活動開始
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
元気に裏の森へと飛んでいったカミルを見送ると、サリカは地図を片手に東屋へと向かった。
生まれ育ったパモス王国より温暖なこの島は、冬でも非常に過ごしやすい。逆に真夏はかなり暑いらしいのだが、暑さ対策は万全と聞いているので安心だ。
打ち寄せる穏やかな波音に、自分の足が小石を踏むジャリっという音が混じり、心地の良い音楽を奏でている気分になる。ふと視線を海に向けると、薄雲がかかる青空を背景に、海鳥達の姿が見えた。
島で暮らすようになってから、サリカは外に出て考え事をすることが多くなった。波音を聞きながら、潮の香りがする澄んた空気を吸っていると、頭の中で渦巻いていた雑念が消えていく気がするのだ。
心地良すぎて眠くなってくることもあるが、室内で悶々とするよりずっと良い。
東屋に到着したサリカは、テーブルの上に中央大神殿で貰った世界地図を広げた。
地図には四ヶ所ほど、小さな青色の丸印がついている。自宅のある島と中央大神殿、パモスのセリウォル大神殿とシノフィス近くの山中。どれも、今のサリカが転移魔法陣を使って移動できる場所だ。
(さてと、どうするかな)
サリカは腕を組んで、地図を凝視しながら小首を傾げた。
テネアルでの勉強に一区切りつき、これまでのように頻繁にアネルマの元に通う必要が無くなったサリカは、自分の役目を果たすべく、本格的に活動を開始することに決めた。
まだ初歩的な霊術しか使えないので、勉強は継続しなければいけないし、育ち盛りのカミルのためテネアルで食料を調達してくる必要もある。それでも、以前に比べて活動しやすくなった。
また、パモスに行ったのを機に、テネアルで目覚めた日からずっと胸の奥にあった釈然としない思いも、氷が溶けるように消えていった。
しっかり自分の役目と向き合える状況になったと、ようやく思えるようになったのだ。
やる気にはなったものの、問題はどこに行くかだ。目的地に辿り着けるか、ちゃんと役目を果たせるかは、また別の話である。
二つ名で示唆されているサリカの役目は、この世界と他の世界を分けている『界壁』の修復作業だ。
職人ぽいのに、職人としての師匠はいない。出たとこ勝負で、全て自力でなんとかせねばならないのが辛いところだ。
とりあえず、修復が必要な場所があるなら、即向かうという意識と覚悟はあるものの、その場所が分からない。
界壁から直接依頼が来るはずもなく、問題のある場所を見つけるお役目の大神官も居なさそうである。そうなると、壊れた界壁を見つけるところから始めねばならない。
「壊れた所ねえ……」
サリカはポツリと呟いた。
一応二つ名を授かる時に、様々な映像を見せられてはいる。だが、あの短時間の映像でサリカが理解できたのは、ところ構わず界壁は壊れるという事ぐらいだ。
だからと言って、世界中を隅から隅まで歩き回るわけにもいかない。ある程度目星をつけないと、いくらサリカの寿命が延びたとはいえ、生きてる間に役目を終えられる気がしない。
(そもそも、穴が開いたら何が起こるんだ?)
サリカが知ってるのは、上空の巨大な裂け目から白と黒の霧が出てくる様子と、その結果カデウスのほぼ全土が荒野となったことだ。
穴が大きくなればカデウスと同じ事態が生じる可能性はあるが、穴が小さい場合はどうなるのか、サリカは全く分からない。
(界壁に穴が開けば、霊素と幽素がこの世界に漏れ出てくるとして、それがどう影響するかだよなあ)
教団の見解によると、サリカの見た白い霧は『テネアル』から漏れ出た『霊素』であり、黒い霧は別の世界、通称『デギアル』から漏れ出た『幽素』だろうとのことだ。
霊素の場合、一気に膨大な量が流入しない限り、界壁の隙間を通って徐々に元の世界へ戻っていくため、問題が生じることはほぼ無いそうだ。それが、大神官がテッセオとテネアルを行き来きすることが許され、テネアルの物を持ち込める理由でもある。
ただし、デギアルと幽素に関しては、教団は明言を避けている。
フォシアル教の聖典にも記されているが、テネアルとデギアルという二つの世界は、真逆と言えるほど質が異なる。そのため、テネアルと深い関わりを持つ大神官には、デギアルに属する物を把握するのは難しいのだそうだ。
幽素も霊素と似たようなものだとしても、この『テッセオ』に存在するものからすると完全に異物である。
問題とまではいかなくとも、何らかの影響が出る可能性もある。
(あれ、そう言えば、前に師匠が服について何か言ってなかったか?)
