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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第一章 神殿生活
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国境

(酷い目にあった………)


 サリカは今、ヨロヨロとした足取りでカデウスの国境検問所に向かって歩いていた。時折、通り過ぎる人々が「兄ちゃん、大丈夫か?」と声をかけてくれるものの、ちゃんと返事をする余裕もない。


 女性の中では少しばかり背の高いサリカだが、男性であったなら小柄で華奢な体格だ。立ち止まったり座り込んだりしながら歩く姿は、重い荷物に押しつぶされそうな少年に見えるのだろう。


 やっとの思いで検問所の建物に辿り着いたサリカは、扉を開けて中に入るや否や壁際の椅子にバタリと倒れ込んだ。

 全身から吹き出した冷や汗で服が濡れて気持ち悪い。だが、この場で着替えるわけにはいかないし、そんな気力も体力もない。

 サリカは椅子に転がったままモゾモゾと体を動ごかし、鞄を頭の下に敷いてから目を閉じた。




 神殿長の執務室でお役目の話を聞いていたのは、ほんの数時間前。エリナに急き立てられるように自室を出てから、二時間も経っていない。


 通常なら2日は掛かる道のりを、この短時間で移動できたのは理由がある。大神殿の地下にある転移魔法陣を使い、ピヴァロまで移動したのだ。


 各国にある大神殿の地下には、国内の各神殿へと転移できる転移魔法陣がある。神殿長から許可された時のみ使用でき、許可がなければ魔法陣のある部屋にも立ち入ることができない。

 使用制限の理由は様々あるが、そのうちの一つは転移するには相応の適性が必要だからだ。適性が無ければ発動しないし、あったとしても大なり小なり転移で酔う。


 転移魔法陣と使うと気付いたのは、地下へ続く階段の前に立った時だった。穏やかな笑みを浮かべたエリナに転移魔法陣まで連行され、そのまま問答無用でピヴァロまで転移させられた。


 エリナはサリカが母と慕った神官の親友であり、見習い神官の頃から何かと気にかけてもらっていた。だが、子供の頃にやらかしたあれやこれやを知られているため、彼女はサリカに対して容赦がない。


 常に笑みを浮かべる穏やかな女性が、殊更に優しい笑顔を浮かべた時ほど要注意だと、今回改めて学ぶ羽目になった。


 お陰で大幅な時間短縮にはなったが、ピヴァロの神殿に着いた瞬間からサリカはフラフラだ。

 転移酔いには薬は効かず、休むか慣れるしかない。経験上、一晩ゆっくり寝れば全快すると分かってはいたが、それではただの酔い損になる。


 ピヴァロの神官長が獣車を手配してくれたので、検問所近くまでは歩かずに済んだ。歩いていたら、日が暮れても検問所には到着できなかっただろう。

 だが、獣車に揺られたせいで、転移酔いに獣車酔いが加わったのは予想外だった。


(このまま眠ってしまいたい……)


 木製の硬い椅子が、今は極上のベッドのように感じる。

 サリカは服のポケットから手探りで疲労回復の飴を取り出すと、包を開いて口に放り込んだ。誘惑に抗いながら口の中で飴を転がしていると、少しづつ気分が落ち着いてくるのが分かる。

 そろそろ動けるかとゆっくりと目を開け、サリカはそのまま硬直した。


 目の前に、眼鏡を掛けた若い女性の顔があった。


「あの、大丈夫ですか?」


 顔を覗き込んでいた女性に、躊躇いがちに声を掛けられる。あまりの近さに仰け反りながら、サリカは小さく頷いた。


 検問所職員の制服を着ているので、椅子に転がっているサリカを心配してくれたのだろう。非常に有り難いのだが、できればもう少し離れた場所から声を掛けてほしかった。


「だ、大丈夫、ちょっと目眩がするだけだから」


 なんとか絞り出した声は酷く掠れていたが、冷や汗は引いている。到着した時より良くはなっているものの、頭を動かすとまだ少し目が回る。


 もう少しここで休もうかと思っていたが、せっかくなので彼女の好意に乗っかることにした。寝転がったまま頼み事をするのは礼儀に反するかもしれないが、背に腹は代えられない。


