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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第四章 界壁修復
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修復作業

(なんか、気持ち悪いんだよねえ)


 目の前に浮かぶ界壁の穴を見ながら、サリカは両手で自分の腕を擦った。


 一応穴と言っているが、奥行きはなく平坦に見える。まるで、建物の壁に漆黒の塗料で描かれた絵のようだ。しかも、眺めているだけで、ザワザワとする嫌な感覚が込み上げてくるのだ。これが絵ならば、驚異的は画力である。


 だが、サリカの役目はこの穴を塞ぐ事なのだ。気持ち悪いと言っている場合ではない。


(だけど、どうすりゃいいんだ?)


 コダル上空にあったものは、魔力を糸のようにして端から縫い縮めるようにした記憶がある。

 突如起こった緊急事態で、考える暇も悩む暇もなかったのだが、今改めて考えてみると、よくそんな事を実行する気になったと、驚きより呆れるような気持ちになる。


 あんな雑な作業でも成果は出ていたらしいので、同じ方法で目の前の穴を塞ぐことは可能かもしれない。


 だが、問題は魔力である。


 前回は祠の中の魔石があったが、この近くに祠はない。サリカ自身の微々たる魔力が、修復作業にどれだけ役立つか分からないし、役立ったとしても体内魔素を使い切って、この場でぶっ倒れるのは避けたいところだ。


 穴の両端を手で寄せれば、少ない魔力でどうにか出来るかもしれない。だが、この奇妙な穴に触れることができるか不明な上に、生理的な嫌悪感で素手で触れる気になれない。


(どうするかなあ……)


 サリカは地面を覆う枯れ葉をガサゴソと足で掻き分け、転がっていた小石を拾い上げた。少し湿り気のある石は、落ち葉を被っていたせいで触れても冷たさを感じない。


 小石を弄りながら穴に近寄ったサリカは、おもむろに持っていた小石を穴の中へとポイと投げ入れた。


「あっちに落ちたね!」

「そうだねえ」


 小石は穴のど真ん中を通り、ガサッという音と共に地面の上に落ちた。

 穴を避けて反対側にまわり、石を拾い上げて見てみるが、穴を通り抜けた影響は無いようで、投げる前と変わりなく見える。

 石が無事に通り抜けたということは、穴に吸い込まれて別の世界へ行くことも無さそうだ。


 この様子なら、おそらく触っても大丈夫だろう。だが、問題ないと保証されたとしても、直に触る気にはなれない。見ているだけで不快なのだ。穴の中に手を突っ込むなど、以ての外だ。


(素手じゃなきゃ我慢できるか?)


 手袋をつけていれば、直接触ることにはならないので、嫌悪感も薄れるような気がする。ただの気休めかもしれないが、素手で触るより幾分マシである。


 だが、残念ながら今のサリカは手袋を持っていない。タオルを巻いて手袋代わりにしてもいいが、手が動かし難くなるのは避けたい。だからといって、手袋を取りに戻るのは面倒だし、何より時間の無駄である。


「サリちゃん、だいじょうぶ?」


 どうしたものかと考え込んでいると、心配そうにカミルが話しかけてきた。穴を凝視したまま突っ立っているのが、異様に見えたらしい。


「ああ、ごめん、大丈夫だよ。ちょっと考え事を……あ、そうか」


 サリカの顔を覗き込むカミルの姿に、部屋の窓辺に飾ってある白い小鳥の置物が重なった。


(無いなら、創りゃいいのか)


 霊素を集めて霊石を創るように、魔素から魔石を創ることはできない。だが、同じ要領で、周囲にある魔素を手に集めることはできる。


 霊石のように物質化はしないが、今は感覚を切り替えているのだ。集めた魔素で手を覆えば、キラキラとした手袋のように見えるだろう。


 触る対象は、界壁の穴なのだ。水を弾くように作られた手袋だとしても、おそらく意味はない。ならば、魔素で創ったスケスケの手袋モドキでも、大して違いはないはずだ。


 そう結論に至ったサリカは、早速魔素を集めることにした。


 目を閉じ大きく深呼吸すると、霊石を創る時の要領で、周囲に漂う魔素を両手に集めるようイメージする。

 次第に、両手がほんのり暖かくなってくるの感じる。この場に漂う嫌な感覚を打ち消してくれるような、心地良い温もりだ。


 目を開け自分の両手に視線を向けると、様々な色合い魔素が手を包み込むように漂っている。


(一応成功か?)


 ゆっくりと手を動かしてみるが、手から魔素が離れていくことはない。思っていた以上に魔素が密集しているので、淡い光を放つ虹の手袋をつけているかのようだ。


 あとは、この状態で界壁の穴に触れてみるだけだが、何せ初めての経験だ。触れた瞬間、何が起こるか全く予想できない。

 養い親としては、カミルを危険から遠ざけたいのだが、サリカの護衛と称するカミルが納得するか微妙なところだ。


「これから穴に触ってみるから、カミルはちょっと離れててくれる?」

「なんで?」


 カミルが肩の上で、不思議そうに首を傾げた。


「何が起こるか分からないからね」

「あぶないの?」

「それも良く分からないんだよねえ」

「そっか。でもぼくは、サリちゃんの『ごえい』だからね。そばにいるよ!」

「傍にいてくれるのは嬉しいんだけどねえ。でも今は、何か起こった時、助けに来てくれる方が嬉しいかな」

「うーん」


 カミルがサリカの肩の上を、行ったり来たりし始めた。

 元々体に比べて大きめだった足と爪が、体の成長と共に更に大きくなった。歩く度に、爪が服に刺さっている気がするが、今は指摘しないでおこうと思う。


「助けて欲しい時は、『カミル助けて』って叫ぶから」

「ほんと?」

「ほんと」

「じゃあ、いいよ!」


 大きく頷いたカミルは、艷やかな黒い翼を広げて一番近くの木まで飛んでいくと、枝に止まって胸を張った。


「ここから見てるからね!」

「よろしくね。それと、寒くないようにしてくれてる術、今だけ解いてくれる?」

「分かった!」


 カミルの返事と共に、体感温度が一気に下がった。寒くはなったが、これで心置きなく界壁の穴と向き合うことができる。


(始めるとするか)


