大魔法使いじゃ。杖じゃが。
今は昔、大魔法使いと呼ばれる者がおった。成せぬ事象がないと言われた程の魔法使いじゃった。
その魔法使いよりも古い杖、それがわしじゃ。
誰が、いつ、何のために作ったのか、わし自身にもわからぬ。
わしの役割は、持ち主の力を引き出し、導くことじゃ。それが魔道具として作られた使命であり、杖としての存在意義でもある。
だが数百年、わしは忘れ去られておった。ここ数十年は埃まみれの倉庫の隅で、ただただ時間が過ぎるのを感じるだけの存在じゃった。
それが変わったのは、ある日突然のことじゃ。
誰かの手が、わしを持ち上げたのじゃ。ずっと感じていなかった温もりが伝わってきた。その手は少し震えていて、力強さとは無縁じゃったが、妙に落ち着きのある感触じゃった。
久しぶりの感覚は……違和感じゃった。
この手の持ち主、魔力がまったくないではないか。
驚きとともにわしは目覚めた。と、同時にしまったと思った。久方ぶりの目覚めで思わず魔力をわしを持ち上げた者に流してしまったのじゃ。
ただの杖ならば何も問題はなかったであろう。しかし、わしは特別な杖じゃ。大魔法使いの一部と言ってもよい。わしの力は尋常ではなく、扱える者が限られておるほどだ。
何せわしには膨大な魔力が宿っておる。これに耐えれねば、瞬時に命を削り尽くしてしまう。
そしてその魔力を流してしまったのだ。わしからすれば水1滴ほどの魔力だったとしても、常人には湖ほど量に感じるじゃろう。間違いなく爆発四散じゃ。
名も顔も知らぬ者よ、すまぬ。
だが、それは起きなかった。むしろ、わしの魔力を受けて安定した状態になったとすら思える。
理由はすぐにわかった。
この小僧の体は、魔力そのものを持っておらんが、魔力を蓄える「器」としての容量が途方もなく大大きかった。それも歴史上例を見ぬほどの規模で、わしの魔力を無理なく受け止めている。
……何者なんじゃ、この小僧は
そう思いながら、わしはしばらくの間、小僧を観察することにした。
小僧は埃を払うようにわしを軽く振ったり、じっと眺めたりしておった。試しに魔法を使おうとする素振りを見せた故、慌てて先ほどの魔力を回収した。
危ない所じゃった......何の魔法を使おうとしたのかわからんが、なんであろうとここが吹き飛びかねん。
「なんだこれ……ただの杖?」
その呟きには、少しばかりの失望が滲んでおった。
この小僧、わしを「ただの杖」などと思っておるが、すぐにその考えを覆してやろう。
小僧は、わしを連れて学園の入試試験というものに向かった。
会場の周囲には数多くの魔法使いの卵たちが集まっておった。彼らは次々と自らの力を披露し、炎を操り、雷を落とし、氷を作り出していた。
随分と、衰退したものだ。
過去の魔法使いと比べると現代の魔法使いは魔法使いとは呼べぬ。強いて言うならば、魔力を扱える者じゃな。
久方ぶりの世界にしばし落胆していると、小僧の出番がやってきた。
わしを握りしめて前に進むその足取りは緊張で震えておった。だが、その手の温もりには、どこか必死さが感じられた。
まったくしょうがないのぉ。
小僧が手のひらを掲げた瞬間、わしが手伝ってやった。
会場を包み込むほど眩い光を発した後、試験台を跡形もなく吹き飛ばしてやったのじゃ。
周囲がどよめき、試験官が目を見開く中、小僧はただ呆然としておった。
「……僕じゃない、今のは杖が……」
弁明をしようとした様じゃが、その言葉はかき消された。試験官は「素晴らしい才能だ」と褒め称え、周囲から尊敬の視線を向けられる小僧は、ただ頷くことしかできなかった。
こうして小僧は、魔法学園に「逸材」として迎えられることになった。
さて、どうするか。
わしを扱える魔力を持たぬ者。せっかくこのような珍しい器を持つ者と巡り合ったのじゃ。この先、小僧がどう成長していくのかを見届けるのも、悪くないかもしれん。
こうしてわしの新しい日々が始まった。魔力を持たぬ少年を、魔法使いとして見せかける日々が。
たとえば、最初の授業ではこうじゃ。
自身の魔力を集め放出するという課題じゃったが、わしの魔力を小僧に流し、ついでに形も整えてやった。
すると小僧はそれが評価され、出世したらしい。あの程度、昔は子供でもできたのじゃが、やはり随分と技術力が落ちておる。
紙を宙に浮かせ続ける授業というのもあったな。なぜわざわざ風を調節するのかわしには理解できんかった。直接繋げて動かした方が早いじゃろうに。
風を使って紙で鳥を折った者がいたが、あれはなかなか見どころのある者じゃったな。
魔法陣を描いた時には、我ながら美しい陣を作ってやった。発動すればあの室内を一瞬で火の海にできる力作じゃった。
召喚魔法でドラゴンを召喚したのは失敗じゃったの。敷地が小さすぎて頭しか呼べんかった。ワイバーンにするべきじゃったな。
しばらく共にしていると、意外にも小僧に感心することも増えた。この小僧、勉学に対しひたむきに真面目なのじゃ。自身では使い道がないとわかっているはずの理論と知識を楽しそうに読み込んでおった。
