、鋭い刃はオードリックの胸に鋭く痛みを与えた。

 だが、戦場で剣による傷など日常茶飯事であり、現に彼の顔には大きな刃物傷が付いている。このくらいの傷で死ぬことはないとわかっている。

だからこそ、今のうちに最後をこの手で……。誰でもない、自分の手で最後を……。




 気が付けば、彼の腕の中で深い眠りについたコーネリアがいた。

 彼女の穏やかな表情が、彼にとってのせめてもの救い。

 彼女の髪をすくい、頬を撫で、その赤く柔らかな唇に指を這わす。

 そう言えば口づけの一つもしていないことに気が付いた。

 そして、神殿での誓いの儀式すらしなかったことを今さら思い出し、さぞ美しかったであろう花嫁姿を見られなかったことを後悔していた。

 愛する人を閉じ込めて、自分だけのものであって欲しいと願うその思いが彼女を苦しめていたことを始めて知り、そんな自分を呪ったのだった。


「愛している」


 最初で最後の告白と、そして永遠の口づけを交わし……。


 彼は、未だ短刀を握りしめている彼女の手をもう一度握りしめると、血濡れた自分の胸元へともう一度それを突き立てた。

 そして、コーネリアに覆いかぶさるように体重をかけ、力強くその胸に刃を押し込んだのだった……。



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