~4~
コーネリアにとって、見知らぬ土地、知らない人々、慣れぬ環境で頼れるのは唯一の夫であるオードリックのはずだった。満足な説明もないままにさらわれるように連れて来られ、それほどまでに愛され、必要とされているのだろうと、そう考えてもおかしくはない。
それなのに実際は指が触れ合うどころか、顔を見ることも、声を聞くことも叶わない。なぜ自分はこんなところで独り、寂しい思いをしなくてはならないのか、こんなはずでは……と、心を閉ざしていってもおかしくはなかった。
いっそ、愛されぬ妻のまま、お飾りの妻だと言われていればまだ納得も出来たのに。
それなのに、昨晩のオードリックは優しかった。愛をささやかれたり、肌を重ねたりしたわけではなくとも、その思いや優しさが伝わってきた。
だからこそ、捨て置かれるこの身が辛く切ない。
それからも魔獣の討伐で家を空けることが多く、顔を合せることもなくなった二人。
名ばかりの夫婦の溝は開くばかりで、埋まることはなかった。
「オードリック様。どうか、奥様にお顔をお見せください」
「……、コーネリアに何かあったのか?」
「いえ。奥様は特に我儘をいう事もなく、淡々とお過ごしでございますが。一人残され、お寂しい思いをされておられるはずでございます。どうか、お顔だけでも」
「恙なく過ごせるようにするのがお前たちの仕事だ。誰にも会わず、どこにも行かなければ何をしても構わない。金を使う事も問題ない。宝石でもドレスでも、商人を呼んで好きなだけ買わせればいい」
「ですが……」
家令の言葉を途中でさえぎり、オードリックは先に進む。
女性のことなど全くわからないが、それでも噂に聞くには買い物が好きだと言う。
ならば湯水のように、好きな物を好きなだけ買えばいい。
彼女一人の買い物で辺境伯爵家の身代が揺らぐことなどあり得ない。
オードリックはコーネリアを心の底から愛し、大切にしていた。
自分以外の男の目に映ることを許さず、この邸の外へ出ることも認めない。
どこで誰に見られ、恋慕されるかわからないのだから。
彼の中で彼女は、自分の手の中にいる妻でなければならない。
魔獣の出る危険な地であっても、彼女を守るために戦い、危険を排除していく。
それが彼の愛の証であり、揺るぎない想いだった。
彼女が彼を愛し始め、求めていることすら理解できないままに。
「オードリック様。どうか、奥様のお姿をご覧くださいまし」
「マリア。お前までどうしたのだ。彼女は問題なく過ごしているのだろう?」
「ええ、ええ。何も視ず、何も語らず。ただそこに居るだけならば、問題などおこせるはずもありませんから」
「どういうことだ?」
女性使用人の長に立ち、オードリックの乳母だったマリアは涙ながらに訴える。
「言葉の通りでございます。今の奥様は生きた人形のように心を閉ざし、ただ居るだけの存在になっております。いつも一言目には旦那様は?とお聞きになり、オードリック様を求めていらっしゃるのです」
「そんなわけ、あるはずがないだろう」
オードリックは自分の姿をよく理解していた。女性から恐れられるような風貌をしていることを。彼女もまた、自分を愛するはずが無いと思い込むほどに。
昼、夜中と構わずに魔獣は現れる。
その日も夕刻に知らせを受け、討伐に向かったのだった。
そして魔獣の討伐が終わりかけた頃、邸から早馬が彼の前に現れた。
「奥様が大変なことになっております。急ぎお戻りください」
邸の警護をまかせてあった騎士の言葉に、オードリックは単身馬を走らせた。
「なにごとだ?」
「ああ、オードリック様。奥様が、奥様が!」
家令の言葉に急ぎコーネリアの部屋に向かうが、物を投げているのか? 中からは物が壊れるような音が鳴り響いていた。
「コーネリア! 入るぞ!」
「来ないで!! 来たら死ぬわ! 入ってこないで」
「なっ!!」
死ぬと言う言葉に思わずたじろいてしまった。
「ずっとこうなのでございます。そば仕えの使用人すら近づけない状態で、どうもこの扉の前に重き家具を置いておるようです。力づくでどかせることはできますが、あまり刺激しない方がよろしいかと思いまして。
念のためベランダには騎士を配置しております」
家令の話に言葉を失うオードリック。何がいけなかったのか? どうすればよかったのか?
「コーネリア」
先ほどのオードリックの声を聞いてから、物音が止んでいる。
ドンドンと拳で扉を叩くが反応が無い。
「実は、夕食をメイドがお持ちしましたら、いきなり食事用のナイフを向けてきたようで。旦那様に会わせろ、さもなくば死ぬと大声で喚き散らしておいでで。メイドを部屋から追い出すと鍵をかけられて。物を壊すような大きな物音が続いているのです。
物音がしている間はご無事な証拠ですので、ここで様子をうかがっておりました」
時刻はすでに日付を超えようとしていた。
夕食の時間からずっとこのままなのかと、オードリックは彼女の疲労を考えた。
そろそろ疲れ切っているであろう、そんな時こそ最悪なことを考えるものだ。
猶予は残されていない。
「窓から入る。誰も近づくな。大丈夫だ、俺がついている。朝になっても俺から声がかからない時だけ、力づくで扉を開けろ」
オードリックの言葉に家令は無言で頷いた。
オードリックは隣室のベランダ越しに、コーネリアの部屋の窓の前まで進んだ。
そこには引きちぎられたカーテンがぶら下がり、部屋の中は強盗でも入ったのかと思うほどに荒らされていた。
飾り物の装飾品は全て投げ捨てられ壊されており、鏡は割れ、足の踏み場ものないほどに散らばっている。
扉の前には大きなキャビネットが置かれていた。こんな重いものを華奢な彼女がどうやって?と考えるが、それほどまでに怒りにまかせて力がでたのだろうかと、そう思うとオードリックの心は震えた。
コーネリアはすぐに見つかった。ベッドの脇で呆然と一点を見つめたまま、微動だにしていなかった。
彼女の美しい髪は乱れ、衣服もところどころ破れている。
一体、どれほどのことをしたのか。すでに体力を使い果たして、動く元気も残されていないのだろうと、そう思いオードリックは彼女のそばへゆっくりと近づいた。
コーネリアのそばまで近づき、膝をつきしゃがみ込むと彼女に手を伸ばし声をかけた。
「コーネリア」
オードリックは手を伸ばし、愛しいコーネリアの髪に触れようとした瞬間。
それは、あっと言う間のことだった。
愛する人を前に、そして目の前の惨状に心を奪われ過ぎていたのだろう。
気が付いたらオードリックの胸に食事用のナイフがつきたてられていた。
握りしめたナイフを持つ手を震わせ、その顔を自分の胸にうずめるようにしたコーネリアがいたのだ。
「コーネリア」
震える声でオードリックは愛する人の名を呼んだ。