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~3~


 オードリックの妻となり、連れ去られるように辺境の地へと着いたコーネリア。

 先に馬で戻ったオードリックを追うように、何日も揺られた馬車の中はコーネリア一人だった。

 やっとたどり着いた辺境の地は思った以上に栄えており、町ゆく人も普通に過ごしていた。これもみな、オードリックを筆頭にこの地の騎士が魔獣と戦って得た安全なのだと感じた。



「奥様、長旅お疲れ様でございました」


 王宮かと見間違えるほどに立派な館には、筆頭執事を始めとした使用人たちがズラリと並び、コーネリアを出迎えてくれた。


「生憎、旦那様は魔獣の討伐に出ており不在ではございますが、奥様にはつつがなくお過ごしいただくように命じられております。

 いつ、いかなる時も、ご用があれば使用人に何なりとお申し付けくださいませ」

「は、はい。よろしくお願いします」


 使用人に頭を下げるコーネリアに、使用人一同心を和ませるのだった。


 それからのコーネリアは日々、穏やかに過ごしていた。

 辺境の地にいては茶会や夜会に参加することもままならないし、招待状も届かない。

 普通の貴族令嬢と同じように刺繡をしたり、時には自ら菓子を作ったりして使用人にふるまったりして時間を潰していた。


「オードリック様は、いつ頃戻られますか?」


 侍女や執事に確認しても、応えはいつも同じ。


「魔獣の討伐には時間がかかります。数日のこともあれば、数カ月かかることも……」

「そう。大変なのね」


 寂しそうに返事をするコーネリアを案じ、使用人たちは皆胸を痛めていた。

 コーネリアが嫁いでからすでに一カ月が経とうとしている。その間、オードリックは一度として帰宅していない。

 あんなに熱望して、無理矢理に婚姻を結ばせたというのに。

 たった一人で遠い辺境の地に嫁ぎ寂しくないわけはないが、それでもコーネリアは気丈にも大丈夫なふりを続けていた。


「奥様。旦那様が討伐からお戻りになると早馬が」

「本当に?」


 執事の言葉に顔をほころばせ喜ぶコーネリアの姿は、恋に恋するうら若き乙女の姿に見える。こんな風に若妻から帰りを待ちわびられる日が来ることを願っていた使用人たちは皆、コーネリアのために、主であるオードリックの為に、心を一つにするのだった。


「何時でもいいから、オードリック様が戻られたら教えてちょうだい」


 早馬が着いてからというもの、コーネリアは食事も入浴もすべてを後回しにしながら帰りを待ちわびていた。

 待つというのは意外に心を消耗させるものだ。使用人たちに心配されながら、遅くなりながらも食事も入浴も済ませたコーネリアは「必ず起こします」と約束を取り付け、後ろ髪を引かれる思いで寝室へと向かった。