「手間を取らせて申し訳ないが、所長にイリアが来たと伝えてもらえないだろうか」

「所長ですか?」

「そう、イリアが来たと言えば分かるはずだから」

「分かりました」


 所長を名指しする者など殆ど居ないのだろう。不思議そうな表情を浮かべて走り去っていく職員の後ろ姿を見送り、サリカは再び目を閉じた。


 以前より回復するのが早くなった気がするが、それを素直に喜ぶべきか微妙な心持ちだ。できることなら、転移魔法陣を使用しない平和で楽しい旅がしたい。


 しばらくして、先程とは違うゆっくりとした安定感のある足音が近付いてきた。足音はサリカの真横で止まり、今度は落ち着いた低い男性の声が聞こえてくる。


「久しぶりですな、イリア殿」


 目を開けると、長身痩躯の中年男性がサリカを見下ろしていた。無表情だが、サリカを見る目だけが面白そうに微かに笑っている。


「お久しぶりです、タイナ所長。寝転がったままですみません」

「いや、構いませんよ。私の執務室に来て頂きたいのですが、動けそうですか?」

「はい、多分大丈夫です」


 ヨロヨロと起き上がるサリカに、タイナは無言で手を貸してくれる。そのまま肩を借りて二階にある執務室に向かって歩いていると、タイナがからかうような口調で話しかけてきた。


「昔みたいに背負った方がいいか?」

「いや、それは遠慮しておきます」


 タイナと知り合ったのは、サリカが師匠の弟子になったばかりの子供の時だ。修行のために初めてカデウスに来た時、担当になった職員がタイナだった。それ以来の付き合いなので、他者が居ない時にはお互い気安く接している。


 だが、子供の頃ならともかく、この程度の状態で背負われた日には、精神の方に多大な痛手を受ける。

 サリカは足元を見ながら、必死に足を動かした。


 執務室に着くと、タイナはサリカを来客用のソファーに座らせ、部屋の隅にあるワゴンへと向かった。


「落ち着くまでそこで転がってろ。今、お茶を入れてやる」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」


 サリカは鞄を下ろすと、ソファーに横になって大きく息を吐き出した。さすが所長の執務室、クッションがいい。


 人の往来が多い国境では、大小問わず問題が起こりやすい。当然、所長のタイナは頭もきれるが腕も立つ。

 そんな彼の趣味が、お茶を入れる事だ。季節や気分、飲む人の好みに合せて銘柄を選び、時には何種類かの茶葉をブレンドすることもあるらしい。


 程無く、部屋の中に漂ってきた柔らかな甘い香りに、サリカはゆっくりと息を吸い込んだ。


「いい香り……」


 テーブルに置かれたのは、一番好きなお茶だった。

 このお茶は味に深みが出るように淹れると、あまり香りがしないらしい。だが、タイナはサリカの好みを憶えていて、いつも香りを楽しめるように淹れてくれるのだ。


「ほら嬢ちゃん。熱いから気を付けて飲めよ」

「嬢ちゃんと言われる歳ではないけど、ありがたく頂きます」


 起き上がって一口飲むと、ふうと自然に溜め息がこぼれ出る。口の中がすっきりするだけでなく、香りにも癒やされる。

 ゆっくりと味わっているうちに、視界も明るく鮮明になってきた。


「お陰で楽になってきました」

「良かったな。その様子じゃ、また転移酔いだろ。そんな大層なものを使う事になった事情は聞かんが、もう少し考えて行動しろ」

「ははは……」


 タイナの指摘に、サリカは乾いた笑いを漏らした。

 師匠とカデウスに来る際も、転移魔法陣を使う事が幾度かあった。その度に転移酔いになり、師匠に小脇で抱えられたまま検問所に来ることになった。

 好きで転移している訳ではないのだが、それを訴えたところでどうせ笑われるだけだ。


「死人みたいな顔色がマシになってきたな。なら、先に審査を終わらせるか」

「お願いします」

 

