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思い出  作者: 香川 尊
香川家と原発事故
11/25

居候生活の香川家

居候生活が始まりました。居候先のエピソードが一番書いていて苦痛です。なので描写は少なめになりますがご容赦ください。


 居候は、大変気を使います。家族のトイレは同じタイミングで行うことになりました。水道代の節約のためです。震災後ですから、ガソリンは行列に並んで10lずつもらうようになります。居候先の人の分まで並んで差し上げたりしました。居候先の方が絶対君主です。両親も、私たち子供もおだて、気をよくしてもらおうと必死でした。家族の形に大きな異物が入っている感じがして、辛かったです。


 日中、父は避難場所で祖母を探しました。複数の避難所を探しましたが、見つかりません。香川家では、まだ浪江にいる可能性を考えました。耳が悪く、車も運転できないので取り残されたら大変です。確認に行く必要があります。また、私たちは旅行中だったので、衣服、通帳、印鑑など貴重品を回収しないと生活が苦しくなるのが目に見えています。


 幸い、10km圏内の放射線量は低いことが分かっています。ニュースでは大変恐ろしい表現になっていますが、父や私は放射線の知識があるので、健康被害はなく、影響を大きく見積もってもレントゲン1回とったくらいの被ばく量だと思っていました。春先のスギ花粉のほうが健康被害、寿命への影響があると思っていました。


 そこで、父、母、私で香川家に無断侵入することにしました。10km圏内は封鎖されているとのことでしたが、避難所での噂では地元民しか知らない小道は封鎖されていないということでした。浪江に行くルートは、浪江町の北側から、国道6号線から南下するルートか、浪江町の西側から山道から入るルートがあります。(南には原発があるので無理です。) 4号線は封鎖が厳しいとのことで、西側から10km圏内に侵入しすることにしました。


 大きな道は封鎖されているので、対向車とすれ違えない幅の山道を通ることになります。地震の影響で崩れているとこもありました。私が車を降り、何とか車を切り返して道を戻ったりしていました。母はもし、見つかり警察に捕まったらどうしようと緊張していました。


 まずは、祖母の家に到着しました。台所の下に水が張った桶がありました。そこには黒い線状のものが漂っていました。見つけた父が叫び、腰を抜かしました。それは祖母



ではなく、水で戻し中のワカメでした。祖母はいないことが分かりました。


 香川家の自宅に行きました。ブラウン管テレビなど、多くのものが倒れていました。台所の隅に置いていたジャガイモはたくさん芽が出ていました。服、貴重品を回収し、香川家は帰路に就きました。


 父の車、母が運転する軽自動車の2つの車で帰りました。私は母の軽自動車の助手席に乗りました。母はまじめな性格もあり、警察に見つかったらどうしようと緊張していました。私は終始余裕そうな顔をし、大丈夫だよと言っていました。ただ、私も警察に見つかることを恐れており、背中は汗びっしょりでした。


 祖母はそのあと、避難所で見つかりました。


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