16 Flat
サリとシシモが去ってから、ロルカは甲斐甲斐しく少年の看病をしていた。太陽が沈み山に差し掛かろうとしていた。先程までは様子を見ている事しか出来なかったが、今は氷水と清潔な布という道具がある。やる事があれば真剣にこなせるのだ。先程取り替えたばかりの清潔な布が温くなるのをひたすらに待っていた。しかしやはり暇だった。ところでこの少年はどんな人柄だろうか。起きたら暴れだしたりしないだろうか。危険かもしれない。ロルカは何か武器になる物はないかとクローゼットの中を覗いた。何故か甲冑が入っていた。取り敢えず胴の部分だけでも上から被っておく事にした。少しの安心を身体に纏うと、まだ早いかと思いつつも早く取り替えたくて少年のおでこから布を取った。その時、少年が苦しそうに息を吐いた。ロルカはびくりと身体を揺らした。
「……もし? 起きられますか?」
「……?」
少年の目が薄っすらと開かれる。虚ろだった瞳は徐々に焦点が合ってきたようだ。深い緑色の瞳がロルカの瞳とかち合った。
「……緑色」
ロルカは少年の瞳に何故だがどきっとしてしまった。少年は、はくはくと口を動かして何か伝えようとしていた。
「声が出ないの? のどが渇いているのね」
ロルカはサイドテーブルに用意していた水差しから陶器のカップに水を注ぐと少年に差し出した。少年は重たそうな身体をなんとか起こすとカップを受け取りロルカの顔を伺った。
「ああ、悪いものは入っていませんよ。お水です。飲んでくださいな」
ロルカの優しい話し方に警戒心を解いたのか、少年はカップに口を付けた。喉が乾いていたはずだが一口で十分口の中から喉まで潤った。不思議な感覚に少年は少し戸惑った。
「……あ、うう、は」
「?」
少年は潤った筈の口から言葉を発しようとするが、上手く言葉が出てこないのか首を捻ってみては声を出そうとしていた。そしてだんだん顔色が悪くなっていく。
「あなたはお話ができませんの?」
「い、ひは、う!」
「いっひはふう?」
少年は否定するように首を振った。なんと言ったのか。ロルカも首をかしげるが、だんだん眉間にシワが寄ってきた。
「お話はできますけど、声がでなく、なりましたの?」
「!」
少年はロルカの問いかけに頷いてみせた。
「ああ、何ということでしょう……お可哀そうに……」
懸念していた事が起こってしまった。少年は真ん中池に声を落としてきてしまったようだった。ロルカの瞳に涙の膜がはる。少年が発する声は籠もったような水の膜越しに聞いているようで、そしてとても小さかった。
「わかりましたわ。他に、おかしなところはありませんか?」
少年は、自らの身体を確かめるように両手で身体を触った。泥に溺れた身体を足の先から両腕、頭まで確かめた。少し頭がふわふわしているが身体は無事なようだった。少年は今にも泣き出しそうなロルカの顔を見てぎょっとしたが、大丈夫だと言う気持ちを込めてしっかりと頷いて見せた。その様子を見て安心したのか、ロルカは目尻を指で拭うと良かったと言いながら何度も頷いた。
「確認させてくださいまし」
「ふ」
少年は頷いた。
「耳は、聞こえているのですね」
「ふ」
「貴方のお名前を知りたいのです」
「……う、あっるお」
「う、う?」
「ふ、うあっふお」
「ふうあっふぉ?」
中々聞き取りづらくロルカは苦戦したが、少年も上手く話せない事に不安を覚えた。
「ふ、あっとぅお」
「ふ、あっと? ふらっと?」
「!」
「フラット!」
奇跡だろうか、なんと通じた。少年、フラットとロルカは満面の笑みを浮かべて何度も頷いて喜んだ。そして二人共とても疲れてしまった。
「お名前がわかって良かったわ、フラット」
「ふ」
「色々と説明をしたいのだけれど、もう少しお休みになってくださいな」
「ふ、あ、あた?」
フラットはロルカの方に掌を向けて差し出した。
「なにかしら……? あ、私の名前!」
「ふ」
「ロルカと言います。よろしくお願いしますわ」
「ふ」
フラットは言いたい事がすぐに伝わって安心した。美しい女性はロルカというらしい。綺麗な顔に女性らしい柔らかな物腰。何故か甲冑を付けているが、この人が看病をしてくれていたのだろうか。では、あの黒いふわふわした感触は夢だったのだろうか……。フラットは記憶を手繰り寄せようとしたが、黒いマントを思い出してしまって身を震わせた。
「熱が上がってしまったかしら? お休みくださいまし」
「ふ」
フラットは感謝の気持ちを込めて頭を下げた。清潔なシーツに身体を沈めるとロルカがおでこに冷たい布を乗せてくれた。冷たくて気持ちが良い。しかし、別の冷たさを思い出した。やはり誰かロルカの他に居たのだろうか。聞きたいが言葉が出てこない。なんとももどかしい気持ちだった。フラットは諦めてもう一度眠る事にした。
「次に目を冷ました時には、少し良くなっているかも知れませんわ」
ロルカは願いを込めるように囁いた。
まずは少年の名前と身体は無事と言うことがわかった。言葉に関しては残念だが、最悪な状態ではないという事を主に報告出来そうだった。
ふと窓の外を見ると登り山から月が顔を覗かせていた。結構な刻が経っていたようだ。そろそろ主を起しに行った方が良いだろうか。しかし休むのが遅かったからもう少し休ませてあげたい。食事の用意をしてから行けば、ちょうど良いかもしれない。どうせ迷うのだから。ロルカは少年が眠りに付いたことを確かめると緑の部屋を後にした。




