あなたに出会ってからの物語 ⑤
公爵は、その時のことを思い出しているのか、自身を僕、と呼んだ。
「アメリアを置いて、空想の世界に逃げ込み、ふたたび過ちを繰り返すところだった。今、ジェシカに会ったら私は間違いなく、彼女に張り倒されることでしょう」
「前夫人は活発的な方だったのですね」
前夫人のジェシカ・バーチェリーは、アメリアによく似た容姿の女性で、大人しく、淑やかな性格だったという。
だが、公爵から聞いた人柄とは随分異なっているようだ。
俺の言葉に、公爵は笑った。
「彼女はたおやかな女性でしたが、芯は強かった。一度怒るとなかなか許してもらえなくてね。……今はとにかく、彼女に許してもらえるよう、励むばかりですよ。そのためには──まず、あの子の婚約について、ですね」
そこで、公爵は本題に入った。
『彼女の婚約者のアーロンについて、不審な噂を耳にした』という話は事前に彼に伝えている。それに加え、彼自身、独自に調査したのだろう。
公爵は、それまでの温和な雰囲気ではなく、鋭い眼差しで俺を見た。
「遅くなりましたが……殿下の、本日のご用向きをお聞かせいただけますでしょうか?」
その言葉に、俺は口元に笑みを浮かべた。
彼の本題は、まさに今からする話なのだろうが、俺の目的はまた、違ったからだ。
俺の話を聞くと公爵は顎髭を撫でつけ、それから大きくため息を吐いた。
「なるほど、賭博に借金……。愛人……は、こちらでは探りきれませんでしたな。既に手が切れている可能性はありませんか?」
「私の調べでは、最後に逢瀬を重ねたのはひと月前。アメリア嬢との婚約期間中ですね」
「…………そうですか」
公爵は重たい声で言った。
彼は俯き、手を組むとその甲に額を乗せた。
どうやら、ずいぶん衝撃を受けたようだ。
「僕が……いえ。私がしたことは、つくづく裏目に出る。アメリアの恋を叶えたいと思い、婚約を整えた」
「…………」
「責任を果たすと言って、アンリエッタを迎え入れた。結局、アメリアの婚約者のアーロンはアメリアを裏切り、アンリエッタは僕を裏切った。……私には、人を見る目というものがないらしい」
「お言葉ですが、公爵。ひとは、過ちを挽回できる生き物ですよ」
自嘲する公爵に、俺は言った。
彼の、良かれと思ったことが全て裏目に出ている状況は確かに気の毒だが、この件は公爵に動いてもらう必要がある。
また、悪癖をはたらかせて酒に溺れられるわけにはいかないのだ。
アメリアの婚約について、王家が介入することは不可能ではない。
だけど、そうすればどうしたって目立つ。
あくまで、王家は請われて力を貸す側でなければならない。
少なくとも、アメリアと俺に何の関係もない今は。
その時、ふと、長く、気になっていた疑問を思い出す。
聞くなら、今がいいタイミングだ。
「……アメリア嬢ですが」
「はい」
「彼女はなぜ、俺──いえ、登城しなくなったのでしょうか?私の気のせいでなければ、彼女に避けられているようだ。もし、公爵が何かご存知なら、ご教授いただけませんか」
「……避ける、ですか?アメリアが?」
そこで、公爵は顔を上げた。
困惑しているようだ。
もしかしたら、公爵は何も知らないのかもしれない。
俺はまつ毛を伏せると、首を横に振った。
「……いえ。私の考えすぎかもしれませんね。アメリア嬢とは長く会っていないので」
「ふむ。確かにアメリアは……少し引っ込み思案なところがありますが……」
(……引っ込み思案?)
彼女が?
彼女は、好奇心旺盛、興味津々、といった言葉をそのまま形にしたような少女だった。
人見知り、という言葉と上手く結びつかない。
今度はこちらが困惑していると、公爵が続けて言った。
「娘の交友関係は、問題がない限りは、彼女に任せております。ですので、申し訳ありません。私にはわかりかねますな」
「……いえ。私の考えすぎでしょう。それより、公爵にお願いがあります」
「お願い、ですか?」
公爵の言葉に、俺は頷いて答えた。
ちょうどその時、扉がノックされた。
公爵が俺を見て確認を取ると、彼は入室の許可を出す。
店の人間が、ワゴンを押して入ってきた。
ワゴンにはいくつかの銀蓋が乗せられていて、どうやら軽食の類のようだ。
チーズやブルスケッタといったものがテーブルに並べられていく。
店の人間が一礼して部屋から去ったタイミングを見計らって、俺は公爵に言った。
「公爵は、アメリア嬢の婚約を解消される予定ですね?」
それは間違いないだろう。
何せ叩けば叩くほどホコリが出る男だ。
まともな親ならまず、婚約を継続しようとは思わないだろう。
公爵もそれに違わず、彼は頷いて見せた。
俺は、彼を見つめ、はっきりと言った。
「では──彼女の婚約が解消されたなら。私に、彼女へ婚約を申し込む許可をいただきたい」