 国によって違いはあるが、国境を越える場合、基本的には身分証が必要になる。


 身分証は大きく分けると二種類あり、一つは国が発行する身分証だ。国や身分によって形や材質などが異なるものの、一般的に身分証という場合はこちらを指す。


 もう一つは、中央大神殿が発行する神官や神殿騎士の身分証だ。教団が独自に発行しているのは、フォシアル教が国に縛られないという立ち位置にあるからだ。


 偽造や盗難防止等のための特殊な魔法陣が刻まれ、神官用は白い魔石、神殿騎士用は黒い魔石が埋め込まれている。そのため、身分証の確認には特殊な魔道具が使用される。


 サリカは首に掛けた銀色の細い鎖を引っ張ると、胸元から楕円形をした銀色のカードを取り出しタイナに手渡した。


 タイナは机の上にある箱型の魔道具の蓋を開けると、身分証を鎖ごと中に入れた。何の仕掛けもない空っぽの箱に見えるが、底板を外すと複雑な魔法陣が刻まれている。


 蓋をして、その上にサリカの手を乗せると、箱全体が白く発光し始める。タイナの話では、問題がある場合には赤く発光して音もするらしい。


「もう離していいぞ」

「ありがとうございました」


 手を離すと同時に光は消え、タイナは魔道具から身分証を取り出してサリカの掌に乗せた。


 受け取った身分証を首にかけて胸元にしまい込んでいると、その間にタイナが空のカップにお茶を注いでくれた。御礼を言いながらカップに手を伸ばすと、タイナが不思議そうに尋ねてきた。


「そう言えば、護衛の兄ちゃんはどこに居るんだ?」

「あ、今回は私一人なんですよ」


 お茶を飲みつつ答えると、タイナが眉間に皺を寄せた。


「大丈夫なのか?」

「大丈夫大丈夫。ちょっとしたお使いを頼まれただけですし」

「そうか………」


 何やら考え込んでいる様子のタイナを見ながら、サリカは首を傾げた。


「何か気になることでも?」

「そりゃそうだ。普通、ちょっとしたお使いに上級神官様や転移魔法陣は使わないだろう」

「ああ、確かに」


 お役目の詳細は話せないが、臨時の配達員になっていること自体は秘密ではない。だが、タイナの言う通り、人数の少ない上級神官をただのお使いに使うことなど、普通ならありえない。


「それにな、フォシアル中央大神殿から来た上級神官と大神官をカデウスに入国させないよう、上から通達がきているんだよ。その理由はさっぱり分からんがな」

「私も一応上級神官なんですが、入国出来るんですか?」

「嬢ちゃんは中央ではなくパモスの神官だからな。別に問題ないだろう」

「苦労が水の泡にならなくて良かった……」


 とりあえずカデウスには入れるようで、サリカは胸を撫で下ろした。ここで引き返す事になったら、本当にただの酔い損になる。

 考え込んでいるタイナには申し訳ないが、サリカとしては神殿長から依頼されたお役目を果たせれば充分だ。国の問題は、国で解決してもらうより他にない。


「良かったな。だが、道中気をつけろよ」

「分かりました」


 その後、お互いの近況を話しながら少しばかり休んだ事で、サリカの転移酔いも治まった。これなら獣車に乗って移動できそうである。


「ご馳走様でした。体調も良くなったので出発します」

「そうか。あまり無理するなよ」

「はい」

「ああ、それとこれを持っていけ」


 立ち上がって鞄を背負ったサリカに、タイナが小さく折りたたんだ紙を渡して来た。


「これは?」

「シノフィスの獣車屋は、俺の友達の店だ。嬢ちゃんが一人で乗っても大丈夫そうな獣車を選ぶよう書いといたから、店に行ったら店主に渡せ」

「うわ、ありがとうございます!」


 今回は乗り合い獣車ではなく小型の獣車を借りて移動するつもりでいた。一応御者は出来るが、獣車の善し悪しまでは分からない。信頼できる獣車屋を紹介してもらえるのは、有り難い限りだ。


 サリカは再度鞄を下ろすと、タイナの正面に立った。


「本当にお世話になりました」


 両手を胸の前で交差させて頭を下げて礼をすると、そのまま胸の前で合掌する。


「始源の神アルプロエ。光と闇から生まれしテッセオの地より愛と感謝を捧げん。我願い奉る。ヴェリ・タイナと彼の愛する者達が、愛と喜びと希望と共に歩まんことを。創造主アルプロエよ。その深き愛と祝福に、我らの愛と感謝を捧げん」


 祝詞と共に両手の中に現れた光を、頭上までそっと持ち上げる。そのままゆっくりと両手を開き、弧を描くように両腕を下ろしていくと、サリカを中心として虹色の淡い光が周囲に広がった。


 少し驚いたようなタイナの表情が、普段は見せない穏やかな表情へと変わった。


「イリア様。貴女様の祝福に心からの感謝を」


 両手を胸の前で合せて頭を下げるタイナに、同じように礼を返す。


「では、失礼いたします」


 再び鞄を背負ったサリカは、来た時とは異なるしっかりした足取りで部屋から出ていった。


「嬢ちゃんの祈祷は、やはり凄いな……」


 タイナの呟きは、サリカに聞かれる事なく静かな部屋の中で消えていった。


 

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