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小さな国の小さな領地、港に面した海沿いの街だった。大きな船が休憩地として立ち寄るその街は整備された兵士と気前の良い店が並ぶ商店街、夜になっても灯台の灯りが街を照らす安心安全な地域だった。
「私は領主の館に勤めていました。特に不平不満も無く、街の人たちも穏やかで、喧嘩が起きても譲り合ったり、喧嘩両成敗だったりと、平和な暮らしをしていたのです」
「良い街ですね」
「ええ。良い街だったと思います。子供も多いし、幸せな若い家族が多かった。問題があるとするなら……」
「?」
うーんと、言い方を考えて参謀は口を開く。
「きっと、詰まらないのでしょう」
「……つまらない?」
「ええ」
毎日船がやって来て新たな情報や物が入ってくる港町は賑やかで楽しそう。そして治安も良いとあれば移住して来るものも多かった。しかし定住する人達は一握りしかいない。若い家族が多いのはその為だった。
「毎日寝て起きて食べて仕事や勉強をして家に帰って寝る、この繰り返しを続ける生活。子の成長を見守り平穏に年を重ねていくことを望む人達には良いでしょう。ただまだ若い家族には更に良い土地があるはずだと出ていくもの達が多かった。向上心があるのは否定する事ではありませんから、引き留めるわけにも行きません」
「平和な生活ができるなら、安心して眠れる場所があるならそれだけで幸せではないんですか?」
「……人は欲を持っています。その欲は安定の先にあるのかもしれませんね。悪い事ではありません。家族を裕福にしよう、もっと他の事をやってみたい、それは生活に余裕が生まれると出てくるのでしょう」
「そうなんだ……欲」
「私は、それが無かったんです」
「え? 欲が、無かったんですか?」
「はい。私は平民の生まれですが大人の言う事を聞いて、従って生きているうちに良い仕事に就けた。そして上の人の言う事をよく聞いているうちに地位も高くなっていった。ただそれだけでした」
「それだけって……」
何でもないことのように話しているけれど、嫌なこともあっただろう。ただ従うと言うのは楽な様に聞こえるけど、それだけではないんじゃないだろうか。
「それは、簡単じゃないと思います。ただ従うと言っても、自分の考えと違えば反発したくなったりしませんか? それを我慢できるのは、凄いと思います」
「ふふ」
「?」
「いえ、ありがとうございます。褒めてもらえて嬉しいです」
「あ、すみません、偉そうに」
「いいえ、本当にただ嬉しいんです。生前の私は、ただの不良です」
「え?」
優等生でしょう? と首を傾げるフラットに参謀は首を振る。
「演じていたんです。こう言えば正解、この受け答えが喜ばれる、というのがわかるんです。反対に言えばこうしたらこの人は墓穴を掘るとか、失言を促すように動いたりとか」
「!」
フラットは身を震わせた。冷静に微笑む参謀が恐ろしい。
「しかし分かっていたから、その様にしたから、成功したから、お給料が増えたから、と嬉しいと思う事が無かったのです。私も移住してきた人達と同じく、ただ詰まらないと、考えていたのです」
ふう、と息を吐く参謀はそれでも、晴れやかな顔をしているように見える。
「趣味とか無かったんですか?」
「ははは、ありませんでした」
「好きな、女の人とかは……」
「ふふふ、居ません」
「小動物に癒やされたりとかは?」
「ああ! リスに耳を齧られたことがあるので動物は苦手でした」
「……家族は……居ましたか?」
「はい。勿論両親と、弟と妹がいました。祖母も祖父も元気でしたよ」
「……」
「安心してください。家族の事は愛していました。とても大切でしたよ」
「あ、そうですか……」
ほっとフラットは胸を撫で下ろした。この目の前の微笑みが全て仮面なのだろうかと疑ってしまうところだった。
「私の死因は戦士です」
「え、」
フラットの心臓がどきりと跳ねた。
「安心安全な街だとしても、国からの徴兵はあるのです。我が家からは弟が行く事になっていました」
「……」
「しかし、弟には許嫁が居たのです。お互いに思い合う若い恋人たちを引き離す事は、私にはとても辛く感じられました」
「はい」
「その辛いと感じた気持ちが、私は嬉しかったんです。私も自分を疑っていたのです、愛のない人間なのではないかと」
「……」
「だから、私は喜んで戦争に向かったのです」
「ではどうして」
口を開いてはっと、したように閉じる。フラットは清々しい程に素直だった。そんな様子を参謀が見逃すはずも無く、困ったように眉を下げて笑った。
「フラット、聞いていいですよ」
「……では、どうして、参謀さんは此処に居るんですか」
フラットは参謀に一番聞きたかったことを聞いた。フラットから見て、参謀は仕事ができる、冷静沈着、頼りになる、居て欲しい存在。そんな人だった。この世に居るということは生前に何かやり残した事があるのだろう。こんな完璧な人にもやり残した事があるのなら聞いてみたかった。きっと、愛する美人な奥さんが気掛かりとか、もしかしたら生前も参謀で国の行く末が心配とか、何かの策略に嵌められて無念とか、そのような事があったのかと聞きたかった。しかし、生前の参謀はフラットの考えていた人物像とは少し違っていた。
まさか戦争が原因だとは。それに、欲がないのだと。では何故、この水底の世にいるのだろうか。
「実は死んで初めて、ツボに嵌るという経験をしたのです」




