報告
界壁の穴を修復し終えた翌日、報告のため中央大神殿に訪れたサリカを待ち受けていたのは、満面の笑みを浮かべるマイヤと、受付台の端にある可愛らしい椅子だった。
「報告書の書き方を説明しますので、ここで仕上げて下さい」
「はい……」
椅子に座るように促され、目の前に紙とペンが置かれる。有無を言わさぬ場の雰囲気に、サリカは素直に椅子に座った。見た目は普通の椅子なのに、意外と座り心地がいい。
「書式はこれまで通りで構いません。ただし、状況については、できるだけ詳細に書いて下さい」
「必要な情報か不要な情報か、勝手に線引きしないようにする、という事でしょうか」
「そういう事です。既にお分かりかと思いますが、大神官の役目というのは少々特殊です。些細な情報が、全く異なる問題の突破口になることが多いのです」
「分かりました」
「あと、サリカ様の感覚でしか捉えられないような事柄でも、略さず記載してください」
「はい」
「私はこちらで作業していますので、分からない事があれば、遠慮せずすぐに聞いて下さいね」
「……よろしくお願いします」
マイヤの笑顔から、終わるまで帰さないと言わんばかりの圧を感じる。書き終わらなくても、おそらく宿題にはしてもらえないだろう。
(忘れてたよ……)
穴を塞いだ事で今回のお役目は終了したと思っていたが、報告書を書き終えるまでがお役目だった。
マイヤがぽつりと呟いた「あのお二人のようになられては困りますからね」という言葉は、聞こえなかったことにする。
サリカは黙って、目の前に置かれたペンを手に取った。
「報告書はこれで結構です。大神官としての初のお役目、お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございます……」
何とか報告書を仕上げたサリカは、マイヤが入れてくれたお茶を飲みながら、力なく笑った。
当時の状況を必死に思い出しながら、加筆と修正を繰り返し、三回程書き直してようやく受理に至った。曖昧な部分はマイヤから容赦ない指摘が入るので、お陰でサリカの頭の中も整理された気がする。
報告書を書きながら思ったのは、エルノとユリウスにこの作業は無理だということだ。
天才肌の二人の事だ。「書かなくてもそれくらい誰にでも分かるだろう」という姿勢を貫いているに違いない。
マイヤの指導は的確で大変勉強になったが、できることなら暫くの間、報告書の用紙は見たくない。
「しかし、困りましたねえ」
受付台に置いた報告書を眺めながら、溜息混じりにマイヤが呟いた。その言葉に、サリカは慌てて腰を浮かせた。
「どこか変な所がありましたか!?」
「いえいえ、書いていただいた報告書には何の問題もありませんよ」
「よ、良かった……」
サリカは胸を撫で下ろし、再び椅子に腰を降ろした。
「困ったというのは、サリカ様が修復した界壁の穴の件です」
「はあ」
頭と腕が疲れただけでなく、精神力も削り取らたサリカの口から、気の抜けた返事が出た。サリカの性格など、はなから全てお見通しなのだ。今更取り繕ったところで無駄である。
「サリカ様の役目について、私が具体的な助言を控えていたのは理由があります」
「はい」
「一つは、先入観の無い状態で、自由に動いていただいた方が良いと判断した事。もう一つは、助言できるだけの情報が無かったからです」
「そうなのですか?」
マイヤの言葉に、サリカは目を瞬かせた。
「実のところ、サリカ様が『界壁の修復師』という二つ名を得るまで、界壁の異常というのは滅多に起こらないというのが、教団内の常識でした」
「コダル上空には、大きな穴が開いていましたけど……」
「その通りです。あの時のカデウスや、かつての魔術大国では、界壁を損なうような大規模な実験が、何度も繰り返されていたという事実がありました。ですから、そのような事態が起きない限り、界壁に大きな問題が生じることはない。少々異常が起きても、人体と同じように、自然に修復されている。そう考えられていたのです」
「でも、私が二つ名を得た事で、それだけではない可能性が出てきたと……」
サリカの言葉に、マイヤが頷いた。
「界壁の修復を専門とする者が現れたなら、この世界には、放置できない界壁が存在しているということになります」
「はい」
「これまで、非常に特殊な条件下でしか起こらなかった事です。もしかしたら、気付かないだけで問題は生じていたのかもしれません。ですが、それに気付かなくとも、世界は問題なく存在していました。そのため、界壁に問題が起こる条件や原因について、教団内には殆ど情報がありません」
「そうだったのですね」
「助言することが叶わぬ状況でしたので、サリカ様が役目を遂行していく中で困ったり悩まれた時には、その都度手助けするつもりでいたのですが……」
苦笑するマイヤの顔を見ながら、サリカは不思議な気持ちになった。
自分のお役目なので、自分一人の力でどうにかせねばならないと思っていたのだが、どうやらそういう事ではなかったらしい。
