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思い出  作者: 香川 尊
香川家と原発事故
14/25

2011.4~ 震災後の香川家

アパート生活をして、少しずつ立て直ししていきました。


 春休みが4月末まで延長されたので、その間に家族の布団、衣類、冷蔵庫、キッチン家具など、生活に必要なものを買いそろえ、ひとまず生活できる状態になりました。4月は余震が多かったです。夜中に震度5弱などおきると、なかなか寝れません。ノイローゼ気味になる家族もいました。


 三郎は、学校を引越することになりました。父親は事業所のリストラを始めました。放射線の影響がどうなるか不明ということで、若い順に転職を勧めてました。消耗している様子が分かりました。アパートの隅の部屋で退職を勧めている声が日中は聞こえました。父はリストラがひと段落したら、その会社を辞めて、転職しました。


 私は、県外の高専の寮に戻り、授業を5月から受けはじめました。

 

 2011年8月になると、一時立ち入りできるようになりました。はじめは、中継地点に集合し、不織布でできた防護服を着て浪江に入りました。墓石は倒れたままでした。一時立ち入りについては、年を追うごとに、徐々に規制が緩くなっていきました。防護服は着なくてよくなり、自家用車で入るようになりました。おかげで、お盆の時のお墓参りでお花を上げられるようになりました。


 山あいに住む人の家の方は、自宅のベットでイノシシが寝ていたそうです。また泥棒も、一時問題になりました。


 父方の祖父は、避難先の新潟の病院で亡くなりました。避難後一度も生家に戻らなかったはずです。


 母方の祖母は、2017年の立ち入り解除後くらいのところで亡くなりました。「東電には世話になったけど、最後は余計だったな・・・」とぼやいていました。

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