8:拒絶と後悔
カヴィル王家との話し合いには、皇帝デイルと皇妃マルヴィナだけでなく、クローディアと共にリンドグレーン帝国の客人となっている神獣カーバンクルが同席した。
最初は神獣の存在に疑念を抱いていたカヴィル王家も、額に宝石を宿す黒猫が人語を操る様を見て、その存在を認めざるを得なかった。
神の遣いと呼ばれる神獣からアリエルの持つ力、カヴィル王国全域を覆っていた事象の説明を受けて、ようやくに事態が呑み込めたカヴィル国王の顔面は、蒼白を通り越して青黒く淀んでいた。
「我等とて理由もなしに貴国を拒んだ訳ではない。だが一人の女性に国が傾けられたことを想えば、もはや信など置けぬ。我が妹がその被害に遭ったとなれば、なおのこと」
ぴしゃりと言い放つ皇帝の言葉に、もはや抗う術もない。
ルイス・カヴィル国王は、どうにか帝国との国交を繋ぎ止めるので精一杯だった。
唯一納得がいかない様子なのが、王太子トリスタンである。
事情を知ってなお、いや、事情を知ったからなおのこと、彼にとっては“自分は被害者”なのだ。
長年連れ添った婚約者と自らの意思ではなく別れさせられ、望まぬ相手との結婚を強いられた。
この上どうして国の立場まで悪化しなければならないのか。
悪いのは、アリエルだ。
自分は被害者であり、長年支えてくれたクローディアなら理解してくれるはず──トリスタンはそう信じて疑わなかった。
首脳同士の話し合いが具体的な段階にまで踏み込んだ頃合いを見計らって、トリスタンは用を足すと言い残して、会談の場を後にした。
これから先政治的な話は父に任せておけば良いし、そんなことよりも妻となるべき人物を連れ戻す方が先と考えたからだ。
トリスタンの周囲にも、当然護衛の騎士達が待機している。
カヴィル王国から伴ってきた騎士達と、リンドグレーン帝国の騎士──こちらは見張りと言っても良い。
自分に向けられる厳しい目を自覚しつつも、今はとにかくクローディアに会うこと。
会って話をすれば、彼女なら受け入れてくれるはず。
今もまだ、トリスタンはそう信じ続けていた。
「クローディア!!」
途中声を掛けた侍女に金を握らせ、聞きつけた場所──帝城の一角にある庭園。
その四阿で、トリスタンはようやく目的の人物に出会うことが出来た。
いや、出会えたと言って良いのかどうか。
トリスタンが姿を現した瞬間、クローディアと卓を囲み優雅に茶を飲み交わしていた人物が、彼女の前に立ち塞がった。
そして、王子であるトリスタンに剣を向けている。
「な、なんだお前はっ」
「それはこちらが言いたい」
トリスタンに向けられる、冷ややかな声。
声音以上に、紅色の瞳は刃で斬りつけるほどの鋭さでもってトリスタンを睨み据えていた。
「殿下、どうしてここに……」
クローディアが声を震わせる。
その怯えた様子に、立ち塞がった男──ノエルの眉がピクリと跳ねた。
「クローディア、一度君とちゃんと話をしたかったんだ。僕がどうかしてい──」
「どうか、お帰りください。今ならまだ、何も聞かなかったことに出来ます」
トリスタンの予想とは裏腹に、クローディアの紡ぐ言葉は、どこまでも無慈悲だった。
いや、国同士のことを思えば、これ以上ない有情な申し出だっただろう。
デイル皇帝の怒りを買わず、勝手に帝城の奥地まで踏み込んできたことを、無かったことに出来るのだから。
だが、その真意にトリスタンが気付くことはない。
「聞いてくれ、あの時の僕は正気ではなかった。どうか、今からでもやり直してほしい」
「貴方はもう既婚者でしょう? 殿下、どうか王太子妃殿下を大事にしてあげてください」
「しかし、それでは……」
クローディアの言葉に、トリスタンが声を詰まらせる。
「私はもう、貴方と──いえ、貴方達と関わりたくはないのです」
クローディアの口から放たれた、決定的な一言。
その言葉が、トリスタンの理性を崩壊させた。
「クローディア、僕は、僕は……!!」
半ば狂乱状態でクローディアに駆け寄ろうとするトリスタンに、ノエルが剣の切っ先を向ける。
「それ以上近付くなら、斬る」
「ひっっ」
低く凄味のある声。
放たれた殺気は、彼の本気を物語っていた。
──斬られる。
トリスタンがそう思い腰を抜かしたのも、やむを得まい。
王太子として一通りの剣は習いはしても、実践経験などまるで無い。
ノエルとトリスタンとでは、踏んできた場数も覚悟も、全てが違いすぎた。
事実、これ以上クローディアに近付こうものならば、他国の王太子だろうが、ノエルは容赦なくトリスタンに斬りかかっていただろう。
それほどまでに彼の行いは度を超していたし、帝国の要人と賓客に対して、あまりに礼を欠いた態度だった。
「皇弟殿下、申し訳ございません!!」
駆けつけるリンドグレーン帝国の騎士達。
今になって、初めてトリスタンは自分が対峙していた相手が帝国皇帝の肉親──弟であると理解した。
隣国の王太子であろうと、帝城内で皇族とその客人に対して無礼を働いた者には、容赦はしない。
皇弟ノエルの命で、トリスタンはすぐさま拘束された。
話し合いを進めていたカヴィル国王共々皇帝の怒りを買い、リンドグレーン帝城への立ち入りを拒まれてしまった。
ルイス・カヴィル国王はトリスタンに激怒したが、父の怒りの言葉さえ、トリスタンの耳には入っていないようだった。
カヴィル王国への帰路、一人豪華な馬車に乗り込んだトリスタンは、心の箍が外れてしまったかのようにぶつぶつと何か呟き続けていた。
──どうして。
──なんで。
──彼女の隣には、僕が居るはずだったのに。
トリスタンの脳裏には、四阿で見たクローディアとノエルの仲睦まじい姿が焼き付いていた。
「どうしてこんなことに……」
呟いたのは、奇しくも隣の馬車に乗り込んだ父であるカヴィル国王と一言一句変わらぬ言葉であった。
「そうだ、これも全て──」
カヴィル国王の拳が、自らの膝を叩く。
煮え滾るような瞳は、帝国でも息子トリスタンでもなく、王城に居るであろう元凶に向けられていた。