8 PRINCESS
サリはジルの塔を出ると真っすぐに城へと戻っていた。やはり今日はいつもより調子が悪かった。締め付けるように痛む頭のせいで気持ちが悪い。今日はもう部屋にいることにしようと早々に切り上げたのだった。
部屋で横になっていると壁の向こうから何か物音が聞こえた。響くように聞こえてきたそれは、誰か客人が来たことを知らせていた。サリや王の部屋は城の入り口から反対側の暗い廊下から城の中央に向かって続く通路の先にある。反対に客人や参謀、ロルカの部屋は城の入り口から近い少し暗い通路から伸びる城の中央に向かう通路の先にあった。部屋同士の入り口は遠いが、城の中央に集まっているのだ。
暫く横になっていたサリは大きな寝台から足を降ろした。黒いレースのカーテンを少しよけて空を見上げると月は真ん中池を越えて沈み山に向かい始めたところだった。横になっていたおかげか、少し気分が良くなっていた。客人に挨拶をしに行こうか、とぽっかりと浮かぶ丸い月を眺めながら考えていると慌ただしく扉を叩く音が聞こえた。
「サリ様! サリ様いらっしゃいますか!」
「ロルカ? どうぞ」
サリは尋常ではない様子のロルカの声を聞き、すぐに扉を開けてロルカを部屋へ迎え入れた。息を切らせ、大きな瞳を更に見開いたロルカは、ちょっと怖いと思いながらも椅子に座らせて落ち着かせる。
「何かあった?」
「ごめんなさい! 慌ただしくて!」
「かまわない。何があったの?」
「ありがとうございます!」
なんと優しい我が主! サリの落ち着き様と優しさに感動し、大きな瞳から大きな涙が零れそうになる。しかしロルカはぐっと涙を引っ込めると、一つ息を吐きサリの細い肩に手を置いた。
「落ち着いて、ください」
「落ち着いている」
「ちがった! 落ち着いて、聞いてください!」
「わかった」
「さ、先程お客人が、いらっしゃいまして、ふう、その方が人間なのです!」
「人間……?」
支えながらも必死で話すロルカの言葉を聞いてサリは眉を寄せた。人間とは……。
「生きた人間ということ?」
「!! そ、そうです! そうなんです!」
「……何故」
言わばこの世は死後の世界。生きた物は人でも犬猫でも、草や花だって辿り着くことはできないはずなのに……しかしロルカの様子から嘘を言っているようには見えないし、そんな嘘を付くとも思っていない。ロルカの背を落ち着かせるように軽く撫でるとサリはマントを手にした。
「サリ様? どちらへ……」
「王の所へ」
この緊急事態に主が何処かへ行ってしまうとロルカの瞳から不安の涙がついにこぼれ落ちた。話しを聞いてくるだけ、と宥めるようにロルカの真っ直ぐな髪を撫でるとサリは部屋を後にした。
どうしても速くなる足を緩めることができずに、王の間へと向かうサリの息は切れていた。そんな様子のサリを見かけたのはバルバタだった。
「お姫様、お姫様! ちょっと待ちなよ」
「バルバタ、すまないが急いでいる」
「それは見たらわかるが、唇まで真っ白だ」
今にも倒れそうな顔色のサリを心配した言葉だった。サリは足を止めると、少しふらふらとしている事に気が付いた。
「……そうか。ありがとう」
「いいや、何かあったのかもしれんが、あんたが倒れた方がこの世は大変な事態になるからな。自分を大切に」
「ああ。そうだったな」
サリは深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻した。焦ってもどうにもならないと、そう思ってしまえば少しの余裕ができてきた。
「ありがとう、行くよ」
「ああ、気をつけてな」
サリは声を掛けてくれたバルバタに感謝をして王の間へと向かった。
やはり冷静さを欠いていたようだ。王の間へと向かいながら何を話すのか、何も考えていなかった。まずこの事態を王は知っているのか。それ以前に本当に生きた人間が此処にいるのだろうか。だとしたら、どうやって辿り着いたのだろうか。五体満足な状態でいるのか、身体のいくつかの部分が無くなっていたっておかしくはない。実際にサリだって視力を一時期失っていた。今でも光に眼が弱い。暗い廊下もサリの部屋のカーテンが黒いのもその為だった。そんな事情がなければサリの部屋は色とりどりの宝石や明るい色のレースやフリルに囲まれていた事だろう。そう考えるとゾッとする。そんな事を考えているうちに王の間へと続く扉の前に辿り着いていた。
他のどの扉よりも重々しく大きな扉を一度叩く。すると、部屋の中から何かが崩れるような音と慌てる参謀の声が聞こえてきた。これは……。主犯は王だな、とサリの黒い瞳が眇められた。確信を覚えたサリは迷う事なく大きな扉を押し開いた。
「王よ、サリです。入ります」
大きな扉は地獄へと続く扉かのようにゆっくりと軋む音を響かせながらサリを王の元へと招き入れた。