街道
緑の衣を脱ぎ捨てた木々の間を、ゴウゴウと唸るような音を立てながら風が吹き抜けて行く。周囲に生き物の気配はなく、大地が深い眠りについているかのようだ。
木々の隙間からは、大きな町が一望できる。以前は少し小さな町だった気がするのだが、三十年という年月の間に成長したらしい。それなのに、何処か陰のようなものを感じるのは、災禍がもたらしたものが、未だに残っているからだろう。
「サリちゃん、あの町はなんていうの?」
サリカの肩の上でキョロキョロと周囲を見回していたカミルが、不思議そうに首を傾げた。
「あそこはシノフィスっていう町だよ」
「シノフィスにも行く?」
「いや、今日は行かないかな」
「そっか」
明らかに気落ちしたカミルの声音に、サリカは小さく吹き出した。町中を見ながら美味しいものでも食べたかったのだろうが、今日ばかりはお預けである。
「今日は行かないけど、そのうち一緒に行こうか」
「うん!」
元気に返事をしたカミルの頭を撫でると、サリカは町を横目に山の中を歩き始めた。
ソニヤから意見を聞いた翌日、ユリウスが設置した転移魔法陣を使い、サリカはカミルと一緒にシノフィス近くの山中にやってきた。
理由は、アハトに手紙を渡しに行った際、ピヴァロの神殿内で小耳に挟んだ噂話にある。
『シノフィス近くの街道に呪われた場所がある』
神殿に訪れていた町の住人が、そんな事を話していたのだ。
気になって後からアハトに尋ねてみると、シノフィスとピヴァロと結ぶ街道を通った時、気分が悪くなる人いるというのが、噂の発端らしい。
気分が悪くなるといっても、人によって症状は様々で、しかも癒し手が乱れた体内魔素を調整するだけで元気になる。
体内魔素が乱れているといっても、疲労した状態と大差はない。念のために医師の意見も聞いてみたが、疲れによって元々弱い臓器に影響がでているだけだろうとの見解だったそうだ。
『特殊な感染症が蔓延しているわけではないので、私共としては安堵していたのですが、原因がはっきりしないせいで、逆に変な噂がたってしまいまして……』
アハトは、人を安心させるような優しげな顔に苦笑を浮かべ、困惑気味に噂の内容を語ってくれた。
シノフィスからクラネオス王国へと続く新たにできた街道では、魔素を含む嵐があるせいで一時的に体調が悪くなるのは仕方ない。だが、問題ないはずの場所で体調不良が引き起こされるのが、噂が立つ原因となってしまったようだ。
おかしな噂によって街道の交通に支障をきたす事があっても、それは国の問題であって教団の出る幕ではない。協力を要請されない限り、政には関与しないというのが教団の方針だからだ。
昨日のソニヤの話を聞くまでは、サリカもそう思っていたし、世間話の一つとして特に気にする事もなかった。だが、街道で頻発している体調不良の件が界壁絡みならば、無関係だと言ってられない。
見当違いかもしれないが、界壁が壊れた際に生じる事が明確になっていない今の段階では、無駄足だとしても実際に出向いて確認してみるしかない。
(予想が当たってほしいような、外れてほしいような、変な気分だわ)
街道に向かって山を下りつつ、サリカは小さく溜息をついた。
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一時間ほど山を下り、サリカ達はピヴァロとシノフィスを結ぶ街道に無事到着した。
災禍前までは、国境と国境検問所があった主要な街道だ。舗装されているので起伏は少なく、獣車に乗っていても大きく揺れる事はなく、徒歩でも歩きやすい。
「あと、どれくらい?」
「うーん、よく分からないけど、あと一時間ぐらいかなあ」
シノフィスからピヴァロまでは、徒歩だと三時間は掛かる。噂のある場所はシノフィス寄りの街道途中らしいので、この場所からなら然程時間はかからないだろう
「そっか。サリちゃん、つかれてない?」
「大丈夫だよ。カミルは大丈夫?」
「うん!」
最近カミルと一緒に家の裏手にある森の中を走り回っているせいか、疲れは感じていない。とはいえ、この後何があるのか分からない。無理はせず、出発前に決めていた予定通りに休憩することにした。
「サリちゃん、車いっぱいだね」
「そうだねえ」
街道の端に転がっている岩に腰掛けて水筒のお茶を飲んでいると、荷物を積んだ獣車や、人を乗せた乗り合い獣車が、ガラガラと音を立てて目の前を通り過ぎていく。
歩いている人こそいないものの、以前と変わらぬ交通量の多い普通の街道に見える。殺風景ではあるが、変な噂が立つような禍々しさは感じない。
(魔素の状態を確認してみるか)
サリカは目を閉じ、感覚を切り替えてからゆっくりと目を開いた。
色のついた微細な光の粒が、ゆっくりと回転しながら周囲を漂っているのが見える。量は問題ないようだが、通常の魔素より動きが鈍く、光も弱い。
