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思い出  作者: 香川 尊
事故前の浪江町について
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東電さん、原発と私のかかわり (事故前)

 浪江町が所属する双葉郡ですが、原発事故前は原発の恩恵を受けていたように感じます。


 浪江町に、新しくおしゃれで賃貸が高いアパートができたときがありました。誰が住むんだと笑っていたら、「東電さん」用アパートだと母に教えてもらいました。「東電さん」は、東京電力の社員の呼称で、香川家ではたまに出ていました。


 東電さん同士のご両親を持つ家庭は、少し裕福だった気がします。「あそこは東電さん同士でしょ。」という会話を聞いたことがあります。田舎町ですから、子供の友人の親の職業は噂で広がってた気がします。


 母方の祖父母は、零細土木会社を経営していました。昔は、なかなか経営がうまくいかず、いったん破産し、差し押さえまでされたそうですが、その後に原発の仕事をもらえるようになり、人並みな生活ができるようになったそうです。原発は大きい設備です。必然的に、設備のメンテナンスに多くの人員が必要になります。祖父母の会社は、末端ですが、その仕事を受けていました。


 父は、原発の協力会社の社員でした。高校卒業後、他県で就職しましたが母親(私にとっての父方の祖母)の介護で浪江に戻ったそうです。常駐業者だったので、毎日原発まで車で通っていました。仕事は大変そうでしたが、母の給与と合わせて、何とか子供3人育て上げるまでの給与を得ていました。


 浪江町の隣に、原発がある双葉町があります。双葉町にある高校の双葉高校には、少しですが、地元採用ということで高卒で東京電力に就職できるルートがありました。浪江中学校を卒業した後、高校の選択肢は複数あり、偏差値として、原町高校、双葉高校、小高工業高校、浪江高校といった順だったような気がします。ほとんどの学生が上記いずれかに行っていた気がします。私も中学1年生までは、双葉高校に行き、高卒で東電を目指すことも、案として考えていました。


 原発がなければ、おそらく両親は結婚していないし、私も生まれていなかったと思います。原発はすそ野の広い産業で、いったんできれば、周辺地域では高卒、中卒の人間でも職に就け、糊口をしのげるようになります。原発様様で、子供の時も原発の施設(エネルギー館)で遊んでいたので、原子力や電気の理解も、そこそこあるようになりました。


 浪江町と隣町の小高町との境目に、浪江・小高原発の計画がありました。少しずつ、少しずつですが、計画が進行していて、浪江町にも原発ができそうで、町がにぎやかになるのが楽しみでした。

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