 それでも興奮した思いが冷めることはなく、眠れぬままに夜も更けていく。


 と、その時だった。遠くで開門の音が微かに聞こえ、馬や馬車の音が聞こえ始めた。

 コーネリアは寝台から飛び起きると、カーテンを開き外を見る。そこには多くの騎士を乗せた馬が見えたのだ。

「オードリック様だわ」

 コーネリアは寝間着姿なのも忘れ部屋を飛び出した。裸足のまま廊下を走り、階段を降りかけると、そこにはオードリックが執事や他の騎士たちと話をしている姿が見えた。


「オードリック様」


 その声は清く美しく、館中に響き渡った。

 魔獣討伐を常とし、騎士たちのむさくるしかったジョルダーノ家に似つかわしくない声色。その一声は、そこに居合わせた者すべての視線を集めてしまった。

 階段の途中で見下ろすように立ち尽くすコーネリアの姿を見ては、思わず目を反らす者。驚きで固まってしまう者。慌てて侍女を呼びにいく者と、さまざまだった。

 そして彼女が名を呼んだ男は一瞬驚いたような顔を浮かべると、すぐに真顔に戻ったままツカツカと彼女のそばに行き、腕を掴んで声を上げるのだった。


「あなたは何をしているのだ。こんな夜中に、それもこんな恰好で」


 ねじり上げられるように抱えられた腕がギリギリと音を立てる。

「痛い」

叫びにも似たコーネリアの声に、思わず手を離したオードリック。

「奥様!!」階下からガウンを抱えて現れた侍女に抱えられるようにして、コーネリアは部屋へと戻されようとしていた。

 それでもあきらめきれないコーネリアは振り返り「オードリック様」と、彼の名を呼び続けた。

「もう遅い、部屋に戻りなさい」

 その一言を残し、オードリックは彼女の前から去っていった。


 部屋に戻ったコーネリアはソファーに座り、呆然としていた。

 何が起きたか分からなかった。

王都から嫁いで依頼、一度も顔を合わせていない夫を迎えに行っただけなのに。なぜあんなに憎しみの目で見られなければならないのか。

 暴力とは程遠い世界で生きてきたコーネリアにとって、先ほど彼に掴まれた腕が痛みで悲鳴を上げている。あれが暴力や体罰になるのかわからない。それでも、親にすら手を上げられたことのない彼女にとって、この腕の痛みは恐怖を覚えるのに十分だった。


「奥様。骨に異常はないようですので、今晩は湿布を貼ってお休みください。腫れるかもしれませんので、明日の朝、また様子を見させてください」


 ジョルダーノ家に常駐する医師が、コーネリアの腕を診察して戻っていく。


「奥様、お休みになれますか? 痛みが酷いようならお薬をお飲みください」

 侍女の言葉にもコーネリアは反応を示さない。よほどショックだったのだろう、支えられるようにしてそのまま寝台へと体を滑り込ませると、涙が頬を伝い、声を殺して一晩中泣き明かすのだった。


 翌朝、まぶたを腫らした顔を落ち着かせるのに時間を要し、結局コーネリアはその日は部屋を出ることはなかった。

 すでにオードリックは魔獣討伐の後始末も終え、今は騎士たちの鍛錬場へとむかっているという。

 昨晩のことが思い出され、コーネリアは悲しく、そして寂しかった。

 そして、大人の男性が恐ろしくもあった。

 

 その夜、部屋で食事を済ませたコーネリアの元へオードリックが訪れた。

 あんなに会いたくて仕方がなかったのに、今は怖くて仕方がない。

 覚悟を決めて嫁いできたはずなのに、それなのに……。


「コーネリア。昨日は済まなかった」


 長椅子に並んで座る二人。だが、そこには夫婦とは言えないほどの物理的な距離があった。身体を触れさせないように離れたその距離感、今の二人の心の距離なのかも知れない。

 オードリックは前かがみになりながら、膝の上で両手を組み俯いている。

 隣に座るコーネリアからはその表情がわかり難い。


「一か月以上もあなたを一人にして申し訳ないと思っている。昨晩は討伐から戻って来たばかりで気も立っていた。周りの騎士達もそれは同じだ。

 そんなところにあなたがあんな姿で現れて、気が動転してしまったのだ」


 そこで初めてコーネリアは気が付いた。昨晩、寝間着姿で走り出したことを。


「あ……。申し訳ありません」

「いや、ここはあなたの家でもある。だから好きに過ごしてもらって構わない。

 だが、昨晩は皆がいたから。我が騎士隊に不埒な真似をする輩はいない。だが、それでも若い男達だ。誰彼構わず見せて良い姿ではないと……」


 自分の失態なのに申し訳なさそうに話すオードリックの姿を見て、コーネリアは恐ろしさすら感じていたはずなのに、その思いが抜けていくのを感じていた。


「オードリック様」


 思わず彼の名を口にしたものの、その後の言葉が思い浮かんでこない。

 重苦しい沈黙が流れる中、口を開いたのはオードリックだった。

 

「今日はゆっくり休みなさい」


 ゆっくりとソファーから立ち上がり、一度も振り向くことのないままに部屋を出て行ったオードリック。コーネリアは、その後ろ姿をただ黙ってみつめることしか出来なかった。


 声色こそは優しく労りの言葉ではあったが、一か月以上も妻を置き去りにし、指一本触れてこない夫に対し、コーネリアはその思いを告げる術を知らなかった。

 妻は夫に従い従順であるべき。夫のいう事を聞き、素直に頷いていれば良いのだと、そう言い聞かされて嫁いで来たのだ。

 社交界デビューを果たしたばかりで満足な淑女教育もされぬまま、請われるままに連れ去られるようにこの辺境の地へと来た彼女。

 またしても一人ぼっちにされ、置いて行かれてしまった。

 その寂しさが彼女の心を覆い尽くし、気が付けば涙が頬をつたっていた。

 


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