第7話 引きこもり包囲網
私は手巻き寿司島に来ていた。
イクラの海が眼前に広がり、マグロとサーモンの刺身が泳いでいる。私は海苔の木を千切って、シャリの浜をひと掬いした。
イクラの海に手を伸ばすと、大量のマグロとサーモンがシャリに飛び乗る。そうしたら醤油の雨が降り、私は海苔を巻いて頬張った。
「ん〜! マグロサーモンマシマシ手巻き寿司うま〜〜〜〜!!」
夢のような体験だった。
そんな時間は唐突に終わりを迎える。
「お姉ちゃ〜ん!」
バァン! 扉が開く音と、やかましい妹の声が飛び込んでくる。
手巻き寿司島が消滅して。
「むにゃむにゃ……ん〜?」
瞼を開けると、ぼやけた視界に誰かがいた。
そいつと目が合う。
「○△□※〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
突然のホラーに目が冴える。
陸に打ち上げられた魚のように体が跳ねた。
その勢いを利用して起き上がり、後ずさる。
「はっ!? え!? ま、まさか納豆星人……!」
イクラの海を納豆で汚し、手巻き寿司をネバネバネットで獲ってくる悪魔!
私の水の力でネバネバを洗い流して、醤油だまりに沈めたずなのに!
「お姉ちゃんなに言ってるの?」
「ほえ?」
その声を聞き、目をぱちぱちすると……誰かが実体を持っていく。
そこにいたのは、昨日納豆マシマシ手巻き寿司をイタズラで渡してきた悪魔の権化たる我が妹だった。
「もしかして、夢じゃない? はぁ〜〜〜〜。なんだ、脅かさないでよ」
妹は首を傾げており、ここが現実だと理解する。
あの強敵、納豆星人との再戦を避けられたことに安堵だ。いや待て、冷静に考えると何だよ納豆星人って。
「それで、なにかよう? お姉ちゃん仕事で疲れてるから、二度寝したいんだけど」
「今7時だよ?」
引きこもる前は規則正しい生活を送っていたから、妹は知らなかったようだ。小学生は7時に起きて、半には登校しているから無理もない。
「これが今の私だよ」
「生活習慣終わってんね」
「そだねー」
妹はやれやれと言わんばかりに首を振った。
「お姉ちゃん早死にしそう」
「トンデモナイこと言ったな!?」
二度寝しようという気持ちが眠気と一緒に吹き飛んだよ。
寝起きに水かけられた気分だ。
「そんなことどうでも良くて、お姉ちゃんこれ!」
「そんなことじゃなくない?」
妹は無視してスマホを突き出してきた。
実の姉に早死にしそうと言ってきただけはある。
強靭なメンタルだ。
「えーと、なになに……『新人ダンジョン配信者【氷神イナリ】ブラッディベアーのイレギュラー個体をソロ討伐!?』……え? ナニコレ???」
それはウェブニュースの記事で、やけに身に覚えのあるタイトルだった。
目は覚めているはずなのに、上手く頭が回らない。
この現実味のなさは夢に違いない。というか夢であってくれ。
「あとこれ、XXのトレンドにも乗ってるよ!」
「ねぇ、これ夢」「じゃない」
妹はキラキラした目で見上げてきた。
「お姉ちゃん、めちゃくちゃバズってる!」
「嘘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
私の悲鳴は決して、嬉しい悲鳴ではない。
焦りという名の絶叫である。
何故ならば、私は昨日手巻き寿司を食べた後、お風呂に入って冷静になった。
冷静になって、色々と怖くなってきた。
氷神イナリのチャンネル登録者数はうなぎ登りに増えていて、動画の再生回数も右肩上がり。
配信を始める前なら無邪気に喜んでいただろう。だが、委員長にバレたことでヤベーのではと冷や汗が流れ始めた。
すなわち、住所を特定される可能性がある。
私の小中学時代の同級生が氷神イナリの名前を聞き、『ん? そんな奴いたな』と卒業アルバムを開けば『こいつの髪と目の色まんまじゃねぇかー!』となるわけだ。
顔がバレたら住所がバレるのも早い。
ネットを甘く見てはいけない。
いや、氷神イナリとかいう名前は自分から肩あげてんのかってくらい脇が甘いんだけど。
「嬉しくないの? お姉ちゃんならうぇへへ、同時接続数がエライことになってガッポガッポだぜ、とか目をお金にすると思った」
「二重の意味で家族会議を開いた方が良さそうだな」
メガネを掛けるように、指で丸を作った妹にジト目を向ける。
私は家族に迷惑をかけるかもしれないため、胃がキリキリしながら情報を集める。
スマホでXXを開き、エゴサした。
氷神イナリの名前がインターネットで話題になり、多くの人が呟いている。
『ダンロボ使うの上手くね?』
『声が可愛い女の子が操作しているのもポイント高い』
『可愛くて面白いのに、強いとか最高か?』
『ああ、しかも巧い。ブラッディベアー戦とか予測力がずば抜けてるぞ』
『他のダンロボ使いを見るにラグがあるのに、めちゃくちゃ綺麗に動いてる』
「……」
こんなに人に褒められたのは、初めてだ。
何ともむず痒く、照れくさい。
私の手は自然と私を褒める言葉を探し始める。
