獣車の旅
転移酔いから始まったサリカのお役目の旅だが、カデウス国内に入ってからは順調そのものだった。
検問所での審査を終えて無事国境を越えたサリカは、『国境の街』シノフィスにある獣車屋に直行した。
街から街への移動は、徒歩以外なら乗り合い獣車に乗るか、個人で獣車を借りるのが一般的だ。その為、それなりの規模の街には最低でも一軒の獣車屋がある。
カデウス国内の治安は悪くない。状況を考えると乗り合い獣車は使えないので、安い獣車を借りるつもりだったが、店主に大反対された。
一人旅なら安全性と利便性を考慮すべきと店主に力説され、少々借料が高い箱獣車を借りることになった。
カイが一緒に居たら、もっと豪華な獣車にするよう言われただろう。だが、師匠にあちこち引きずり回された修行の旅を考えると、サリカにとっては途中で故障さえしなければ、十分上等な部類に入る。
今回借りる箱獣車は、小型で外見は輸送車のようだが、頑丈で様々な設備が付いている。機能だけなら、貴族用の獣車にも引けを取らない。
そんな獣車に一人で乗れるのだ。何時何処で何をしようと、誰かにお小言を言われることもない。
設備の説明を受けながら、サリカは一人旅の権利を勝ち取れたことをアルプロエに感謝していた。
獣車は予定額を越えたものの、店主はサービスだと言って通常の馬の料金で三眼馬を貸してくれた。
三眼馬は額に目のような形の魔石がある魔獣で、大きさは通常の馬の倍はある。知能は高く、馬より脚力も持久力もあるので騎獣として最も好まれる魔獣だ。
そのため借りるとなると、料金も通常の馬の倍以上となる。
魔獣は、魔素濃度の濃い場所に生息していた生き物が多量の魔素を体内に吸収した結果、突然変異した生き物だ。吸収した魔素は体内で結晶化して魔石になり、その魔石の大きさと魔獣の能力は比例する。
ちなみに、人も大なり小なり魔力を持っているが、体内に魔石は存在しない。無理矢理体内に魔石を埋め込めば、拒絶反応が出て最悪即死だ。
かつて、様々な思惑から魔石を使って人体実験をしていた国があったらしいが、一晩で国が滅んだと伝えられている。
三眼馬の引く獣車になど乗ったことはなかったが、普通の馬を御せるなら三眼馬はもっと楽だと言われた。だだし、嫌われなければ……という注釈尽きだったので、旅の間は三眼馬の機嫌を損ねないようにと、サリカは肝に銘じた。
タイナの友人だという店主は、タイナと同年代のがたいのいい男性だった。強面だが優しい目をした人物で、馬や魔獣達にも好かれているようだった。また、カデウス国内の事情を含めて様々な助言をしてくれたので、ありがたい限りだった。
気になる事があるとすれば、タイナの紹介状を読んだ直後から彼の迫力が増した事だろう。まるで、戦に行くかのような気迫で、あの様子を幼い子供が見たら多分泣く。
帰りにタイナに会うことができたら、紹介状の内容を問いただそうと思う。
三眼馬による箱獣車の旅は、サリカが思い描いていた以上に快適なものだった。御者台に長時間座っていても苦ではなく、そこに三眼馬の能力が加わるため、一日でかなりの距離を移動できる。
サリカの目的地は、カデウス北部にあるコダルという街だ。カデウスの南西にある国境から中央に位置する王都を越え、更に北に進んだ所にある。乗り合い獣車を使う場合、一週間程度はかかる道のりだ。
コダルは『魔道具の街』として他国でも有名な街で、街中には魔道具に関する店や工房が数多くある。また最近では、国の研究機関が出来たという噂もある。
通常、神殿長や神殿長代理が居るのは、王都にある大神殿だ。カデウスの神殿長代理がコダルの神殿に居る理由は不明だが、おそらく問題の魔素欠乏症が関係しているのだろう。
コダルが今どんな状況なのかは分らない。カデウス国内に入ってからも、これいった情報は耳に入って来なかった。情報が規制されているのか、噂になるような事など何も無いのかは、ただの神官でしかないサリカには判断しかねるところだ。
だが、どんな状況であれ、自分が行う事は変わらない。神殿長の手紙と一緒に、鞄の中で圧倒的な存在感を放ち続けるニ冊の辞典を、カデウスの神殿長代理に届けねばならないのだ。