「今回に限った事かもしれませんが、妙な噂の原因が界壁に開いた穴だとしたら、想像以上に沢山の穴が存在する可能性があります。大神官という立場の者が専任となっているのです。おそらく異常のある界壁は既に複数存在し、しかも今後次々と生まれてくる可能性すらある。ですが、事前に対処するための情報もありません」
「それで、困ったと……」
「はい」
今回の穴のように小さなものなら、放置していても自然と塞がるかもしれない。しかし、徐々に大きくなる可能性もあるのだ。
カデウスが荒野になった理由が界壁の穴だけとは限らないが、塞げるものなら早めに塞いだ方が良いはずだ。そもそも、サリカの役目はそれである。
木々の間に浮かんだ真っ黒な穴を思い出し、サリカは総毛立った腕を服の上から擦った。
「界壁の異常については、当面サリカ様の情報を頼りにするしかありません。情報が増えれば、界壁を損なう原因や条件も推測でき、事前に対策をとる事も可能になるかもしれませんし」
「分かりました。あ、でも、界壁の修復作業が無理でも、異常が分かる神官なら、私以外にもいるのでは?」
「サリカ様……」
両肩を落とし、大きな溜息をつくマイヤを見て、サリカは首を傾げた。
「一応各国の神殿長に、そのような『読み手』がいないか確認しますが、可能性は低いかと」
「ですが、私より優れた『読み手』の方でしたら……」
マイヤの水色の瞳が、眼鏡の奥でキラリと光ったように見え、サリカは慌てて口を閉じた。
「サリカ様。あなたはご自分の『読み手』としての能力を過小評価しすぎです。サリカ様より少し前ではありましたが、コダルの状況を確認しに行った『非常に優秀な読み手』がいましたが、彼に界壁の異常は認識できませんでした」
「そ、そうでしたか」
「御自分が仰っていることが、ユリウス様と同じであると自覚された方がいいかと」
「すみません……」
ユリウスは、尊敬する素晴らしい師である。だが、同じと言われると、嬉しいより残念な気持ちになるのは何故だろうか。
項垂れるサリカを見て、マイヤが苦笑した。
「各国の神殿長には、『読み手』の神官についてだけでなく、その国で妙な噂がある場所がないかも聞いておきます。情報が入って来次第お伝えしますので、それでよろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
分かっていた事だが、サリカ一人で世界中の情報を集めるのは無理である。マイヤ達の手と知恵を借りつつ、対応していかねばならないことは明白だ。どの様な情報が集まってくるかは分からないが、手掛かりがあるとサリカも動きやすい。
「あ、そうだ。一つ伺っても宜しいですか?」
コダルの件を出されて、サリカは一つ思い出した事があった。
「はい、構いませんよ」
「今回、幽素らしきものは見えなかったのですが、この先も同じなのでしょうか」
界壁の穴を見つけるのは霊素を辿ればいい。問題は、修復作業を終えた後である。
幽素も漏れ出していた場合、見えていないと漏れが無くなっているか確認できないのだ。
「再び幽素を視覚的に捉えられるようになる、その可能性が全く無いとは言いません。しかし、期待はできないと思います」
「そうですよねえ」
「ですが、おそらくサリカ様の感じた不快感が、幽素の存在を示すものだと思います。幽素に関しては視覚ではなく、体感で感じ取るように意識した方がよろしいかと」
「では、修復作業後に幽素の問題も無くなったと確認するには……」
嫌な予感に、サリカの顔が引き攣った。
「時間をおいて再度同じ場所に行っていただき、身体の感覚で確認する以外ないと思います」
「ですよね……」
「はい。残念ながら」
「確認した場合、報告書は……」
「勿論、追加していただきます」
「……ですよね」
マイヤの答えに、サリカはガックリと肩を落とした。自らやることを増やした気もしないでもないが、こればかりは仕方ないだろう。
「改めて、手掛かりの乏しい中でのお役目、お疲れ様でした。呪われた岩という噂の件は、セリウォル大神殿の神殿長に伝えておきます。彼女なら上手く対応してくれるでしょう」
「はい」
ソニヤに任せれば心配ないと、サリカはホッと胸を撫で下ろした。
「では、情報が入り次第、すぐに連絡しますね」
「はい。よろしくお願いいたします。本日はご指導ありがとうございました」
「何かありましたら、いつでも相談しにいらして下さい」
「はい」
マイヤに向かって深く頭を下げると、サリカは安堵の笑みを浮かべたまま部屋を後にした。
初めてのお役目は、何とか無事に果たすことができた。これから何が待ち受けてるか分からないが、とりあえず家に帰ったらカミルとお祝いでもしよう。そんな事を考えつつ、サリカは転移魔法陣を起動させた。
数日後、『呪われた岩の問題を解決した、すごい大神官がいる』という噂が囁かれることになるとは、この時のサリカは知る由もなかった。




