2011.3.11の香川家
2011.3.11の本震の際に、香川家は奈良県にいました。奈良先端科学技術大学院大学(以下、NAIST)のオープンキャンパスが3月12日にあったからです。
ちょうどその時、私は高専3年生で、高専卒業後に就職するか、どこかの大学の3年時に編入するかを悩んでいました。また、進学するにしろ、大学はどこがいいかも調べ始めていました。父親がなんかすごそうな名前の大学があるということで、オープンキャンパスと奈良観光に行こうという提案で、家族旅行をしていました。父は寺や日本の歴史が好きなので、NAISTを出汁にして観光したいというところでした。高専からNAISTは実際直接進学できません。大学を経由する必要があります。
奈良の大仏を見ているときに、3.11の本震が発生しました。
その日の夕方のホテルで津波の様子を知りました。津波で、壊れる様子は非現実的でした。家の状態や母方の祖母の様子が気になるということで、旅行日程を変更し、3.12に奈良から日本海側から、福島に入り会津、中通りというルートで帰ることにしました。
私が、高専に進学しなかったら、NAISTのオープンキャンパスがなかったら、父が寺好きではなかったら、香川家の将来は、相当変わりました。もし、旅行していなかったら、家族は以下のようになっていました。
父親 ⇒ 勤務先で、津波で流されていた可能性が高いです。休みを取っていなかったら、津波の被害が大きい場所での作業だったみたいです。代わりに出社した同僚は流されたそうです。
母親 ⇒ 15時ごろは、国道4号線を運転することが多かったです。津波は国道4号線まで来たそうなので、運が悪ければ流されていたと思います。
私、弟 ⇒浪江にいました。後ほどわかりますが、実家の家具などは倒れており、大きな怪我をしてもおかしくなかったです。家の中で、本震発生時に、この場所にいたら即死あるいは、怪我をしていた場所は、いくつかありました。
小さな偶然が積み重なり、香川家は、家族が誰一人怪我をすることなく、本震の揺れを経験せずに済みました。