懐かしい。記憶に残る彼らもまた、小僧と同じ様な顔をしておった。その時に話す事のできないもどかしさを感じたのも、また懐かしかった。
暑さが過ぎ、肌寒くなってきた頃に模擬戦の授業が始まることになった。
模擬戦と聞いて、小僧は目に見えて動揺しておった。「対人」という言葉に恐れを感じたのじゃろう。普段の授業なら、わしが勝手に動いても問題はない。だが模擬戦は話が別じゃ。下手に力を使えば、相手に致命傷を与えるかもしれん。小僧の心の中にある恐怖は手に取るようにわかった。
まったく心配性なやつじゃ。わしがその程度の加減を間違えると思うとは。
魔法を使う必要すらない。現代の魔法使いなど、わしには赤子も同然。ただ小僧を魔力で覆ってやるだけで、何ものも通さず何ものも防げぬ無敵の鎧の完成じゃ。
ただそれでは面白みにかける。多少は戦いをせねばな。
模擬戦当日、小僧はやはり緊張しきっておった。相手は特に優秀と噂される者。演習場には興味津々の者達が集まり、彼らの視線が小僧の肩にさらに重くのしかかっておるようじゃった。
合図が鳴り響くと同時に、相手は炎の弾丸を放った。その弾丸は空気を切り裂くように真っ直ぐ小僧に向かって飛んできた。小僧は硬直して動けず、ただ目を閉じるばかり。
全く仕方のないやつじゃ。
わしは魔力を放出し、光の壁を作り出した。その壁が炎を受け止め、反射するように弾き返した。演習場がどよめき、小僧は驚きと安堵が入り混じった表情をしておった。
相手は次に氷の槍を生成し、再び攻撃を仕掛けてきた。わしはまたしても光の壁でそれを防ぎ、槍は宙を舞って砕け散った。
これではただの防御戦じゃな。
小僧のために少し攻めの手を見せてやろうと考えた。相手が雷の魔法を放った瞬間、わしは同じ雷の魔法を発動させ、相手の雷を弾き返し、そのまま相手の動きを封じてみせた。
あっけないものじゃ。
「試合終了!」
声が響き渡り、演習場には拍手と歓声が溢れた。小僧は呆然と立ち尽くしておったが、周囲の反応に対して曖昧に頷いておった。
まったく驚く程、戦闘に向いておらん性格じゃな。
その後も、小僧の周りではさまざまな騒動が起き続けた。わしの存在に気づきかける者もおったが、その都度わしがさりげなく手を貸して、なんとか隠し通してきた。
「おかしいな、この魔法の規模……彼が一人でできるわけがない」とか、
「どうも彼の魔法には何か異質なものを感じる」など、
よく言われたものじゃ。
人間というのは、疑うくせに肝心なところで踏み込んでこない。不思議な生き物じゃのう。
学園内では派閥争いなんぞも頻繁に起きておった。魔法の才能や家柄の違いで生徒たちは対立し、それに小僧は巻き込まれたのじゃ。あの模擬戦の全勝劇が決定打となり、妙な連中がこぞって小僧に絡むようになっておったからの。
そうした中で小僧は機転効かせてどうにか乗り越え、周囲の期待と疑念の間でバランスを取りながら生きておった。小僧は意外と口がうまいのじゃよ。
その頃にはわしも興味と少しばかりの楽しみを抱くようになっておった。
そしてあの日がきた。
学園内に「魔物の侵入」という知らせが響き渡ったのじゃ。わしから見ても学園の結界魔法は強固なもので、おいそれと破れるものではなかったはずじゃった。
知らせを受けた生徒たちは動揺し、教員たちは急ぎ対応に追われておった。
小僧、どうするつもりじゃ。
わしの問いかけは、もちろん小僧には届かない。しかし、表情を見る限り、明確な答えなど持っておらんようじゃった。むしろ、不安と恐怖がその瞳を支配しているのがわかった。
残念じゃ。
これまでの月日の中、小僧がわしの力を自ら使おうとした事はなかった。それでもわしはひそかに期待しておった。いずれ小僧がわしの力を真に理解し、自らの意思でわしの力を使う時がくるのではないかと。
だが、目の前の小僧を見ていると、わしの心に小さな落胆が芽生えておった。小僧の目には決意よりも、ただ逃げたいという気持ちの方が強く見える。
わしは「別れ」という言葉を思い浮かべた。この事態が収束したら、小僧の元を離れるべきかもしれん、と。
わしの役割は持ち主を導き、力を引き出すことじゃ。しかし、小僧はどうやらわしの力を扱うには性格的に向いておらんらしい。無理に共にいることで、かえって小僧の人生を歪めてしまうかもしれぬ。
そのようなことは、わしの望むところではない。
これが最後かもしれんのう。
そんな事を思っておったら、異質な魔力の反応があった。学園の外から、尋常ならざる魔力の波動が伝わってきたのじゃ。何者かが強力な魔法を行使し、この事態を引き起こしていることは明白じゃった。
お主が動かぬなら、わしが動くまでよ。
わしは自らの力で小僧を引っ張り、飛び出させた。
数え切れぬ魔物たちが学園の敷地を埋め尽くしていた。狼型の魔物が牙をむき出し、獣型の魔物が爪を振り回し、空を飛ぶ鳥型の魔物が鋭い声を上げておった。
防御線を張り、懸命に戦っておったが数の暴力には勝てぬらしい。このままでは全滅は免れぬのは誰の目にも明らかじゃった。
学園全体が混乱と恐怖に包まれる中、小僧の手から、これまでと違う微かな気配を感じ取った。
――これは……?
