71 claudio
昨夜、アジエーリダからフラットを返すと聞いていた日、あの湖へ行った。月が真上に昇る時と言われたが、真上とは何処か。今日は早めに切り上げると側近に伝え、こそこそと城から抜け出してきた。人目に付かないようにさわさわと揺れる木々に隠れてそわそわとその時を待つ。
アジエーリダ。これからの国を背負わなくてはならない心細い時に現れた彼。この世の者ではないと本人から聞きはしたが藁にも縋る思いで知恵を借りた。本当に信じても良いのか不安は常に共にあったがこの十年程、彼は当初話していた通り人間として生活してみたいだけの様だった。幼い容姿を造って学校に通い、弟の友人として過ごす傍らで素の状態で様々な助言をくれた。信頼関係はしっかりと出来上がっていた。
しかしまさか、そんな彼の口から大切な弟があの世に居るなんて信じられない言葉を告げられた。今までに受けたことの無い衝撃を受けた。一体何を言っているのかと耳を疑った。今までの関係は弟を連れて行くための長い戦略だったのかとアジエーリダに詰め寄った。あの時のアジエーリダは泣きそうな居場所が無いような不安に顔が歪んでいるようだったが、直ぐに顔つきが変わり大丈夫だ、ちゃんと返すと言い残してふわりと消えてしまった。
すぐさまフラットを探しに行った。事情を知っている側近と侍女にも探してもらったが、フラットの姿は何処にも見当たらなかった。そしてフラットが居なくなった辺りから風に乗って黒い塵が飛んでいるのを見た。地面に落ちることのない塵はいつの間にか影のように消えている。不安な事が一度にやって来てどうにかなってしまいそうだった。
それから数日たつと、彼はふらりとバルコニーに姿を現した。驚きに言葉を詰まらせてしまったが、彼は現在の弟の状況を淡々と説明した。直ぐに立ち去ろうとするので三つ編みを掴み引き止めた。彼の首から変な音がした気もしたが、あの時動揺して怒ってしまったことを謝罪した。彼は怒って当然だと苦笑した。応援を呼んでおいたと告げるとまたふわりと消えてしまった。二度と戻ってきてくれないのではないかと、もう一つ不安が増えた。
アジエーリダが呼んでくれたのだろうあの世の王のお陰で事態は終息していった。あの世の王は考えていたよりも神秘的な存在感があった。アジエーリダのように気安く接する事は憚られる。しかしもっと不気味な感じを想像していたから安堵の気持ちと、なぜだか不思議と安心感を覚えた。
湖の周りに霧が出てきた。空は晴れているのに霧は段々と小雨になりしとしとと辺りの静けさを助長する。視界が悪くなり湖面が見辛くなる。目を凝らしていると、小雨ではできないだろう波紋がぽつん、ぽつんと浮かび、何かが湖面に浮き出てきた。二つの目のような物が辺りを見廻しているようだ。来た!
フラットがあの世でどのように過ごしていたのか、アジエーリダの故郷はどんな所なのか、フラットが帰ってきたら誰とも共有出来ずにいた話をしようと楽しみにしていた。しかし、王は記憶を消したという。大切に地面に降ろす処を見ると酷い扱いは受けていなかったようだが顔色が悪い。兎に角早く休ませようと抱えて城へと連れて行った。
目を覚ました弟は本当に何も覚えていない様だった。突けば何か思い出すのではないかとも考えたが、不安定な状態であれこれと聞くのはよろしくなかろうと我慢をした。熱がある以外は身体に問題は無さそうで本当に安心した。
直ぐに微睡み始めた弟に挨拶をすると部屋を後にする。これからどうしていくか、一度フラットと話す必要がある。締めた扉にもたれ掛かると細くなった三つ編みを握り締め溜息をつく。アジエーリダが戻ってきてくれたら色々聞いて相談に乗ってもらいたいと思った。




