6:帝国と王国
クローディアがデイル皇帝の執務室に呼ばれたのは、晴れ渡る青空の夏の午後だった。
「お呼びでしょうか」
「ああ、すまないな。これを見てくれ」
執務室にはデイル皇帝だけではない、皇弟のノエルと皇妃のマルヴィナ、それに帝国で宰相を務めるエルマー・カスバートソンまで、正に帝国を牛耳る面々が勢揃いしている。
「これは……」
差し出されたのは、一通の親書だった。
豪華な封蝋は、カヴィル王家の紋様が刻まれている。
中の便箋を取り出して、クローディアの目線が文字を追う。
親書を読み進めるにつれて、クローディアの表情は固く強張っていった。
カヴィル王家からの親書。
それはリンドグレーン帝城で保護しているクローディアに改めて婚約破棄を詫び、クローディアをトリスタン王太子の側室に迎え入れたいという内容だった。
「それを届けに来た使者を、隣室に待たせている」
デイル皇帝の声も、いつもより苦々しい。
「即刻、切り捨てましょう」
それ以外に、皇弟ノエルの声は怒気に満ちていた。
「まぁ、待ちなさい。使者に罪はないのだから」
「そうね、それよりも王家の奴等にどう言い聞かせるかが大事だわ」
デイルとマルヴィナが夫婦揃ってノエルを取りなすが、彼等の瞳にも怒りが滲んでいた。
世慣れている分、政治的にどう対処するかを考えているようだ。
「私の方で文を認めよう。エルマー、確認を頼む」
「かしこまりました」
デイル皇帝とエルマー宰相の二人が内容を纏めてくれることにはなったが、クローディアの胸には、いまだ不安が渦巻いていた。
そんなクローディアの肩を、ぽんと叩く感触。
「大丈夫だ、兄上に任せておけばいい」
ノエルの紅色の瞳が、柔らかく細まる。
先ほどの怒気を露わにした表情とは、まるで別人だ。
「はい、ありがとうございます」
長い病床から解放されて、ノエルは再び身体を動かすようになった。
元より長年剣を学んでいた身。
実践の感覚を取り戻しさえすれば、再び動けるようになるまで、そう時間は掛からなかった。
いつしか、そんなノエルの鍛錬を見守るのが、クローディアの日課になっていた。
最初は、彼が無理をしないか心配だったのだ。
もし倒れでもしたら、誰かが傍に居ないと大変なことになるかもしれない。
しかし、そんな心配は杞憂だったとすぐに気付いた。
剣の鍛錬に打ち込むノエルの表情は、長く臥せっていたとは思えないほどに、生き生きとしていた。
身体が自由に動くことが、楽しくて仕方がないのだろう。
昔の感覚を取り戻すかのように、一つ、また一つと己の技を繰り出していく。
最初の頃はぎこちない動きだったのが、今では帝国の名だたる騎士達とも互角以上の模擬戦を繰り広げるまでに回復していた。
「ノエル様、お疲れ様です」
「あ、あぁ……ありがとう」
一息つく為に剣を置いたノエルに、クローディアがタオルを差し出す。
受け取るノエルの頬が、目に見えて赤らむ。
その様子に周囲の騎士達が皆表情を綻ばせるが、口に出して冷やかす者は誰も居ない。
微笑ましい二人の距離を、皆が静かに見守っていた。
「あまり無理をなさらないでくださいね」
「ああ……分かってはいるのだが、どうしてもな」
心配そうに自分を見つめるクローディアから、ノエルがふいと視線を逸らす。
ノエルとしては、恩人のクローディアがカヴィル王家と因縁がある以上、彼女を守れるようになりたい。
一刻も早く実戦の勘を取り戻して、彼女の傍で守りたいのだ。
とはいえ、そんなことを口に出すのは憚られる。
クローディアはクローディアで、自分に剣を捧げてくれた相手とはいえ、つい先日まで病床にあった身だ。
無理をしてほしくないし、それが自分の為になど、もってのほか。
互いを思えばこそ気を使わずに居られない二人の関係に、周囲の騎士達の方が焦れる始末。
無骨な騎士達ばかりが集まる、帝国騎士団の修練場。
そこに、なぜか場違いなほどに甘酸っぱい空気が漂うのだった。
「なんだ、この文は!!」
一方、カヴィル王国の王城では、国王ルイスが帝国から帰参した使者を前に、声を荒らげていた。
「は、間違いなくデイル皇帝から預かったもので……」
「それがこの内容か! まったく、あの若造め……」
唇を噛みしめながら、再びカヴィル国王が皇帝からの文へと視線を落とす。
そこにはカヴィル王家を突き放すような言葉が並べられていた。
『皇妃の妹は、我が妹でもある。そんな彼女への此度の仕打ち、とても納得出来るものではない』
『一人の女に傾けられる国など、信用に値しない。今後貴国との関わりは減らしていく所存だ』
『当国の方針に不服があるならば、国王陛下と王太子殿下の二人に出向いていただきたい』
口調こそ丁寧だが、その内容はあまりに高圧的なものだった。
確かに、皇妃の妹と知りながら、クローディアに婚約破棄を叩き付けた。その非は、カヴィル王家にある。
「だからと言って、おのれ若造──!」
カヴィル国王が、掌の中の文をぐしゃりと握りしめた。
それにしても、一人の女に傾けられるとは、一体どういう意味だ。
やはり、王家は──否、カヴィル王国首脳部は、何かしらの暗示にでも掛かっていたのだろうか。
怒りと屈辱、そして、それを覆い尽くすほどの不安が綯い交ぜになる。
「ええい、トリスタンを呼べ。リンドグレーン帝国に出向くぞ!」
「はっ」
こうあっては、全てを自分達の目で確認するしかない。
かくして、カヴィル国王は重い腰を上げたのだった。