メソアード
宿屋に向かって、街の中心へと向かう大通りを歩いていたサリカは、歩き始めていくらもしないうちに、冷たい風が吹き抜けていく乾いた石畳の上で立ち止まった。
(やっぱり、なんか変だねえ)
街の雰囲気が、以前来た時とは何となく違う気がする。周囲を見回してみるが、可愛らしい町並みは変わらないし、通りを走る獣車も多い。
だが、以前来た時よりも、明らかに通行人が少ない。門を潜ってから、メソアードの住人と思われる人達とすれ違いはしたが、皆一様に脇目も振らず足早に歩き去っていく。
寒いからだと思っていたが、背中を丸めて俯いたまま歩いている姿は、まるで何かから逃げているようにも見えた。
秋の豊穣際を終えたばかりの今の時期は、どの街でも祭の余韻を微かに残しつつ、これから訪れる凍れる季節に備えて慌ただしいものだ。
ここに来るまで王都を含めて五つの街を通って来たが、どこもそんな感じで、別段変わった様子は無かった。
そのまましばらく歩いてみたが、違和感は増すばかりだ。原因はさっぱり分からないが、サリカも一応は上級神官である。この違和感が、単なる気のせいということは無いだろう。
街の神殿に行って事情を聞くのが一番手っ取り早いのだが、何故かそんな気になれなかった。
教団と今のカデウスが微妙な関係にあるなら、コダルにいる神殿長代理に会うまで目立ちたくないという事もある。だが、今神殿に行くと厄介な事になる、そんな感じがするのだ。
(この先の公園にでも行ってみるか)
メソアードの街の中央には、人々の憩いの場となっている公園がある。
屋台も出るような大きな公園で、四季折々の植物を眺めながらゆっくり過ごす事ができる場所だ。また公園の中央には噴水があり、暑い時期には子供達が楽しそうに水遊びをしていた。
風は冷たいものの、澄み切った空から降り注ぐ日差しは温かく心地よい。椅子に座って、休憩がてら人々の様子を見るには、丁度いい場所だろう。
この寒さの中で水遊びをする子供はいないだろうが、無人ということは無いはずだ。
宿屋に行く前に公園に寄ることに決め、サリカは大通りを歩き始めた。
公園の中に吹き抜ける冷たい風が、葉を落としきった木々の枝を揺らしながら、乾ききった落ち葉をくるくると踊らせている。この時期なら赤や黄色の葉で綺麗に彩られていそうなものだが、視界に入るのは色褪せた茶色い落ち葉のみだ。
幹と枝を晒した木々を眺めながら噴水へと向かうが、人の姿はほとんどない。寒い時期だからかもしれないが、まだあちこちに雪が残る春先でも、遊んでいる子供達の声が響いていた気がする。
噴水がある公園の中央まで来たサリカは、辺りを見回しながら溜め息をついた。
以前来た時には数多くの屋台が並んでいたのだが、今は飲み物売りの屋台が一軒あるだけだ。
店主と思われる年配の女性は、椅子に座って編み物をしており、屋台を引いてきたであろう二匹の飛狼は、女性の背後で静かに寝ていた。
サリカは真っ直ぐに店に近付くと、女性に声を掛けた。
「なにか温まるものを下さい」
声をかけるまでサリカの存在に気付かなかったのだろう。店主はビクッと体を震わせ、慌てた様子で顔を上げた。対照的に、飛狼はピクリと耳を動かしただけで、そのまま大人しく寝ている。
「ああ、気付かなくて悪かったね」
手に持っていた編み物を脇に置き、苦笑しながら立ち上がった店主と入れ替えに、サリカは屋台の前に並んだ椅子の一つに座った。
「温かい飲み物が欲しいんだけど、何かお勧めはある?」
「お兄さん、甘いものは大丈夫?」
「お兄さんじゃないけど、甘いものは大好き」
サリカの答えに、店主は数回瞬きをした後、シワのある顔に優しい笑みを浮かべた。
「随分綺麗なお兄さんが来たと思ったら、女の子かい。そりゃ悪かったねえ」
「構わないよ。こんななりだしね」
店主の言葉に、今度はサリカが苦笑した。
男に間違えられるのは構わないが、女の子と呼ばれるには少々年をくっている。だが、店主からしてみれば、サリカぐらいの年齢なら小娘の範疇なのかもしれない。