テネアルからテッセオに戻って来る際、ユリウスからテネアルで作られた服を着るなと言われたのを、サリカは思い出した。素材が霊素なので、違和感を感じるというのが理由だったはずだ。
だが、異物である霊素や幽素に触れて、違和感だけで済むものなのだろうか。
(もしかして、コダル周辺で起きていた事って……)
サリカがカデウスに行く事になったのは、コダル周辺で起きていた魔素欠乏症が理由だった。実際に魔素が異様に減っていたのは、その場にいたサリカも自分の目で確認している。
コダルで何がなされていたのか、教団側も全てを把握しているわけではないらしい。ただ、魔素を多量に使う実験がされてたという話だけは、サリカも聞いている。
だが、メソアードの屋台の店主が話してくれた人々の状況が、魔素欠乏症だけとは限らない。そもそも、あの時のカデウス国内には、霊素を感じ取れる大神官は一人も居なかったのだから。
(よし、ソニヤに聞いてみよう)
先日ソニヤに会った時、災禍後にカデウスに作られた療養施設に派遣されていたと話していた。
体に関してなら、サリカが乏しい知識や経験で頭を悩ませるより、『癒し手』であるソニヤに聞いた方が早いし確実だ。
サリカは大きく深呼吸してから目を閉じると、ソニヤに向かって覚えたての念話を飛ばすことにした。
『サリカったら、念話が使えるようになったのね』
目を閉じたサリカの頭の中に、苦笑するソニヤの姿と声が浮かんできた。
「うん、昨日師匠に習ったんだけど、まだ慣れないから、短時間しか話せないんだよね」
『昨日って……。サリカもユリウス様も、本当に規格外よねえ』
「え、師匠は分かるけど、私も?」
『まあいいわ。長く話せないのでしょ? 用件は何?』
念話を使うには体内魔素を消費する。覚えたてで効率良く使えないため、長く話していると意識が飛ぶ。
ちょっとした誤解が生じているのが気になるが、サリカは本題に入る事にした。
「癒し手としてのソニヤの意見を聞きたいんだけど、今大丈夫?」
『大丈夫よ。それで、聞きたい事って何?』
「テッセオで暮らす一般的な人が霊素とか幽素に触れると、どんな状況になるか分かる?」
『長時間しかも多量に曝されない限り、体調に大きな変化は起きないわね。起きたとしても、ちょっとした気分の悪さぐらいで、その場から離れて休憩すれば落ち着くわ。ただし、幼い子供とか高齢の人、持病があったり疲労が蓄積している人は別ね。体調不良で寝込む事も少なくないわ』
やはり、災禍前のコダル周囲では、魔素欠乏症と共に、霊素と幽素の影響を受けていた可能性がある。だが、できればそれ以外にも手がかりが欲しいところだ。
「体調の変化以外に何かあるかな?」
『そうねえ。私は大神官っていう立場上慣れてしまっているけど、私の護衛騎士に言わせると、霊素の含まれるものは変な違和感があるらしいわ』
「具体的にどんな感じか分かる?」
『レオ、具体的にはどんな感じなの?』
どうやら傍に、先日会った護衛騎士がいるようだ。一般人といえるかは微妙だが、それでも大神官以外の意見を聞けるのはありがたい。
意識を広げてみると、ソニヤの傍に真面目な顔をした護衛騎士が立っているのが分かった。
『そうですね。違和感といっても、嫌な感じではありません。畏怖に近いような感じでしょうか』
『畏怖ねえ』
「若い時に大神官を見て、何だか異様に目立つ近寄り難い人って感じたのに近い?」
『ああ、そんな感じですね』
『レオの場合、体内魔素の状態が神官と同じだからその程度だけど、一般の人だと更に強く感じるかもね』
「ああ、霊素の影響で体内魔素が揺らされるのか」
『そう言うこと』
ユリウスの言う通りだった。おそらく、霊素で作られた地味な普段着だとしても、それを身に着けて町中を歩くと、大神官用の真っ白の神官服を着て町中を闊歩してるの同じぐらい目立つのだろう。
「幽素に関しては、どうかな?」
『幽素については、私もよく分からないのよね。ただ、カデウスの療養施設にいた時、酷く怯えている人がいたわね。最初は災禍を体験したなら、恐怖を感じて当然と思っていたのよ。だけど、よくよく話を聞いてみると、理由が思い当たらないと困惑している人が結構いたのよね。もしかしたら、それが幽素の影響かもしれないわね。まあ、私の勝手な憶測でしかないけど……』
「そっか」
『私が分かるのはこんな事ぐらいだけど、参考になったかしら?』
「もちろん! ものすごく助かったよ。忙しいところ、二人とも本当にありがとう」
『なら、良かったわ』
『お役に立てて何よりです』
もう少し話を続けたかったが、目眩が生じ始めたのに気付いたサリカは、仕方なく話を切り上げることにした。
「ごめん、そろそろ限界だ。今度御礼するね……」
『御礼はどうでもいいから、さっさと休みなさい』
「うん、そうする。またね」
『ええ、また会いましょ』
念話を終えたサリカは、東屋の長椅子に崩れ落ちるように転がった。
(き、きつい……)
一気に体内魔素が減ったせいで、目眩と息切れがする。頭を動かすと、おそらく吐く。
サリカは服のポケットを探り、先日ソニヤから土産として貰った魔力回復の飴を取り出した。
目を閉じたまま包を開き、口の中に放り込む。
(美味しいなあ)
口の中に、懐かしい味が広がった。
カデウスでのお役目の時もそうだった。
空に浮かぶ巨大な穴を前にして孤軍奮闘していたわけではなく、ポケットの中にはソニヤの飴があり、サリカをそっと静かに支えてくれていた。
姿は見えず、存在を感じなくとも、テネアル側にはユリウスが居て、共に事に当たっていた。
改めて、自分が幸せであると実感させられる。
これから何が起こるか分からないが、親友や師がこうして助けてくれているのだ。不安になる必要などない。しかも、可愛い養い子も、サリカの護衛になれるよう修行してくれている。
(私も気合いを入れないと)
そう決意を新たにしたサリカは、心地よい潮風を感じながらしばし眠りについた。