時期が良かったのか、どの街でもちゃんと宿に泊まれたし、天候にも恵まれた。
王都を越えたあたりから急に冷え込んできたが、御者台には温度調整の魔法陣が刻まれているため何の問題もない。暖かな日の光を浴びて、若干眠くなるほどだ。
サリカが眠気覚ましに少しばかり調子外な歌を歌うと、三眼馬が絶妙なタイミングで嘶きによる合いの手を入れてくれた。
そんな楽しい旅も、そろそろ終着点が近い。遥か前方に、次の街が見えてきた。
「メソアードが見えてきたな」
サリカの独り言に、琥珀色のたてがみを靡かせた三眼馬が、返事をするかのように小さく嘶いた。
メソアードは、王都とコダルの中間地点にある街だ。国境からメソアードまで五日はかかると思っていたが、蓋を開けるとたった三日で到着できた。
まだ昼前であり、このまま獣車を走らせれば夜にはコダルに到着できるかもしれない。だが、サリカは最初からメソアードで一泊してからコダルに向うと決めていた。
代理とはいえ、カデウスで一番偉い神官に会うのだ。教団内での階級はサリカの方が上だが、相手は元王族である。どこで誰が見ているか分からない状況なので、身だしなみぐらいは整えてからコダルの門を潜った方が良いと判断したのだ。
問題なくお役目を果たすためで、決して口煩い護衛騎士の言葉が頭を過ったからではない。
雲一つ無い青空を眺めながら、サリカは大きく息を吐き出した。
この3日間、快適な獣車の上で獣車屋の店主に何度感謝したことだろう。店主に喫驚されながらも、祈祷してきて本当に良かった。
(次も絶対この獣車を借りよう)
ぽかんと口を開けた店主の様子を思い出し、サリカはくすりと笑った。
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メソアードに到着したサリカは、まず門のすぐ傍にある獣車屋に行った。
乗ってきた獣車を敷地内に停め、どことなく疲れた様子の店員に前金を払って三眼馬の世話を頼む。
様子が気になり体調は大丈夫なのかと尋ねてみたが、億劫そうに身振りで追い払われたので、サリカは今晩泊まる宿に向かうことにした。
メソアードはさほど大きな街ではない。だが、北西にコダル、南西に王都、東に進むと隣国クラネオスとの国境検問所があるため、カデウス国内の流通拠点の一つとして重要な位置にある。
色彩豊かな建物が立ち並び、おとぎ話に出てくる街のような雰囲気があって、街並みを観ているだけでも楽しい。また、流通拠点なだけあり、日中は荷を運ぶ獣車が行き交う音と、人々の元気な声が印象的な活気のある街でもある。
師匠のお供で初めてカデウスに来た時、一番長く滞在していた街がこのメソアードだ。
可愛らしい街並みに目を奪われ、立ち止まって周囲をキョロキョロと眺めていたら、隣に立っていた師匠に爆笑された。草原で見かける小動物のようだと言われたが、そんな自分の姿よりも、道のど真ん中で突然笑い出した師匠の方が恥ずかしいと、子供ながらに思ったものだ。
メソアードで宿泊する場合、サリカはいつも同じ宿を利用している。表通りから一本路地を入った所にある師匠の馴染みの宿だ。
夫婦二人で営む小さな宿だが、居心地の良い部屋に加え、亭主が作る料理が絶品なのだ。口に入れた瞬間、味の染み込んだ肉の塊がほろほろ溶けていく煮込み料理は、子供の頃からサリカの一番のお気に入りである。
五年前にメソアードを訪れた時には、護衛のカイが表通りの高級な宿に泊まるべきだと主張して大変だった。
確かに、高級な宿の方が安全性は高い。だが、子供の頃から知っている馴染みの宿の方が、ゆっくり落ち着いて休む事ができる。何より、楽しみにしていた料理が食べられないのは困るのだ。
カイを必死に説得し、無事いつもの宿には泊まれたものの、獣車に揺られていた時よりずっと疲れた。
だが、そんなカイも宿泊して多少なりとも考えを改めたのか、いつの間にか宿屋の亭主と親しくなっていた。元猟師で体が熊のように大きい亭主に『もっと体を大きくしろ』と言われていたカイは、煮込み料理の肉の塊がサリカより一つ多かった。
(おじさんの料理、久しぶりだなあ)
空腹のお腹を擦りながら、サリカは馴染みの宿屋に向かって歩き始めた。