町の季節ごとの行事 (事故前)
各季節のイベントについて、私なりに述べます。浪江にいたのは、15歳までなので、小、中学生の話が多いです。15歳からは県外の学校の寮にいました。十日市ついては、後ほど詳細に解説します。
【春】
浪江小学校隣にある中央公園の桜の花が咲きます。浪江小学校に通う際には、中央公園内を通る生徒が多く、小学生の時は、中央公園の桜の下を通って通学するのが楽しかったです。
また、春~夏にかけて校外学習が開かれていました。日光、東京ディズニーランドなどが行先でした。
【夏】
浪江は海に面しています。請戸港があります。浜があります。香川家は、海まで自転車で行ける距離でした。小学生の時は、毎年海で遊んでいた気がします。よく、スコップで砂の防波堤を作っていました。父親が大人用の大きなスコップで防波堤を作ってくれたり、波で壊れるのを楽しんでいました。
また浜近くに、マリンパークなみえと呼ばれる施設もありました。プラネタリウムや公園があり、子供たちはよく、そこで遊んでいました。施設も年を追うごとに更新され、活気づいていたと思います。
また、隣町の原町(いまは、合併し南相馬市となっています。)に相馬野馬追があります。一番最後に、派手な神旗争奪戦を行います。落下傘を発射し、それを取った騎手が勝ちとなります。野馬追のはじめのほうで、浪江町の大通りを馬が練り歩き、中央公園に集まっていました。馬が道路を練り歩くのを近くで見るのは本当に迫力のあるものでした。学校の運動会でも、野馬追を模した人間騎馬戦があったくらいなので、野馬追は文化の中にしっかり根付いていたと思います。
また、福島は桃が有名です。福島の桃は、あかつきと呼ばれる品種が多く、甘く固いです。母が一つ剥いてくれたものは、子供たちがすべて食べてしまいます。苦笑いしながら2つ目を剥いて、それを両親が食べるのが常でした。
【秋】
請戸で鮭が取れるようになります。もともと、黒潮と親潮がぶつかる部分で、宮城~福島~茨城の辺は、良好な漁場になります。さらに原発からは、温水が排出されるので、その周辺の海は冬でも暖かく
魚がよく取れると聞いています。また、請戸では鮭の繫殖に取り組んでいて、安定的に鮭が取れるように努力していました。
地元中学校では、学年ごとに芋煮会が開催されます。学年ごとに水辺に行き、各チームで別れ料理をします。その日は朝から、夕方まで芋煮会で終わります。
十日市と呼ばれる浪江町のお祭りが、毎年あります。秋の金、土、日曜の3日間にわたって商店街があるとおりに出店が並びます。道路中央に出店が背中合わせのように、出店し長い列をなします。出店の並びの端から端まで、素通りして10~20分はかかる印象でした。浪江町を出て、いまだにあの規模の出店の並びがあるのは、ほかの町では見たことないです。それほどすごいものでした。
【冬】
隣町の双葉町で、ダルマ市があります。出店があり、甘酒がふるまわれます。最後、夜になってから、古くなっただるまをキャンプファイヤーのように燃やします。細長い竹の先に餅を指して、その火にあぶって食べます。火は大きく、毎年苦労しながら焼いていました。餅の前に人間が焼けるのではないかと思っていました。
裸参りと呼ばれる、褌姿の男列に、住民が水をかける行事があります。小学生は、その行事に参加します。絵具で使う黄色いバケツの中に水を入れて、男列にかけます。雪の日の年もありました。その時に水の中に雪を入れていたり、雪玉をぶつけた小学生は、あとでこってり先生に怒られていました。
【年間】
福島県の地方分けですが、縦線で3分割して、海側を浜通り、真ん中を中通り、新潟側を会津地方と呼称しています。文化的、気候的に分かれています。
浪江をはじめとする浜通りは海に近いので、他地域に比べ夏は涼しく、冬は暖かく、乾燥しています。雪が積もることもないです。穏やかな気候なので、のんびりした人が多いと聞いています。
中通りは、県庁がある福島市、商工業、文化の中心である郡山市があります。会津は鶴ヶ城があり、独特の文化を形成しています。それに比べ浜通りは、これといった大きな産業や観光地はありませんでした。観光地ではいわきのスパリゾートぐらいです。