浪江町の人の戻りについて
避難解除後、浪江町には自由に入れるようになりました。ただ、住民のほとんどは戻りません。1/10くらいの人口になりました。2万人いた町が2千人ですから、人の気配は薄くなりました。
戻らない理由は多くあると思います。
①事故から6年たち、避難先の暮らしがひと段落したこと。6年という歳月は長いです。アパートを借りての生活もこなれてきます。
②家の解体補助があったこと。震災後の一時期において、家の解体費用を国が持つ、つまりゼロ円で解体できる制度がありました。そうなると、浪江の家を解体し、どこかに新築を立てるかという考えになると思います。そのため、住宅街は歯抜け状態になっています。空き家ではなく空き地がたくさんあります。
③避難先で家を買えるほどの賠償金を受け取ったこと。国、東電からの賠償金は、震災当時浪江に住民票がある住民に対し、一人当たり600~800万くらいもらえたと記憶しています。両親、子供2人の家庭だと、2000~3000万のお金がもらえます。避難先の中通りでは、家を建てた人もいます。その当時は、いつ戻れるか不明だったので、家を建てる人も気持ちもわかります。
震災当時、私の住民票は県外に移していました。そのため、賠償金はもらえませんでした。当然ですね。当時学生ですから、800万円で故郷を売ったと考えると、賠償金もそう悪い話ではないのではないかと思いました。国は温情だなと思いました。
今、私は社会人生活をして、人並みの生活を送っています。仮の話ですが、もし魔法使いがいて、私が1,000万円を差し出せば、事故をなかったことにできると言われたら、払う気がします。(ただ、1億や5,000万円と言われたら、借金しても払うかは怪しいです。)
ただ、東電さんの代わりに、『作業員』『エフレイ』向け単身アパートが増えてきています。なので、事故前とは少し町の様子が変わってきています。