わしはその微かな変化に目を見張った。小僧の手のひらから、じんわりとした熱が伝わってきたのじゃ。それは、わしの力を使おうとしている証拠じゃった。
これまでの小僧は、わしが動くたびに驚き、怯え、ただ流されるばかりじゃった。だが今、小僧の中には明らかな「意志」があった。この状況をどうにかしたい、守りたいという願いが、初めて小僧の心から湧き上がってきておったのじゃ。
――遅いわ、小僧。もう少し早く気づいておればのう。
魔物の襲来と同時に事態の収束もできたじゃろうに。
だが、戦いには向いておらぬ性格の小僧にとって、これが限界なのじゃろう。
小僧の体を引き寄せるように魔力を注ぎ込み、わしは敷地の中心へと導いた。そこは魔物たちが最も密集する危険な場所じゃった。
「なんでこんなところに……!」とでも思っておるのじゃろうが、小僧に選択肢などない。わしが動くことでしか状況は打開できぬのじゃからな。
魔物たちが小僧に気づき、一斉に向かってきた。爪、牙、そして羽音が迫る中、小僧は本能的にわしを振った。止まれ! という願望にわしは即座に拘束魔法を発動し、周囲の魔物たちをその場に縛り付けた。
魔物は微動だにしなかった。わしが自ら発動する魔法は十分に強力じゃが、それ以上の威力を発揮しておった。
わし単独で魔法を放てば、それは単なる道具としての力でしかない。だが、持ち主を媒介にすれば、その意志と感情が加わることで、魔法は一層強大かつ繊細なものとなる。
これもまた、懐かしい感覚じゃった。
小僧が呆けた表情を浮かべる中、わしは振動し、早く次の一手を求めた。これでは一時しのぎにしかならん。もっと決定的な策を講じねば、学園全体が崩壊する。
小僧の脳裏には授業で学んだ知識が浮かんでおるようじゃった。しかし、それらの理論を実行するにはまだ未熟。ならば、わしがその全てを肩代わりしよう。
小僧が「こうしたい」と願うイメージを感じ取り、それを即座に実現するべく、わしは魔力を解放した。魔法の波動が一帯を包み込み、魔物たちは次々と吹き飛んでいく。
魔物が消え去ると、わしは次の動きを開始した。地面に大きな魔法陣を描き始め、結界の再構築を目指したのじゃ。魔法陣が完成し、その力が解放されると、学園全体を覆うような光が広がり、結界は修復された。
これで一息つけるじゃろう。と思ったのも束の間、わしは異変を感じ取った。
突然、わしの魔力が激しく震え、小僧の体を引き寄せるように動き出した。わし自身の意思というより、本能のようなものじゃった。小僧の体は宙に浮き、景色が一気に遠のいていく。次の瞬間、視界の先に現れたのは、全身を黒いフードで覆った人影じゃった。
その者はじっとこちらを見つめておった。顔はフードに隠れて見えなかったが、その視線は異様なほど鋭く、まるでわしの本質を見抜いておるような感覚がした。
わしの中で警鐘が鳴り響いた。その存在には、強大かつ不気味な力が宿っておった。それは、わしが作られた古の時代に匹敵するような重々しい魔力をまとっていた。
ここで終わらせねばならん……!
わしは小僧を守るため、そしてこの異質な存在を排除するために、全力の魔力を放とうとした。
しかしその瞬間、フードの者の姿が揺らぎ、まるで空気に溶け込むように消え失せた。
その者が何者で、何を目的としておったのか、まったく掴めぬまま、あたりは静寂に包まれた。
小僧の体を地面に戻しながら、わしは自分の震えが収まらぬのを感じておった。胸の内に、不気味な不安が渦巻いておる。あの者が再び現れるのではないかという予感――いや、確信じゃ。
その後、小僧の名は「大魔法使い」として広まり、学園どころか大陸中に知れ渡ることとなった。
じゃが、これまでの話はほんの一部の出来事でしかない。そして始まりなのじゃ。
わしが小僧の手に渡ったのは、どうやら偶然というわけではないようじゃ。
わしには見えている。この先、さらなる波乱が待ち受けていることを。
じゃが、大船に乗ったつもりでいるが良い小僧。
なんといってもわしは大魔法使いじゃ。
――杖じゃが