原発事故前の香川家の状況
次の話から、原発事故時の様子を書きたいと思います。私の記憶をもとに書いているので、記憶の混乱や認識のずれなどで事実と異なることがあるかもしれません。
次の話から書きますが、その前に、事故前の私及び、浪江町の様子についてお話ししたいです。
【浪江町の様子】
今となっては確かではないのですが、浪江小学校の校庭が全面芝になるという話がありました。また、浪江小学校の通学路がもともと狭く、危ないということで子供たちが通る道の歩道整備が始まっていました。
【私】
県外の高専に進学していました。高専の寮で生活していましたが、春休み期間中は寮が閉まるので帰省していました。家庭で勉強環境が作れない。さらに工学に多少興味があるという理由で、寮がある高専を進学先に選びました。
福島高専は偏差値が高いため、福島県外の高専を選びました。学科は、一番偏差値が低い所を選びました。高専1年生の時の寮生活は大変つらかったのですが、浪江には関係ないので省きます。
高専は5年制で、卒業時には他大学の3年時に編入するか、高専の卒業生専門の専攻科で2年学び学士相当になるか、就職するかの進路選択があります。成績はクラスの上位25%に入るくらいで、大学への3年時編入も狙えるといったところでした。