36 Shadows
ざわざわひそひそと何かの気配があった。人の姿は見えないのになんだか圧迫感を感じる。ゆらりと何かが横を通り過ぎた気がした。はっと振り向いても誰もいない。今度は反対側を何かが通り過ぎる。
「害はないから安心して」
挙動不審なフラットにサリは簡単に言って、外の影は見えていたようだけどここの影たちは見えないんだな、と付け足した。フラットはこくりと頷いた。なるほど、害はないけどお化け屋敷ということか。なんだか湿気を含んだような冷たい空気が体の周りを彷徨いているようで背筋がぶるりと震えたけど、気にしないように努めた。
「奥へ行くと大広間へ続いている。その奥が王の間になっているけど、そちらは用事がないのでいいか」
何かが身体に触れるような触れないような、冷たい息をかけられたような顔をべっとりと触られたような広間を抜けて行く。広間の先には狭い空間があった。待合室のような所だろうか。赤いソファがあり帽子を被った小柄な人が座っている。その横に立っている参謀と、ソファの後ろからシシモが顔を出した。
「サリ! 頭痛いの治った?」
「うん、良くなった」
「ふーん?」
ほんとかなー? とシシモはサリの周りを一周するとフラットと手を繋いだ。
「サリ様、無理はしないでください。王に叱られますから、私」
「問題ない」
参謀は本当ですね? と疑いの目を隠しもせずに言った。やはり誰から見てもサリの調子は良くないようだった。フラットも歩きながらサリの様子を盗み見ていたのだが何度か眉間にシワを寄せていた。頭痛はまだあるだろう。
「水槽は大広間に置かせてもらいやした」
「ありがとう。水路から離して問題ないか?」
「水があるうちは大丈夫でやんす!」
「そうか」
サリはよし、と頷くとフラットの方に向き直り刻の番人ジルだと言った。唐突な紹介にフラットはつんのめったがジルはさっと立ち上がり腰を折って挨拶をした。
「はじめやして、はじめまして。ジルでゲス」
「ふ」
フラットも姿勢を正して同じように腰を折ってお辞儀をした。フラットの顔を見上げるジルの細い目が三日月のように弧を描いた。それじゃあたしはこっちでやんすね、というとフラットの空いている方の手を取った。シシモの手よりひんやりとしている。両手が塞がってしまったがなんだろうか。
「俺はバルバタだ」
「?」
「少年の事は何度か見に行ったことがあるよ」
「……?」
フラットは辺りを見渡す。誰かの声が聞こえたけど、ここにいる人達ではない。きょろきょろとするフラットを見てジルが一歩前に出ると手を差し出した。誰かと手を繋いでいるように何かを握るような形になっている。じっと目を凝らしていると、ジルの手にもう一つ大きな手が重なっているのが見えてフラットは肩を震わせた。
「そうそう、そのまま、腕があって、肩があって、胸があって、首、頭、反対の肩、腕…」
「!……!」
言葉のいう所がある辺りを目で辿っていくとその部分が徐々に現れていく。完全ではなく、向こう側が見えるくらいには透けているけど足までたどり着くと大きな男の体がそこにはあった。肩につくかどうかのウェーブがかかった髪の毛にゆったりとしたシャツを着ている。透けているが骨ばった感じの色男が居た。
「見えたかな?」
「ふ!」
こくりとフラットは頷いた。ジルがバルバタの手をそろりと離してもバルバタの姿は見えていた。
「いま繋がったでやんすから大丈夫だとおもいやす!」
「ふ」
「ありがとうジル」
サリにお礼を言われてジルは照れているようだ。
顔合わせも終わったので水槽が置いてある大広間へと参謀が促すとみんなぞろぞろと向かっていく。フラットも両腕を引かれながら足を進めると後ろからシャツを引かれた気がした。また影が、と反射的に後ろを振り向くとサリだった。
「……バルバタは見えなかったの?」
「ふ」
「ロルカと参謀は、最初から見えていた?」
「ふ!」
「ふむ」
何か違いがあるのだろうか。サリは顎に手を当てて考えた。フラットは両手を引かれて大広間へと連れて行かれる。ロルカと参謀はフラットの世話をしていたから一緒にいた時間が関係しているのかも知れない。ジルとシシモはこちら側の者だから見えていたとしても、バルバタはやはり影たちに近いのだろうか。それから、ジルが手伝ってくれたとしてもそんなにすぐに見えてしまうのだろうか。あまり、フラットはこちらの者達と長く過ごすのは良くないように思えた。あちらの世界に帰った時にどう影響が出てしまうかわからない。もしかしたらこのまま……。
「サリ! 早く!」
「うん」
シシモに呼ばれたサリはよろしくない考えを振り払うように頭を降るとじくりと耳の上が痛んで眉間にシワを寄せた。




