あなたに出会うまでの物語 ①
母は、よく泣く人だった。
記憶にある彼女はいつも涙を浮かべては、世を儚んでいた。
「ごめんなさい……ごめんなさいね、リアム。ああ、私の可愛い天使……」
俺の記憶の中で彼女はいつも、泣いている。
だけど、母の暖かい手で頬を撫でられるのは、嫌いではなかった。
☆
リアム・レース・アルカーナは、アルカーナ国の三番目の王子として生を受けた。
母は、子爵家出身の第二妃。
彼女はいつも他人の顔色を窺っては、すぐに涙をこぼす、弱いひとだった。
とある夜会で、王に見初められたのがきっかけで、彼女が王家に嫁ぐことになったと聞いている。どこまで真実かは知らないが。
王族は、正妻のほかに複数の夫人を持つことが許されている。
その血筋を守るためだ。
母は、王の言葉を拒んだらしいが、結果として彼女は王の妻となった。
母は、弱いひとだ。
求められたら拒めないし、誰かに求められないと生きていけない。求められないと、自分に価値がないように感じてしまう。
そんな、人間だった。
そのくせ、精神は細く、王妃に睨まれるとその度にしくしく泣いては息子に縋り付き、最終的に王に慰められる。そんなことを飽きもせずに毎度毎度 繰り返していた。
王は、そんな母を憐れんでもいたが庇護欲も感じたのだろう。
自分が城に連れてきてしまったばかりに、母はそんな人生を生きるほかなくなってしまった。そうした罪悪感──後ろめたさも手伝ったのか、王はその度に彼女を慰めていた。
だけど、母の嘆きに毎回付き合わされる身としては、だんだん疲弊してくるものだ。
何せ、リアムが何を言っても母は聞かず、ひたすら泣くだけなのである。
結局、王でなければ彼女の憂いは晴らせない。
自分が彼女のそばにいても意味が無いし、根気よく彼女を慰める作業にも疲れを感じていた。
この言葉に、この慰めに、意味はあるのか、と。
少しづつ、母との距離は離れていった。
彼女は俺が離れることに恐れを感じ、その度にパニックを起こしそうなほど取り乱していたが、その度に俺は慰めの言葉を吐いた。
『私は、母上の心身のご健康を常に願っております。私は、母上の息子ですから』
毎回、同じ文句を口にしては彼女を寝室に送り戻す。母は、調子のいい日以外は基本的に、寝室で一日を過ごしていた。
彼女の気鬱が晴れればいいと思っていたが、僅か十歳足らずの子供にできることなどたかが知れている。
できることと言えば、庭園に咲く花を手に持って、彼女に見せることくらい。
だけどそれも、母の体調のいい日にしか、対面は許されない。
その日も、腕に抱いたスノーボールのちいさなブーケは、誰にも渡せずに終わった。
☆
十三歳を目前にしたある日、父である王に呼び出された。
あまり、父という実感はない。
国を統べる王という認識の方が強く、 振る舞いは自然、他人行儀なものになった。
呼び出された場所は、玉座の間だった。
父は、俺を見ると合図を出し、人払いをした。
国王は、金の髪をしている。
歳をとったとはいえ、精悍な顔は変わらずだ。今の歳でこの容姿なら、若い頃はさぞや女にモテたことだろう。
そんなくだらないことを考えていると、父に名を呼ばれた。
「リアム。……元気だったか。なかなかお前との時間を取れず、すまないな」
「お心遣い、感謝いたします」
不意に、王は手に持っていた書類を机に放った。おそらく、今も公務の途中だったのだろう。
「近くで顔を見せてくれないか」
「はい」
数歩、歩みを進め王の前に出る。
王は、俺のことをじっと見つめた後、目を瞑った。
俺の顔立ちは、母によく似ているらしい。自分自身、確かに面影を感じるので、他人から見たらより一層そう感じることだろう。
王は、僅かな沈黙を保った後、こう続けた。
「もうすぐ、お前は十三を迎えるな。喜ばしいことだ」
「ありがとうございます、陛下」
「では、リアム。今のお前はなにか、欲しいものがあるか?」
「欲しいもの、ですか?」
「ああ。ようやくお前も十三を迎えるからな。妖精の愛し子ではなくなった、ということだ」
なるほど、と内心頷いた。
この国では、十二歳までの子供は妖精からの預かりものだとされている。
おそらく、昔は病気などが理由で早世することが多かったのでそれが理由だろう。
その名残が、現代にも続いているだけの話だ。
そのため、十三歳を迎え、妖精からの預かりものではなくなると、それを祝福する風習がこの国にはあるのだ。
考え込んでいると、父がさらに続けた。
「ロイドもリックも、お前と同じように十三の祝いをしてやったものだ。月日が経つのは、早い」
ロイドとリックは王妃の息子だ。
ロイドは俺より十二個年上、リックは俺の三個年上。
この、リックという男がめんどうだった。何かにつけて、俺に因縁をつけては絡んでくるためだ。
王位を狙うつもりもなければ、政争に関与する気もない。
そもそも、毎日のように泣き濡れる母を見ていて野心など芽生えるはずもなかった。
どこか、辺境にでも引越して静かに暮らせればそれでいい。
そう思ったが、第三とはいえ、俺は王子という立場にある。希望が通るはすがない。
そこまで考えた俺は、それなら、と陛下に願い出た。
「研究室が欲しいです」
「……研究室?」
「植物の薬効とその成分の研究をする、研究室が欲しいです」
さらに、俺は言い募った。
研究室が欲しい。
それは、もっと言えば自分の居場所が欲しかったのだろう。
母に縋られては慰める日々。
顔を合わせれば兄には絡まれ、どこにいても息の詰まるような思いをしていた。
だからこそ、思った。
自分の場所が欲しい。
庭園は静かで、ひとりになる時にはちょうどいい場所だったが、しかしあれは自分だけのものではない。自分だけのテリトリーが、欲しかったのだ。
陛下は、予想外の俺の言葉に面食らっていた様子ではあったが──結果として、俺の希望を叶えてくれた。
そうして、王城の一角に、俺の研究室は設けられたのだ。