第8話 襲来!
私──成瀬美羽は朝早くから学校の教室で、水神さんが来るのを待っていた。
家に引きこもり約一ヶ月、クラスの委員長として、私は水神さんを登校させるために数々の策を打ち出してきた。
その成果が実るだろう月曜日。私の計画を根底から破壊しかねない、由々しき事態が起きていた。
「ねえねえ、一昨日のイナリちゃんの配信見た!?」
「うん、見たよ、ダンロボってあんな感じなんだね」
それは氷神イナリが人気すぎる件について。
耳を澄ませば誰も彼もがダンロボの話をしている。当然だ。ダンロボは覚醒者の間で今一番ホットな話題である。
本来なら気にする必要ないのだが、問題は氷神イナリが水神さんだということだ。
いや、普通は問題にならない。
普通は有名配信者と引きこもり少女を結びつけないからだ。だが……
「やっぱりイナリちゃんってさ」
「名前似てるしね〜」
彼女の話をしている女子生徒達は、私の隣の空席に視線を送る。
何を隠そうというか何も隠せていないのだが、名前が似すぎているのだ。
水と氷の覚醒者というのも彼女の見た目通りだし、今の時期でレベル1という数字も普通あり得ない。
普通に考えて、一ヶ月も経てばレベルは上がっている。はずなのに、ゴブリン狩りをする水氷スキル持ちレベル1覚醒者……絶対に隠す気ないっ!
自己顕示欲の塊なのか、ただの馬鹿なのか。考えるだけでも頭が痛いのに、水神さんは引きこもりだ。
ああいう人間はコミュ力が死んでいる。その水神さんが学校に来ると、高確率でクラスメードに話しかけられる。
そうしたらどうなる? 久し振りに学校に来た引きこもり少女がミーハー陽キャ集団に囲まれたら……そんなの逃げるに決まってるっ!
「どうして私がこんなに気を揉まないといけないのよ」
本当に頭が痛い。
昔から強くなるために剣を振り続け、人間関係をバッサリ切り捨てていたから対処法が分からない。
誠に遺憾だが、私もコミュ力が死んでいる。
将来は人を使う立場になるから、まずはクラスを纏めることから始めてみたらと師匠に言われたけど……無理だよ。
だって、これから教室に来る水神さんの緊張を解きほぐして、氷神イナリの件を詳しく聞いて今後どうしたいのか話をして、クラスに馴染むようにして。
「頭がパンクしそう」
これならダンジョンでモンスターを相手にした方がマシだ。
そうやって悶々とした時間を過ごしていると、騒がしい声が廊下から聞こえてくる。
「きゃー!」
「?」
生徒達の悲鳴は、アイドルを目撃したファンのように艶やかだった。
ゴーレムを思わせる重たい足音を聞くと、私は席から立ち上がる。
「……嫌な予感がする」
私は冷や汗が流れるのを感じながら、教室の扉に歩いていく。
一人の男子生徒が窓から廊下を覗き込み、大きく目を見開いた。
「何じゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ガラガラガラガラ! 扉を開かれ、目の前に影が落ちる。
視界に入りきらない大きさで、顔を上げると、先鋭的なデザインをした兜の隙間から見えるレンズと目が合う。
そこには、歴戦の猛者といった風に傷ついたダンロボがいた。
私はスマホを取り出して、水神さんに電話をかける。
「水神さん、何をやっているのかな?」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
「てへ☆ ごめーんね♪」
私は生まれて初めて、人間相手に本物の殺意を抱いた。
※
私はゲーミングチェアに座り、モニターに映るメインカメラの映像を眺めていた。
「完璧だ……!」
私の秘策とは、ダンロボ登校である。
ダンジョン基地のルール『装備やアイテムは外の世界に持ち出せない』これには例外があった。
覚醒者育成の高校ダンジョンアカデミーである。生徒の戦闘技術を磨くために、武器防具ポーションマジックアイテムを作るために、ダンジョンアカデミーの敷地内では許可されていた。
それを知った私はダンジョン関係の物を専門的に取り扱っている運送株式会社『ダン鳥』に頼んで、ダンロボを輸送してもらったのだ。
その結果、私は部屋に引きこもりダンロボは学校にいた。
「頭おかしいんじゃないの?」
私は秘策を説明すると、委員長は頭痛をこらえるようにオデコに手を当てた。
全く持って心外だ。
「だって、人前に出て話すとか無理だし」
「……だとしても、百パーセントバレるよ?」
灰色の瞳でダンロボを見上げてくる。
配信と見比べた時、色合いからイナリの個体だと気づかれる。傷の位置も一致しているだろう。
水神イナリ=水神祈という方程式が成り立ってしまった。
それを気にするなんて、委員長って案外イイ奴?
「私に脅迫状を送っといて、心配なんて委員長こそ頭おかしいんじゃないの?」
「はぁ? 脅迫じゃなくて通達だよ」
だが、私は一度言われたコトは根に持つ女だ。
さっきの台詞(頭おかしい)は忘れてないからな?