そうして、私はエゴサに沼った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
「うぇへへ……へ?」
妹に肩を揺さぶられ、私は現実世界に引き戻される。
「お姉ちゃん顔出し配信したら? 見てくれは美人だしインパクトあるし」
「お、おおう?」
「バズってる間に顔出ししたら、注目集まるでしょ」
我が家の次女は神童かもしれない。
確かに今の状況は、よく考えるとチャンスでもある。
この注目を利用しない手はない。
「顔出しかぁ〜。ありと言えばありだな」
「お金もガッポガッポ」
「それは収益化の審査が通ったらね」
まだ収益化は通っていないため、金銭的な利益は発生してない。
収益化とは、すると活動に応じた(ダンジョン配信の場合は、動画の再生回数に応じた)お金を貰えるようになることだ。
そのためには配信サイトの親、ダンジョンレコードに申請して狭き門を通してもらう必要がある。
ダンジョンレコードの審査は厳しいことで有名だ。最低1万人のチャンネル登録者が必要で、人格や精神面も考慮される。
というのも、覚醒者の本業はモンスターを討伐することだ。配信をすると余計な考え(バズることや配信映え)を気にして、命を落とす可能性になる。
だから厳しいのだ。
「時間かかるの?」
「まあまあ掛かると思う」
私はバズった影響で、チャンネル登録者が10万人になっている。そっちの条件はクリアしたが、人格面の審査が問題だ。
一度の配信で人間性を推し量ることはできないため、時間はかかるだろう。
「そういや、なんでわざわざバズってること教えに来てくれたの?」
ふと疑問が湧いてくる。
引きこもる前は仲良かったけど、それを境に反転アンチとなったファンのように辛辣だったのに。
心境の変化でもあったのだろうか?
「お姉ちゃんがモンスターと戦うの、昨日初めて見た」
「うん」
「私友達100人いるでしょ?」
「え、うん」
待って、急に自慢が始まったんだけど。
私は一人を好むソロだが、何故だろうか。
胸が痛い。
「お姉ちゃんのこと知ってる人がクラスにいて、モンスターと戦うのが怖いなんて馬鹿だなって言ってた。私もそうだと思ってた。でも、違った」
「……」
妹の目はかつてないほど真剣だった。
「おっきぃ熊さんと」
「ブラッディベアーね」
おっと妹、なぜ姉睨む。
間違いを訂正しただけだろう。
「ブラッディベアーを見るまでは正直、モンスター弱くね(笑)? て思ってたんだけど、ブラッディベアーが出てきて、叫んだのを見た時、私は立ち向かえないって思った」
魔素と適応していない非覚醒者としては当然の反応だ。
でも妹はそれで、分かったのだろう。
モンスターの怖さを。
「ダンロボを吹き飛ばした時には無理だ、勝てないって諦めて」
「うん」
「でも、お姉ちゃんは最後まで諦めなかった。頑張ってた。私もパパもママも応援してた」
「え? そうなの?」
「リビングのテレビで見てたから」
「うわ、恥ずかし」
「お姉ちゃんが本気で頑張ってたから。それでブラッディベアーを倒した時、私はお姉ちゃんの気持ちが分かって、知って、凄いなって思った」
「見直した?」
「うん。だから……ごめんなさい」
ペコリと頭を下げた。
今までの行動を謝るための謝罪。
その頭に手を置いて、私はショートヘアーの黒髪を撫でて上げる。
「いいよ。私は希のお姉ちゃんなんだから」
「……うん!」
希は元気良く顔を上げて、笑った。
私も笑った。
温かい気持ちになりながら、頭を撫でて。
希は気恥ずかしそうに頬を染めて、そうして身を翻した。
「じゃ、私リビングに行くね。昨日のお刺身まだ残ってるけど、早く来ないとなくなっちゃうよ」
希は早口気味に言うと、トテトテとした足取りで扉に行く。そんな希の背中を眺めながら、私は思った。
あの配信はネットだけでなく、身近な所にも影響を及ぼしていたようだ。
配信を始めたのは本当に大成功だったな。しみじみと噛み締めていると、扉を開けた希が何かを思い出したように振り返った。
「ニートを卒業したように、引きこもりも卒業しようね」
「!? きゅ、急にどうしたの?」
「さっき成瀬美羽って人から電話が掛かってきて、お姉ちゃん学校に行かないとダンジョンに潜れなくなるって言ってたから。じゃ」
「──」
バタンと閉まった扉を見つめる。
冷水をかけられた気分だ。心臓が嫌に高鳴っている。
希は、私が引きこもりを卒業すると思っていた。
これで月曜日の明日、学校に行かないとせっかく和解したのに姉としての威厳が砕け散る。
「委員長……やはり私の天敵だったか」
ダンジョンアカデミーには行くつもりだったが、完全に包囲網を敷きにきていた。
私に対する信用を感じられない。
「さて、昨日の私よ安心して欲しい。未来の私は新鮮な脳みそで秘策を思いついたから!」
そうして私は昨日と同じように、けれど過去とは違う足取りでリビングに向かった。
お刺身は既に食べ尽くされていて、私の朝ご飯は納豆巻きだったとだけ言っておこう。
……どうしてこうなった??