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思い出  作者: 香川 尊
香川家と原発事故
15/25

震災後の私の大まかな人生について

震災後の私について、学生から社会人になるまでの過程を話します。個人的な話が多く、あまり浪江に関係するものはないです。


このエピソードは読み飛ばしてしまっても、次のエピソードなどは問題なく読めるはずです。



 私は高専から、大学の3年次に編入しました。高専は、成績上位50%くらいは進学します。下位50%くらいは就職します。クラスの先生、父親ともに進学を勧めたこと、また震災すぐは就職状況が悲惨だったことが進学理由です。


 大学に進学した後の授業料がタダになる特待生制度がありました。それには高専のクラスで1~2位を取るのが最低条件でした。結果は4位でした。かすりもしませんでした。1~3位の方は勉強量、実験での発想力、人間性どれもすごかった。4位という数字はクラスの誰にも言えずに卒業しました。この数字はあまりにも強く覚えています。銀行の暗証番号にしているくらいです。


 震災後、高専、大学ともに授業料が半額免除になりました。相当お安く修士まで進学できました。大学では、自分が気になることを学ぼうと思いました。


 震災当時の首相が、『私は原子力に詳しい』と述べてたそうです。私はそれを聞いて、原子力分野がそんなに簡単なのか疑問に思いました。そこで、大学では原子力分野を研究している研究室に入りました。修士課程では、原子力の講義を多く受けました。核燃料工学、原子炉臨界工学、原子炉保全システム、放射線計測・・・etc。また在学中に原子力関係の研究機関にも行きました。チェレンコフ光も生で見ることができました。もちろん、線源は水のプール内にあるので、プールに足を突っ込まないように恐る恐る見ました。


 上記の経験を踏まえて、私は、自らを『原子力に詳しい』とは言えません。口が裂けても言えない。素人に毛が生えた程度です。おそらくですが、原子力関連で博士号を取り、原子炉メーカーで最低でも十年の実務訓練くらいはしないと言える状態にならないと思います。講義を受けて、実感しました。原子炉は学問のすそ野が広く、原子炉周りを隅から隅まで理解するのは難しいと感じました。


 修士課程に進学し、就職活動を行いました。東電の会社説明会に行きました。東京の学生には人気だと感じました。東京の学生からは、行ったこともない福島で、大きな事故が起きただけ。という感覚を覚えました。福島の復興関係の部門も募集していました。冷やかしで受けてみようと思いましたが、結局受けませんでした。エントリーシートへ一文字も書けませんでした。結局、原子力とは関係のない会社に入社しました。


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