4 PRINCESS
大広間で三人の気配の手伝いをし、入ってきたときとは反対側にあるもう一つの広間から廊下へと抜けた。城の正門へと続く廊下だ。サリの部屋がある廊下よりだいぶ明るく、燭台も倍くらいあるだろう。お客人も訪ねてくるからだろうか、ぎらりと光る甲冑や何を入れるのかと疑問が沸く程大きな壺が飾られている。揺れる燭台の灯がちらちらと陶器や甲冑の存在を教えていた。
刻の番人、ジルの仕事場は城から少し離れた位置にあった。これは城へ集まってくる気配たちが「刻」に悪戯をしないようにするためであった。サリは気配が付いて来られないように気を配りジルの元へと急いだ。
硬い岩と砂でできた城下には草木や花は見当たらない。昇り山と沈み山に背を向けて城が建っている丘を下っていく。半分ほど下ると崖になっている岩場があり、そこにぽっかりと穴が空き洞窟ができていた。洞窟を十歩も進めば刻の番人ジルの住む仕事場の扉である。サリは扉の黒い取手を引いて中へと足を入れた。
「ジル、居るか」
「あら、お姫様。いらっしゃい」
「突然すまない」
「構いませんよ、さあどうぞお掛けになって。ずいぶん疲れた顔をしているやい」
洞窟の中はしっとりと冷たい空気を纒い水が流れる音がちょろちょろと響いていた。月と太陽を動かす動力源は真ん中池の水だった。どのようなからくりになっているのかはわからないが、サリはこのちょろちょろと洞窟の中を流れていく水を眺めるのが好きだった。水は止まることなく流れて行き小さな月と小さな太陽が浮かぶ水槽へと繋がっている。水槽の近くには半分の月や大小様々な太陽などジルが作った星達の予備が入った水槽があった。
「これ、新しいんでやんす」
ジルは予備の入った水槽から縞々の模様が入った星を取り出した。丸い形の周りに輪っかがついている。
「土星っていうんですって」
「ああ、聞いたことがある」
「へえ! さすがお姫様、新しいでやんす」
「見たことはない。そういう形をしているのか」
「ええ、アジェリダからおしえてもらったんでやんす」
「綺麗な星だな」
「ええ! そうなんでやんす。今日月を沈ませる前に登り山と真ん中池の間に浮かべるんで、見てくんなまし」
「へえ、楽しみにしているよ」
サリの口角がきゅっと持ち上がるのを見たジルは、細い目を更に細めて口を半月のように開いて笑った。失敗は許されないぞ、土星を空に写す準備をしなくては。ジルは鼻息を荒くして気合を入れた。
「ところで今日は何かご用でやんすか? からくりを見に来たんでやんすか?」
「ああ、そうだった。近く城でパーティーを開くんだ。ジルにも出席してほしくて」
「ほお! それは楽しみでやんす。彼等が纏まって返って行く姿は星のようでやんすから。どんな色の月にしやしょうか」
「任せるよ」
「がってんでやんす! みんな色んな色になるからやっぱり月は白い方がいいかしら。でも青い月も幻想的でやんすね。ああ、楽しみだ」
細い目がまぶたの下でぐるぐるとうごいているのだろうか、あっちを向いたりこっちを向いたり、うろうろと歩きながら想像を膨らませジルはうんうんと唸った。
「では、私は城に戻る」
「ええ! お知らせくれてありがとうござんした! あ、サリ様帰る前に一杯のお水を飲んでくりゃんせ」
「ありがとう、でもさっき食事をしたばかりなんだ」
「一杯飲んでくりゃんせ」
「……」
遠慮する、というか要らないというサリに対してジルはぐいぐいと水の入った陶器のコップを押し付けた。いただくよ、と受け取るしかなかったサリは並々と注がれたコップを持ちからくりの縁に腰を下ろした。とても一気に飲み干す事はできそうになかった。
「そういえば、近頃アジェリダをみかけませんね。城にはきてるでやんすか?」
「いや、見ていないな。あちらが楽しいんだろう」
「いいなあ、あたしも本物の空をみたいでやんす。大地も土と草を踏んで歩きたいでやんす」
「アジェリダは特別だからな。羨ましいか」
「あ! 違うでやんすよ? きっとあたしにはこの世が一番気持ちがいいんでやんす」
「行ってみたら違うかも?」
「いいえ、そんな事はないでやんす。ただ、一度体験してみたいなあーと思っただけでやんす」
「ふふ、そうか」
「あ! 土を持ってきて貰うっていうのはどうでやんす! 名案でしょ!」
「いや、試したことがあるんだ。此処へ来る時に真ん中池を通るだろう? 半分が流れてしまって、残った泥は池を出た途端石化してしまったんだ」
「えええ……そんなあ」
「生きたものは此処へは来れないんだ」
「がっかりでやんす……」
ジルは肩を落として首ももたげた。なんとかできたら良いのだが、こればっかりはどうにもできない。サリはようやく飲み干した空のコップをジルに渡すとまた来ると一言添えて黒い取っ手のついた扉から出ていった。
「……やっぱりお姫様の体調が悪いのは食べれる物がないからなんだ。あんなお水を飲むのも精一杯。このままじゃ、お姫様が消えてしまう」
サリの出ていった扉を細い目で見つめてジルは呟いた。