お役目
眉間に皺を寄せた神官長が、指先でトントンと手紙を叩く音が静かな部屋の中に響いていた。
これまで穏やかな表情の神殿長しか見たことがないサリカは、今の神殿長の様子に内心ひどく驚いていた。 難しい顔をした目の前の人物が、神殿長に似た別人だといわれた方が納得できるほどだ。
サリカは目を伏せてゆっくりと息を吸い込むと、いまだ固まるアハトを横目に神殿長に問いかけた。
「その神殿長代理の手紙は、どのような内容だったのでしょうか?」
神殿長は手紙を叩く指を止めると、サリカに視線を向けた。
「ここ数ヶ月、魔素欠乏症の患者がカデウス国内で増えているらしい」
「魔素欠乏症……ですか」
「そうだ。それまで何の問題もなく暮らしていた者が、突然発症しているらしい。とりあえず対症療法として、薬で一時的に体内魔素を増やしているようだが、それでは根本的な解決にはならない。よって、他国でも同じような事が起こってはいないか、また良い対処方法があるなら教えてほしい、そんな事が書かれていた」
魔力の元となる魔素は、世界を構成する要素として世界中のありとあらゆる所に存在する。当然、人の体の中にも存在し、その体内魔素は魔力の大小に関わらず皆が一定量持っている。
その体内魔素が何らかの原因によって減少することを、魔素欠乏症という。原因も様々だが、症状も多岐にわたるため自覚しにくい。そのため気付いた時には、臓器に深刻な問題を生じさせている事も多い。
魔力の使い過ぎでも似たような状態になるが、それ以外で発症するのは稀だとされている。
「パモス国内でそのような症例は聞いたことがありませんが、他国はいかがなのでしょうか?」
「先程中央に確認してみたが、他国でも起こっていないという話だ」
中央大神殿には世界中の情報が集まる。管轄地域で問題が生じた場合に、神殿長が中央大神殿に状況等を報告する義務があるからだ。
だが、中央大神殿と直接やり取りできるのは大神官のみ。神殿長代理であっても中級神官の立場では、中央大神殿に連絡する方法すら分からないだろう。
「ということは、カデウス国内に原因となる何かがあると………」
「そうなるな。原因を取り除けば解決するだろうが、原因がはっきりしない限り動きようがない。対処といっても、魔素の補給と、状態の悪い者を原因らしきものから遠ざけるぐらいしかないだろう」
神殿長が小さく溜息をついた。
(ああ、なるほどね)
サリカにも何となく状況が読めた。
『治療法』ではなく『対処法』。何らかの病に罹患したのではなく、それ以外に原因があるということだ。
おそらくカデウスの神殿長代理は、魔素欠乏症の原因について分かっている。だが、それを手紙にはっきりと記すことができない理由があるのだろう。
この手紙の目的は、神殿長を通してカデウスの状況を中央大神殿に報告すること。そして、神殿長はそれら全てについて、おおよその見当がついているに違いない。
「中央はカデウスに対して、何らかの対策をとられると思われますか?」
「正直なところよく分からん。これまで中央がカデウスに対して静観の姿勢をとっていたのは、カデウス側が話し合いを拒否していたからだ。そして、国内から上級以上の神官を締め出しているのもカデウス側だ。何か問題を抱えていたとしても、おそらくカデウスは教団側からの手出しを拒絶するだろう」
カデウス国内で何があったのか、サリカには分からない。少なくとも三年前にカデウスに行った時には、特に変った様子はなかった気がする。
(そういえば、あの頃からカデウス国王の体調を心配する声があったな)
サリカは他国の事情はもちろん、自国の事情すら把握出来る立場にない。そもそも、あまり興味がない。
そのため他国の王族の事など庶民の噂程度のことしか分からないが、もし国王の健康状態に問題があれば、その神殿長代理という人物も色々と大変なのかもしれない。
「神殿長は、カデウスの神殿長代理という方をご存知なのですか?」
「ああそうか、若い者は知らないのだな」
神殿長が優しい笑みを浮かべ、何かを思い出すかのように宙を見つめた。