 再度自分の両手を確認し、サリカは穴へと近寄った。


 呼吸をする度に、気持ちの悪い何かが身体の中に入ってくる気がする。だが、息を止めるわけにもいかないので、我慢して耐えるしかない。


 心持ち浅い呼吸をしながら、サリカは穴に向かって右手を伸ばした。


 最初は穴そのものではなく、穴の周囲に手を滑らせてみる。だが、宙で手を動かしているだけなのだ。当然ながら、何の感触のない。


(中を触ってみるか)


 サリカは意を決して、穴の右側から中央に向かってゆっくりと手を動かした。すると、穴の縁辺りで奇妙が感触があった。


 ほんの僅かではあるが、柔らかい物に触れたような感じがあった。手で水面に触れた時と、何となく似ている気がする。


 そのまま穴の中へとゆっくり手を移動させると、手の動きに合わせて穴の縁が内側に向かってグニャリと曲がった。


(何だこれ?)


 サリカは、一旦右手を穴から遠ざけた。手が離れると、穴の形はあっという間に元に戻る。


 試しに、今度は少しだけ勢いをつけ、穴を横切るように右手を動かした。すると、右手は穴の形を変えることなく、右から左と穴を通り抜けた。


 手を動かす方向と速さを変えながら、何度も同じ事を繰り返してみたが、結果は変わらない。


(ゆっくり触った時だけか……)


 どうやら、ゆっくり手を近づけた時だけ穴の縁に柔らかな感触がし、それを感じたまま手を動かすと穴の形が変化するようだ。


 色々いじくり回しているうちに、不快感には慣れてしまった。それどころか、ほわほわとした感触が、ちょっとだけ可愛いらしく思えてきた。


 だが、こうしている間にも、穴からは霊素が漏れ続けている。そろそろ修復作業に取り掛からねばなるまい。


 両手を見ると、最初の時より明らかに魔素が減っている。

 時間の経過によるものか、穴の影響なのかは不明だが、コダルで行った修復作業を考えると、魔素を纏っていた方が修復が上手くいく気がする。


 もう一度手の周りに魔素を集めたサリカは、大きく深呼吸をしてから穴に向き直った。


(やってみるか)


 サリカは自分の右手を、縦長の楕円型である穴の上部にそっと置いた。

 ゆっくりと手を上下に動かすと、掌に柔らかな圧のような感触がする。


 次に、掌に穴を乗せるかのように、左手を穴の下部へと差し入れた。右と同様、上下に手を動かし感触を確かめる。


 両手で穴の感触を確認したサリカは、口をすぼめてゆっくりと息を吐き出した。


(よし!)


 サリカは心の中で気合いを入れると、ゆっくりと両手の距離を縮め始めた。


 掌に感じる微かな圧が、両手が近付くにつれて徐々に増していく。同時にのっぺりとした黒い穴も、手の動きに合わせて徐々に小さくなっていくのが分かる。

 息を止めないよう意識して呼吸をしながら、サリカはそろそろと手を動かした。


 時間をかけて距離を縮め、遂に両手が重なり合った瞬間、目の前にあった真っ黒な穴が跡形もなく消え去った。


「できた……のか?」


 サリカが小さく呟くと、上からカミルの興奮したような声が降ってきた。


「サリちゃんすごい!」


 重ねていた両手を離してみるが、先程まであった穴は何処にも見当たらない。穴から漏れ出していた霊素の流れは止まり、周囲に漂っていた白い光の粒だけが、風に乗ってゆらゆらと散っていくのが見える。


(よかった……)


 感覚を元に戻し、その場に座り込むと同時に、サリカの頭の上にカミルが止まった。再び術を掛けてくれたのか、冷えた身体が少しづつ温かくなっていくのを感じる。


「サリちゃん、だいじょうぶ?」

「大丈夫だよ。ありがとね」


 緊張していたのだろう。大した事はしてないのだが、全身に変な疲労感がある。


 鞄の中からソニヤに貰った疲労回復の飴と魔力回復の飴を一個ずつ取り出すと、サリカは続けざまに口の中に放り込んだ。


「カミルはこれね」

「ありがと!」


 アネルマお手製の焼き菓子を取り出すと、膝の上に降りてきたカミルが、香ばしい香りのする菓子を美味しそうに齧り始めた。


 ああだこうだと色々考えていたものの、蓋を開けてみれば、全てが順調で、驚くほど呆気なく終わった気がする。


 今回が、たまたま楽だっただけかもしれない。そうだとしても、今のサリカにできる事は、経験を積み重ねていきながら、その時々の状況に合わせて全力を尽くしていく事ぐらいだ。


『界壁の修復士』としての初のお役目を終えたサリカは、口の中で二つの飴玉を転がしながら、澄み渡った青空を眺めた。



 

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