山に阻まれ砂嵐がやって来ないこの場所でも、災禍の爪痕はまだまだ色濃く残っているようだ。
(とりあえず、先に進んでみるしかないねえ)
今いる場所からは霊素も幽素らしき物も見られないが、感覚を変えたまま歩くと情報過多で目眩がしてくることがある。
フラフラと歩いていて、獣車に轢かれるのだけは避けたいので、少々手間はかかるが、時々立ち止まってその都度確認していくしかないだろう。
感覚を元に戻して立ち上がろうとした時、一台の獣車がサリカの前でゆっくり止まった。
「ばあちゃん、そんな所に座り込んでどうした? 気分でも悪いのか? ピヴァロに行くなら、俺が乗せてってやるぜ」
御者台から聞こえる威勢の良い男性の声に、俯いていたサリカの顔が引きつった。
(ばあちゃん……)
この場で座り込んでいるのはサリカしかいないのだから、『ばあちゃん』が誰を指すのかは明白である。
髪は真っ白だし、孫がいてもおかしくない年齢なのは分かっているつもりだ。だが、眠ったまま年を重ねてしまったせいだろう。『ばあちゃん』と呼ばれると、何ともいえない複雑な気分になってくる。
とはいえ、親切に声を掛けてくれた男性を、このまま無視するわけにもいかない。
カミルに喋らないように合図をすると、サリカは引きつった笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
「私の事ですか?」
三十歳前後と思われる御者の男は、サリカの顔を見てポカンを口を開けた。
「すまねえ、兄ちゃんだったか。髪が白いんで間違えちまったよ」
頭を掻きつつ日焼けした顔に苦笑を浮かべる男の様子を見ながら、サリカは心の中で大きな溜息をついた。
(今度は兄ちゃんか……)
今のサリカは、以前ユリウスが購入してきてくれた男物の服を着ている。
護衛無しで遠出する際に男装するのは、修行の際にユリウスから教え込まれた処世術だ。性別を間違えられるのは慣れてはいるし、そもそも女とバレたら意味がない。
しかし、『ばあちゃん』と呼ばれた直後の『兄ちゃん』扱いである。今後の事を考えると、自分の在り様を、少々見直す必要があるのかもしれない。
(今度ソニヤに相談しよう)
事情を話した瞬間に爆笑されるのは確実だと思うが、背に腹は代えられない。
「で、そんな所に座り込んで、具合でも悪かったのか?」
「いえ、少し休んでいただけです。ご心配ありがとうございます」
「ならいいんだけどよ。ピヴァロまで歩いて行くなら結構時間かかるぜ。荷台で良けりゃ、乗せてってやろうか?」
色々と勘違いされているものの、男の様子をみれば、何の下心もない親切心からの申し出であるのはよく分かる。ありがたい話だが、獣車に乗せてもらっては目的を果たせなくなる。
「ありがとうございます。でも、ちょっとした思い出のあるところなので、歩いていきたいんです」
転移酔いと獣車酔いが重なった道だ。恐らく死ぬまで忘れる事はないだろう。
当時の事を思い出しつつ、サリカは真っ直ぐに続く街道に目を向けた。
「そうか。まあ、歩きたいなら無理にとは言わねえよ。でも、この先に変な噂がある所があるから、気をつけろよ」
「変な噂ですか?」
「ああ、なんでも呪われた岩があるって噂があってさ。そこの前を通ると具合い悪くなるらしいんだよ」
「へえ、そんな噂があるんですか」
「俺は信じてねえんだけどさ。知り合いの一人が、そこ通った時に具合いが悪くなったらしいんだよ。まあ、呪いだ何だってのは嘘だとしても、実際に妙な事があるなら気を付けた方がいいだろ?」
「確かにそうですね。教えていただきありがとうございます。ちなみに、その場所はどこか分かりますか?」
「ここからだと、獣車で十五分ぐらいかな。道の横にでっかい岩があるんだけど、その辺りって話だぜ」
思いがけず重要な情報が手に入り、サリカは心の中で小躍りした。目的地がはっきりしたお陰で、あちこち歩き回る必要がなくなったようだ。
「ありがとうございます。十分注意して通ることにします」
「ああ。じゃあ俺はそろそろ行くが、兄ちゃんも気を付けて行けよ」
「はい。あなたも気を付けて」
遠ざかっていく獣車を見ながら、サリカは胸に手を当て軽く頭を下げた。
親切な御者のお陰で、場所を見つけるのか楽になった。あとは、現場に到着してからどうするかを考えればいいだけだ。
「サリちゃん」
ホッと胸を撫で下ろすサリカを見ながら、今まで大人しく黙っていたカミルが、不思議そうに首を傾げた。
「ん、どうした?」
「どうしてさっきの人、サリちゃんのこと男だと思ったんだろ。サリちゃん、こんなにカワイイのに」
「カミル……」
ほんの少し荒みかけた気持ちが綺麗に消え去り、サリカは目的地に向かって元気に歩きはじめた。




