優しい復讐
冷たい言葉に、顔を真っ赤に染めたのはお姉様です。
私はといえば、はらはらしていました。
リアム殿下は、お姉様が好きなはず……。
今、彼はどんな思いなのでしょう。
ちらちら彼を見ていると、お姉様がなにかに気がついたように悠然と微笑みました。
そして、今まで縋っていたアーロン様の手をパシリと振り払うと、そのままリアム殿下に歩み寄ります。
「いいわ。リアム殿下、あなたに嫁いでさしあげる」
「へえっ!?」
思わず、変な声を上げてしまったのは私です。
今、そんな流れだった!?
皆の注目が集まって、咄嗟にぱし、と口元を手で覆いました。お姉様は気分を害したようで、私を睨みつけています。
そんな、アーロン様がだめだから、リアム殿下?
そんなことが許されていいのでしょうか。
というか、都合が良すぎるのでは?
ぐるぐるとそんな言葉が頭の中をめぐります。
(でも……リアム殿下は、お姉様のことが……)
「なによ、アメリア。今まで置物のように黙っていたくせに、今更何か言いたことでもあるわけ」
「え?いや、ええと」
突然鋭い声で名指しされ、何から言えばいいか分かりません。
すると、アーロン様が席を立ち、腕を広げました。
「ああ、アメリア。すまなかったね。驚かせてしまった。違うんだよ、僕が好きなのはきみ……」
「あーら。どの口がそれを言うのかしら?あなたの愛は軽いのね」
お姉様がアーロン様の言葉をさえぎります。
そして、彼女はリアム殿下を見つめ、意味深に微笑みました。
「殿下、どうですか?私と」
リアム殿下は静かにお姉様を見つめています。
ど、どうしよう。
どうしたら。何か言わなければ。
焦りだけが駆け巡り、私は咄嗟に立ち上がっていました。
「思い上がりも程々にしてくださいませ!お姉様!!」
咄嗟に叫んだ言葉は、私自身想像してもいないものでした。
そんなものだから、お姉様も半目で私を見ています。何言ってるの、この子、という顔です。
「はぁ……?」
立ち上がってしまったので、とうぜん。
皆の視線が集まります。
だけどここで引き下がったらただ暴言を吐いただけになってしまうので、私はそのまま心情を吐露しました。
「お姉様は!確かに美しいです。ですが、何もかも思い通りになるとは思わないでくださいませ!」
「なに……」
「お姉様は、あなたご自身が……その価値を貶めているという自覚がおありですか?私は、お姉様が好きでした。憧れていました。あなたのように堂々と、毅然と振る舞いたいとずっと思ってきました。でも……!」
「何よ、気持ち悪い」
その言葉に感じたのは、悲しみ──ではなく、怒りでした。
どうして、ここまで言われなきゃならないんですか!!
憧れてる、好きだ、と言っただけなのに!
感情的になっている自覚はありました。
こんなに大声を出して、相手を責めるのもまた、初めての経験です。
でも、言わなきゃ。
言わなきゃ、伝わらない。
「お姉様は、性格が悪すぎますわ……!」
「な……!」
「せっかくの美貌を台無し、いいえ、マイナス値に大きく振り切るほどの性格の悪さです。見損ないました。失望しました!」
「何なのよあなた、急に!」
確かに、急に、と思うかもしれません。
そう見えるかもしれません。
でも、私だって。
ひととして最低限の矜恃があります。
【悪気なく、他人を傷つける】
それはまあ、まだ許せるのです。
悪気がないのだから、そういうひとなのだと、受け入れることは出来ると思うのです。
受け入れられなければ、折り合いがつかないのであれば。
そのひととの関係を諦めればいいだけの話。
妥協できるなら、我慢すればいいだけの話。
きっと私は、ずっと我慢していたんです。
だって、私はお姉様が好きだから。
憧れていたから。
その好き、という気持ちをお姉様はきっと知っていて、利用したのでしょう。
アメリアなら、何をしてもいいと思っていた。
それなのに、それに気付かずお姉様を慕っていた今までの私は──まるで、馬鹿のようではありませんか。
いえ、きっと、正しく馬鹿だったのでしょう。
それでも、そのまま馬鹿で居続けるのか、と聞かれたら。
【愚かだ】と気づいてしまった以上、改善したいと、それを解消したいと思うのは、きっと、ひととして当然の考えだと思うのです。