「彼女は下級神官の頃、一時期この神殿に居たのだよ。カデウス国内では周囲が煩くて修行にならないとな。元王女だから、良くも悪くも色々とあったらしい。数年後、彼女がある程度の年齢になって周囲の思惑も薄れたのを機に、自国へと戻って行った」
「そうでしたか」
「神官になることで強くなれたし自由になれた、そう言ってカデウスに帰って行ったのだがな」
神殿長の笑みがほんの僅か悲しげに見え、サリカはそっと目を伏せた。
責任感が強い人なのだろう。そして、自国を愛する王族らしい人なのかもしれない。神官になることで自由を得ながら、結局王族としての柵から逃れることが出来なかったということか。
会ったことのない元王妹に対し、サリカはそんな印象を持った。
「手紙を運んで来た下級神官の少女は、その方の侍女のような事もしていたようです。神殿長の所に早く戻らねばと言いつつ、手紙を私共に託すと倒れてしまったのですが……。彼女も魔素欠乏症だったのですね」
それまで黙って話を聞いていたアハトが、ポツリと呟くように言った。
「魔素欠乏症に加えて、疲労と緊張が重なったのだろう。まあ心配せずとも、ピヴァロの神官長は優れた『癒し手』だ。上手く対応しているだろう」
「はい」
アハトはほっと息を吐くと、安心したような笑みを浮かべた。
大神殿以外の各神殿には、神官長と呼ばれるその神殿の責任者がいる。ピヴァロの神官長は穏やかな年配の女性で、サリカも何度か彼女の世話になったことがある。
(そういえば、アハトは癒し手を希望してたな)
全ての神官は、その者の能力に応じて『癒し手』『読み手』『操り手』という三つの役割に振り分けられる。『癒し手』は人を癒やす能力に長けた者、『読み手』は土地などの場の状態を見るのに長けた者、『操り手』は場の調整に長けた者が担い、『お役目』と呼ばれる仕事を行っている。
病や怪我を治療するのは基本的には医師であり、薬を作るのは薬師だ。しかし、癒し手が患者の魔素を確認することで、病気や怪我の状態がより明確になる。また更に、癒し手による魔素の調整で、治癒スピードが桁違いに早くなるのだ。
そのため三者が上手く連携を図ることが、患者にとって最も有益であるとされている。
それぞれの役割に分かれて活動するのは、中級神官になってからだ。おそらくアハトは、ピヴァロの神官長の弟子となり、癒し手としての修行をしているのだろう。
アハトの様子を眺めながら、サリカは己の師匠の事を思い出し、音の無い小さなため息を漏らした。
(師匠は、今どこをほっつき歩いてるんだろうねえ)
サリカの師匠は若くして大神官となり、その能力の高さで教団内でも有名な人物である。飄々とした人で、一緒にいることが多かった弟子のサリカでさえ、未だに師匠の考えている事は全く分からない。
そしてサリカが上級神官になった年に、役目があるとか何とかで、一人ふらりと出掛けたきり行方知れずだ。
行儀作法の厳しい神殿育ちのサリカだが、素の言動が良く言えば親しみがあり、悪く言えばがさつなのは、ひとえにこの師の影響である。
これまでの師匠との関わりをしみじみと思い返していると、神殿長が苦笑しながら自分を見ているのに気付いた。多分、何を考えていたのかお見通しなのだろう。
サリカは小さく咳払いすると、姿勢を正した。
「さて、サリカ。おそらく既に気がついているだろうが、そなたを呼んだのは、私の手紙をカデウスの神殿長代理の元まで持って行き、直接渡してほしいからだ。本来上級神官が行うような事ではないが、カデウスの現状を考慮すると、今そなた以外に適任がいないのだ」
「……承知いたしました」
サリカは胸に手を当て、静かに頭を下げた。
予想通りではあった。魔素欠乏症患者が多くでるような地であるなら、『読み手』であり『操り手』でもあるサリカが行くのが一番確実だからだ。しかも、修行の際に師匠に連れられ、幾度もカデウスに行ったことがある。
「すまない。あやつがいれば、あやつに行かせたのだが……」
『あやつ』というのが自分の師匠であることを察し、サリカは自分の顔が引きつるのが分かった。
(次に師匠と顔を合せた時は、高価で美味いものを山程奢ってもらおう)
サリカはそう決心すると、がさつさなど微塵も感じさせない微笑を浮かべ、ゆっくりと頭を上げた。