あなたに出会ってからの物語 ⑦
(アンリエッタ嬢については報告した。彼も、彼女を監視するだろう)
いや、あるいは、後顧の憂いを断つために療養と称してどこかに移すかもしれない。
アーロンとアンリエッタの関係は酷く危うい。もし社交界に知れれば、その迷惑は彼女たちだけではなく、もちろん、バーチェリー公爵家も被ることになる。
間違いなく、当事者のアメリアは奇異の視線に晒されるだろう。
「……それだけは、避けたいな」
ぽつり、呟いた。
例えそれが驕りだと言われても、やはり、必要以上に彼女を傷つけたくないのだ。
いや、許されるなら彼女が何も知らない間にことを終わらせてしまいたい。
そう思う自分の傲慢さに鼻で笑う。
だけど、どうしても考えてしまうのだ。
「……幻滅させろ、か」
リックの言葉を再び思い出す。いつもの軽口の類だと思って聞き流していたが、あれで彼は重要なことを言っていたらしい。
その後、俺は、待たせていた護衛騎士二名に声をかけると、預けていた馬に乗り、城に戻った──のだが。
後日、俺を待っていたのは思いもがけない報告だった。
☆
証拠書類は揃った。後はこれを、貴族院に提出、陛下の認知が必要となる。
逆をいえば、それさえ済ませてしまえばアーロンを公的に抹消することは可能だ。
しかし、その前にアメリアに話をするべきだろう。
(……なんて言って、声をかけるかな)
『久しぶり?』あるいは『元気だったか?』
……白々しい。
胡散臭い笑みを貼り付けて彼女に言う自分の姿を想像した俺は、重たいため息を吐いた。
今日も今日とて、研究室にこもり、アーロンの件の、最後の詰め作業にかかる。
ちなみに、この件を俺はイカサマ脱税事件と呼んでいる。
契約書の筆跡も確認できた。
後は、税務部所属の文官と貴族院の官僚を数人引き連れ、スペンダー子爵家に向かい、アーロン・スペンダーの身柄を拘束するだけだ。
アーロンもそうだが、父親スペンダー子爵はさらに悪どいをしているので、ふたりまとめて捕縛、投獄、更迭と三拍子揃うことはまず違いない。
アーロン・スペンダーの十個離れた弟だが、彼自身はこの件に無関係だろう。
事情聴取は必須だが、聞くことを聞いたら解放し、然るべき場所に保護してもらう必要がある。
やることは目白押しだ。
そう思ったところで。
扉がノックされた。
ノックされたので、いつものように突然乱入してくる兄たちでないことは確かだ。
「殿下。アランです。至急、ご指示を仰ぎたい要件がございます」
その声は、俺の近衛騎士でもあるアランだった。
「入れ」
「はっ。失礼いたします」
入室してきたアランは、赤髪に同色の瞳をしている。
長い襟足をひとつにまとめ、少し幼さの残る顔をつきをしている彼だが──今だけは、焦っているようだった。
「何だ?」
「……殿下のご命令で監視していたアーロン・スペンダーですが、つい先程」
「…………」
「ご婚約者のアメリア・バーチェリー公爵令嬢を連れ、市井に向かいました」
「それで」
「それだけです。しかしアーロン・スペンダーは先日の賭博ポーカーで大負けをしたばかり。このタイミングです。どうも気になり──」
俺は、アランの言葉を遮り、言った。
「いや良い。早い報告、助かった」
俺は手早く書類をまとめると、アランに指示を出した。
「急ぎ、向かうぞ。場所は?」
アランの答えた場所は、最悪なことに連れ込み宿──つまり、いかがわしげな店が立ち並ぶ街通りだった。
☆
アーロン・スペンダーは、つい先日賭けポーカーで大負けした。
組んでいたディーラーに裏切られたのだ。一瞬のうちに莫大な借金を得ることになった彼は、ついに自身の家門、さらにはバーチェリー公爵家の家門をも質に入れた。
『自分が公爵になるのは確定している。だから、賭け金は爵位を継承したら支払おう』
もし、自分が雲隠れしたならば、バーチェリー公爵に請求してもらって構わない、というようなことまで言ったのだ。
これは、彼につけた俺の部下から聞いたことなので、間違いない。
ディーラーに裏切られたことで相当動揺していたようだが、その後、アーロンは毎夜のように紳士クラブに出没していたというのに、急に邸に籠るようになった。
何かする、とは思っていたが──まさか。
公爵位を確かなものにするために、アメリアに手を出そうとするとは。
アーロンには、アメリアなど爵位を背負った鴨のようにしか見えないのだろう。
確かに社交界デビューした夜の彼女は、不安げで、いかにも落としやすい貴族の娘、といった様子だった。
話しかけるか迷ったが、公の場で第三王子から声をかければ、目立つのは必然。
彼女に緊張を強いたくなかったし──
(いや、言い訳だな)
結局のところ俺は、彼女に拒絶される──拒否される可能性に恐れて、動けなかっただけだ。
急いで羽織っていた白衣を投げ出し、研究室を出る。
この下はシャツ一枚だが、仕方ない。
今は一分一秒を争う。
「ちっ…」
短く舌打ちをし、俺は厩へと向かった。
馬車では遅い。
厩から一番の早馬を連れ出すと、俺はそのまま城を出た。
慌てて、アランもそのあとを追ってくる。
アランから報告を受けた場所に向かうと、アーロンの監視担当の部下が手短に状況を報告する。
「アメリアが連れていかれてから、時間は?」
「まだ五分程度です。こちらです」
案内に従い、向かうとそこは三階建ての戸建てだった。
あからさまに、そういう用途の店である。
「ここは──」
「アーロンがよく使う店ですね……。これは、まあ、なんと言いますか」
『流石にこれはねぇな』と思ったのだろう。
いつも軽口を叩くアランですら、その表情は引き攣っている。
「ヤケが回ったか……。もう少し賢い男だと思ったが……いや、それはいい。踏み込むぞ」
「お待ちください、殿下」
待ったをかけたのは、もうひとりの護衛騎士であるフィリップだった。
彼は元々リックの護衛騎士だったのだが、腕が立つということでリック自ら、俺の護衛騎士へと異動するよう命じた経緯がある。
が、今は些細なことなので、割愛する。
黒髪を撫で付け、高位貴族、ハッチンソン公爵家出身なだけあって、品格を感じさせるフィリップは、静かに言った。
「突然乱入するのは悪手です。殿下がこの手の宿を頻繁に利用されていると噂を流されたら面倒なことに──」
流石、高位貴族の出なだけある。
俺が介入することで起こる問題は予測済みらしい。
フィリップの懸念ももっともだ。
だが、ここで後手に回るほど俺は呑気な性格でもなければ、余裕があるわけでもない。
俺は、監視役の部下を呼び寄せると、言った。
「彼を今から、俺の取引相手とする」
「えっ」
「は──」
フィリップとアランの驚きの声が重なった。
監視役の部下は、流石に暗部の人間なだけあって、驚きは見せない。
「フィリップとアランは顔が割れている。だが、彼なら気づかれることもないだろう。念の為、帽子は被っておいてもらうが。──突入するぞ」
「お待ちください!護衛もなしに──」
フィリップの静止の声もふりきって、俺は店内の扉を開いた。
【二章 完】