──つまり、一言で言うなら、
「私は今、怒っています!」
それに尽きるのでしょう。
お姉様は信じられないものを見る目で私を見ている。
普段、こんなに声を荒らげないから。
反論しない私が反抗したから、動揺しているのだと思います。
今まで、【仕方ない】で済ませていたこと。
きっと、仕方なくなんて、なかった。
「私だって誇れるような生き方や性格はしていません。それは確かです。でも、お姉様のようにひとを貶めたり、悪く言ったり、理不尽に攻撃したりはしたことがありません。お姉様は、どうして私が嫌いなのですか?」
「──」
お姉様は、息を呑みました。
目を見開いて、私を見ています。
──分からない。分からないのです。
彼女に嫌われた、理由が。
私に悪いところがあったなら、知りたいと、そう思うのです。
どうして、こうなってしまったのか。その、原因を。
その時、ふと、お母様の言葉を思い出しました。
『アンリエッタはね、あなたが憎くてたまらないのよ。あの子は愛人の子、あなたは正妻の子……。妬ましかったのではないかしら』
ぽつり、言葉が零れました。
「私が、【正妻の子】……だから?」
そこでお姉様が目を見開いたので、私はその言葉が正解であることを知りました。
それと同時に、目眩すら覚える、衝撃に襲われました。
だって、そうだったら。
もし、それが理由なら。
「そんな……こと、で」
私に、私自身には、理由がない、ということですから。
私の言葉に、お姉様が震える声で言いました。
「それだけ……それだけって、あなたがそれを言うの?アメリア。あなたはほんとうに愚かだわ」
鼻で笑うような声で、お姉様は私をきつく睨みつけました。
「あなたみたいな人間は、生きてるだけでひとを不快にさせるのよ!だから嫌いなの!虫唾が走るのよ。死んで欲しいって思ってるわ!」
「──」
そこまで、言われるほどの、こと?
私が、正妻──お母様の子供だということは?
『あんな、汚らしい色……一体誰に似たのかしら』
アーロン様に言っていた言葉を思い出し、私は一瞬言葉を失いました。
汚い、色。誰に似たなんて、決まっています。
私のこの髪色は、お母様譲りなのだから──。
まつ毛を伏せました。
悲しみに、ではなくて。
怒りに。
「……死んで欲しい?私にですか?それで?私が死ねばお姉様は満足なのですか?」
思ったよりもずっと、静かな声が出ました。
お姉様は、私が落ち込んだと思ったのでしょう。
嬉々とした様子で言いました。
「そうよ。あなたが死ねば私は清々するわ」
(……そう)
お姉様にとって私は、きっと彼女の人生から切っても切り離せないような、そんな存在なのでしょう。
さながら、呪いか、呪縛のように。
もっとも、彼女は誰のせいでもない。
自ら、呪縛を刻んでしまったようだけど。
(私が嫌いなのに、同じくらい、私が気になってしまうのね)
だから、私の友人に悪口を聞かせたり、私の親しいひとを奪おうとしたのです。
なんて、悪辣な。
私は顔を上げました。
彼女は少し、驚いた顔をします。
きっと、私が泣いていなかったからでしょう。
「どうして、そこまで言われなきゃならないのです?」
しんと静まり返ったサロンで、私は彼女を見ます。
お姉様は、確かに美しいひと。
その美貌は、大輪の薔薇のよう。
(ああ、でも)
前に、お姉様は私のことを『野山に咲く花』と言っていました。
きっとあれも、嫌味のひとつだったのでしょう。
そんなことに、今更気がついた。
「ひとの死に幸福を感じるような人生は、さぞや虚しいのでしょうね」
「アメリア……」
お母様が、驚いたのか、諌めようとしたのか。
そんな声で私を呼びました。
だけど、私は構わず続けました。
(皆、私のことを優しいと、そう言うけれど)
……優しくなんてない。
そう思われてきたのは、ただ、私がひどく鈍くて、間抜けだったから。
彼女を増長させてしまったのは、きっと私に原因があるのでしょう。
「誰かを憎むだけの人生。それに、何の意味があるのですか?お姉様、あなたは今──」
私は、お姉様を見ました。
美しくて、誰からも必要とされて、満たされた人生を送っているように見えた、お姉様。
私の目は、なんて節穴だったのでしょう。
何も、知らなかったのです。
「幸せですか?」




