11 Lorca
一方、少年の様子を見ているよう伝言を貰っていたロルカはひたすらに眠り続ける少年の傍らで、今流行の本を読んでいた。『王様と私』というシリーズ物で、王と結ばれて王妃になったり、愛のない政略的な婚姻であったりと王と女のあれやこれやのシリーズ物である。今ロルカが手にしているのは若くして王となった青年と魔女と呼ばれる旅する女の話である。魔女という言葉に我が主を重ねて読み始めたのだが、所謂魔性の女だったようで愛しい主と重ねてしまったことを少し悔いている所であった。
「……私が欲しいのなら国を捨てる覚悟くらいお持ちかしら……サリ様はそんな事言いません」
なんとなく今回の話のヒロインは好きになれそうもないと思いつつも本をめくる手は止まることがなかった。
「それにしても、ぴくりとも動かないのね」
ロルカは少年の透き通るような金色の髪を眺めて呟いた。どのくらいの時が経ったのだろう。そろそろ月が沈み山に差し掛かろうとしていた。
「綺麗な髪ね。瞳は緑色かしら……ん?」
はて、何故そう思ったのか。ロルカは首を傾げると本を捲って遡り、主人公がそうだったかと、容姿について書いてあった頁を探した。
「若くして王となった少年は美しい金色の長い髪と珊瑚のように煌めく赤茶色の瞳を持っていた……ん?」
どうやら小説の主人公と混ざってしまった訳ではないようだった。ロルカが首をかしげ続けていると、今までぴくりとも動かなかった少年が身じろぎをした。
「ひ!」
全く動かなかった物だから妙に驚いてしまったロルカは椅子から立ち上がり膝に乗せていた本を床に落とした。
少年の目は開かれない。眉根を寄せて苦しそうにしている。声をかけて起こした方が良いのだろうか。
「あの……もしもし? 起きますの?」
囁くように問いかけたが、少年は長く細い息を吐いたかと思うとまた動かなくなってしまった。額には汗が滲んで前髪が貼り付いていた。ロルカは清潔な布を水に浸し、少年の汗を拭ってやる。なんだか昔に同じ事をした覚えがあった。
「サリ様が来た時と、同じかしら……」
どのくらい前の事だったか。王が幼い少女を抱えて、珍しくも動揺しながらロルカの元へとやって来た。王の黒いマントに包まれて、最初は羊でも連れてきたのかと思ったのだが、顔を覗いてみるとまだふっくらとした頬を持っていた幼いサリが眉根を寄せていた。なんと可愛らしい、と思ったのはほんの一時のこと。サリはその黒い瞳に何も映してはいなかった。見えないと呟いたサリにロルカは大粒の涙を流し、王は何時も涼やかな目を見開いて固まり、駆けつけた参謀は状況を理解しておらず姫様と叫んだ。その声に驚いたサリは震えだし、王は参謀を睨みつけ、参謀とロルカは震え上がった。
その時、この事態を収めてくれたのはアジエーリダという青年だった。
彼も王の子であり、あちらの世の子でもあった。アジエーリダはあちらの世で過ごし、たまに水底の世を訪れては色々な話を聞かせてくれる。ロルカの読んでいる『王様と私』も彼が持ってきてくれた物だった。
アジエーリダは何があったのかはさておき、凄む王と震える三人を見てため息を吐くと指示を出していった。まず少女を休ませてやらねばならないだろうと。
あの時は皆であたふたとして、目の見えないサリの看病をして慌ただしい刻だった、とロルカはしみじみと思い出した。
「サリ様は、視る力を真ん中池に落としてきてしまって、環境が変わって暫く熱も出ていたわ……」
ロルカは眠る少年を見つめる。この少年も何かをあの池に落としてきてはいないだろうか。それに、目を覚まして元気だったとしてもあちらの世へ無事に帰ることはできるのだろうか。不安がぽつぽつと浮き上がってくる。そもそも、この世に生きた普通の人間が来た事がないのだ。帰るとしても方法はあるのだろうか。不憫な少年を見ていると、ロルカの瞳に涙が盛り上がってきた。ころりと一粒の涙が落ちた時、扉を叩く音が聞こえた。
「ロルカ」
「あ、サリ様」
ロルカが振り返ると愛しい主が扉から顔を覗かせていた。ロルカは急いで頬を拭い鼻を啜った。
「少年は気がついた?」
「……いいえ。先程魘されていましたけど、今また眠ったようです」
「そう」
サリはロルカの顔を覗き込んだ。
「泣いていた?」
「! うっ、だって、この少年が不憫で……うう〜」
サリに図星を付かれたロルカは、一度は引っ込めた涙をまた引き出して泣いた。サリはロルカの背中を慰めるように撫でると少年に近づいた。少年は顔の色を無くし眉間に力を入れていた。熱があるのかもしれない。少年の前髪を払うと額に手を当てて熱を計る。温かい、を通り越して熱い。
「冷やした方が良いか……っ!」
サリが少年の額から手を離そうとすると、少年の手がサリの腕を強く引いた。サリの体が傾く。
「サリ様! この無礼者!」
「ロルカ、大丈夫。問題ない」
サリは、つんのめった上体を腕で支えた。今にも暴れだしそうなロルカを宥めるように大丈夫と繰り返した。どうやら少年はサリの冷たい掌が気持ち良かったらしい。ロルカの鼻息と共に少年の眉間の力が少し緩んできた。ロルカに氷を取ってきてもらおうかと声をかけようとして、止めた。こんな顔のロルカを見たことが無かった。ロルカの視線の先にはサリの枯れ枝の様な手首を掴む少年の大きな手。何か武器になるような物がロルカの手元にあったらと思うと、冷や汗が出てきそうだった。鬼の形相とはこの事かと。