「「……」」
バチバチと視線を交わしていると、一人の女子生徒が教室に入ってきて、委員長に声をかける。
「おはようございます」
「うん、おはよう」
私への対応とは打って変わり、可愛い顔に笑顔を浮かべていた。
他の生徒達も教室に入るなり、委員長に挨拶している。
委員長は愛想良く笑いながら、猫撫で声で挨拶を返していた。
表と裏の顔を使い分けている。
そんな彼女の性格を表しているように、髪は白黒のツートンカラーだ。光と闇の魔素に適応している証拠で、その髪は肩まで流れている。
身長は私よりも低いけど、女子の平均よりは高く159センチほどだろう。
「それで、水神さんは覚醒者の役目を果たすために、ダンジョンアカデミーに戻ってきたって言うことでいいんだよね?」
こちらに振り返って、ダンロボの目を真っ直ぐと見つめてきた。
真剣な顔をしている。
「当然」
「また逃げるんじゃないの?」
「っ……!」
カッと頭に血が上る。
声にならない声が溢れそうになり、他人の耳があると飲み込む。
私は氷神イナリだとバレているのだ。
迂闊な発言をして、ダンロボ使いのイメージを悪くするわけにはいかない。
「私はもう……逃げない」
私は知っている。
逃げた先には何もないことを。
私は一度、覚醒者の役目を放棄した。
自分の意志でダンジョンアカデミーの門を潜り抜けたのに、モンスターと戦うのが怖くて逃げ出した。
そうやって家に引きこもった私は、後悔だけが胸に残っていた。
いや、本当は少しだけ安堵していた。
あんなに怖いモンスターと戦わなくて済むと、もう誰からも失望の目で見られないと、家という殻に閉じこもり安心したのだ。
でも同時に、私は私が戦わない分を他の誰かが補っているんじゃないかと想像した。
今はいい。
だけど一年も経てば、私より年下の覚醒者がモンスターと戦うようになる。
私は家でゲームしているのに、その子達はモンスターを討伐するのだ。
私の分も。
そう考えた時、これ以上殻に閉じこもるわけには行かなかった。
私は嫌なことから何度も逃げてきたから知っている。
逃げることは決して間違いじゃないけど、逃げた先でまた逃げたら、戻り方が分からなくなると。
私は身体的特徴の変化を馬鹿にされるようになり、友達と遊ばなくなった。だけど、同じ学校にいた。仲直りする機会は幾らでもあったのに、その勇気が持てなくてゲームばかりしていた。
その結果、友達と疎遠になり話し方すら忘れてしまった。
心の底では友達に戻りたかったという後悔を抱いて。
そんな気持ちは、もうたくさんだ。
「私はダンジョンアカデミーに戻りたい。……委員長、勝手に学校を休んでごめん。直接喋る勇気が持てないのもごめん」
私は頭を下げる。
こちらの姿は見えていないけど、気持ちが伝わるように。
委員長は気に食わないけど、委員長として気を揉んでいたのかもしれない。
『ニート働け』とメールを送ってきたのも、発破をかける意味があったのかもしれない。
私はケジメをつけるために、謝罪の言葉を紡ぐ。
希がやったことを、お姉ちゃんがやらないわけにはいかないからな。
「迷惑かけてごめん。でも、もう逃げない。ここで学んで、私は強くなりたい」
「──」
私は委員長に言われたから戻ってきたのではない。
自分のために戻ってきたのだ。
「そっか」
委員長は静かに目を瞑る。
その時、窓が空いていたらしく風が流れ込んできて、白黒の髪がふわりと舞い上がった。
委員長は唇を綻ばせながら、涼やかに瞼を開く。
「さっきはごめんね。本気で戻ってくる気か確かめたくて、試す真似をしたんだ。水神さんの意思は伝わってきたよ。本当に引きこもりかって思っちゃった。気骨あるね」
いつか並び立ちたい人にそう言われると、心が浮足立ってしまう。
やっぱりイイ奴かもしれない。
「ようこそ、覚醒者育成高等学校ダンジョンアカデミーへ。私達は水神さんを歓迎するよ」
私は今さらながらに、他の生徒が私を見ているのに気づいた。
頭が真っ白になり、きゅっと目を瞑る。すると 『引きこもりも卒業しようね』という希の声が蘇ってきた。
私は恐る恐る瞼を開き、クラスメートの顔を見回す。
「ぁ……」
ゴミを見るような目も、私を馬鹿にするような目もない。誰も彼もが好意を瞳に宿していた。
私は──私が勝手に怖がっていただけで、もう少し向き合ったら良かったのかもしれない。
ここにいる人達は同じ覚醒者だ。
モンスターと戦うことができる数少ない仲間なのだ。
きっと、怖くて戦えない人がいるのは分かっている。
あの時、逃げずに向き合っていたら何か変われたのかもしれない。
そういうIFを想像して、少しだけ後悔した。
少しだけ後悔して、その後悔はすぐになくなった。
だって、逃げた先で私はダンロボと出会えたのだから。
「私はダンロボ使いの水神祈です。これまでの分を取り戻すために頑張るので、よろしくお願いします!」
私は勇気を振り絞り、挨拶した。
配信よりも緊張しているかもしれない。
心臓がドクンドクンと騒いでいて、胸が熱い。
「何度も言わせないで欲しいんだけど、私達は貴方を歓迎する。それは水神さんの意思で戻ってきたからだよ」
委員長は軽やかに微笑んだ。
その天使のような微笑みは、すぐに悪戯っぽくなる。
「さて、よろしくされたし、迷惑かけたツケを払ってもらおうかな♪」
「へ?」
委員長が通話中のスマホを机の上に置くと、アイドルに群がるファンのようにクラスメートが押し寄せてきた。
「ダンロボだ!」「間近で見るとカッケー!」
「ていうかイナリちゃんだよね!?」「マジヤバっ!!」
誰もかれもが好意と興奮をその瞳に宿している。
私はダラダラと冷や汗を流しながら委員長に助けを求めた。すると、べーっと舌を出しながら笑っていた。
あ、あんにゃろう……!
「ちょ、人と話すの久し振りだから順番にして〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
私は怒涛の質問ラッシュを浴びせられ、ただただ叫ぶことしかできなかった。
だけど一つだけ分かったのは、私はクラスメートに歓迎されているということだ。
そうして、私の学園生活は始まった。