「わざわざそんな格好をしてるということは、一人旅なのかい?」
「そう。で、さっき着いたばかりなんだけど、寒いねえ」
「今年は寒くなるのがやけに早くてね。ここらの木も赤くなる前に全部葉が落ちて、ご覧の通りだよ」
店主はそう言うと、サリカの前に木製のコップを差し出してきた。
中には鮮やかな赤い色の飲み物が入っており、ゆらゆらと立ち上る湯気と共に、甘酸っぱい香りが漂ってくる。
「これ、アキルムのジュース?」
「そうだよ。アキルムは苦手かい?」
「好きだけど、温かいアキルムのジュースは初めて見たよ」
アキルムは濃い赤色の甘酸っぱい果実で、そのまま食べても美味しいが、ジャムやジュースとして使われることも多い。サリカも冷たいジュースを飲んだことはある。
「冷たいのはもちろんだけど、温かいのも美味いよ。それにアキルムは美容にいいしね」
店主は自分の頬を指先でポンポンと軽く叩くと、サリカに向かって片目をつぶった。その可愛らしい仕草に、サリカの顔にも自然に笑顔が浮かぶ。
「本当だ。おばちゃんの肌、綺麗だねえ」
「そうだろ? 男に間違えたお詫びにその一杯は奢るから、試しに飲んでごらん」
「気にしないでいいのに。でも、お言葉に甘えて頂くよ。飲んで気に入ったら、これに入る分だけ売ってくれる?」
そう言って鞄から水筒を取り出すと、店主は破顔して水筒を受け取った。
丸みを帯びたコップは手によく馴染み、両手で包み込むようにして持つと、掌にじんわりと温もりを伝えてくる。
程よい熱さのジュースを口にふくむと、爽やかな酸味と優しい甘さが口の中に広がった。ほんのわずかだが、スパイスの香りと味もする。
香り共に一口づつゆっくり味わっていると、体の中から少しずつ温まってきた。疲れと寒さで強張った体が、少しずつ緩んでくるのが分かる。
「美味しいねえ。それに体も温まってきたよ」
「そうだろ? 温かいアキルムのジュースは娘の好物なんだよ」
「へえ、そうなんだ。おばちゃん娘さんがいるんだね」
「一人だけね。十年前に結婚して、今はクラネオスで暮らしてるよ」
「そっか。お隣さんだけど、ちょっと遠いねえ」
「まあ、そうだったんだけどね」
店主がよいしょと掛け声をかけながら、サリカが来るまで座っていた椅子に腰掛けた。
「この後、娘の所に行くんだよ」
そう言うと、店主は嬉しそうに笑った。
「二年前に旦那を病気で亡くしてね。それから一人でこの商売を続けてきたんだけど、年のせいか最近体がきつくてねえ。好きで続けてきたけど、そろそろ辞め時かと思って娘に手紙で伝えたんだよ」
「そうだったんだ。で、娘さんは何だって?」
「あの子、私が一人で暮らしてるのをずっと心配してたらしいんだよ。倒れても国が違うとすぐに行けないからってさ」
「確かにそうだよね」
クラネオスはお隣の国ではあるが、国境を越えるにはそれなりの手続きが必要だ。また、暮らしてる場所によっては移動に日数がかかるため、頻繁に行き来するのはかなり難しい。
「丁度いい機会だから、クラネオスで一緒に暮らせっていうんだよ。同じ家でもいいし、別な所に家を借りてもいいからって。飲み物売りならどこでも出来るんだから、少し休んで元気になったら、クラネオスで商売すればいいって」
「へぇ、それはいいね」
サリカがそう言うと、店主は懐かしそうな、それでいて少し寂しそうな笑みを浮かべながら公園を見回した。
「この飲み物売りは、旦那と二人で始めたんだよ。で、初めて店を出したのがこの場所。カデウスを出る前に、最後に思い出の場所で店を出そうかと思ってね」
「じゃあ、私は丁度いい時に来たんだ」
「そうなるね。最近はずっとこんな感じで客がいないから、あんたが来てくれて良かったよ」
(ずっと……か)
一人旅の楽しさは、こんな風に人と関わる事にもある。そして、何気ない会話から得られる情報もある。
サリカは店主の話を聞きながら、手にしたコップから温かいジュースを飲んだ。