焦ることなく
「また、ここでご就寝なさったのですか」
神殿長の執務室に足を踏み入れたレオは、部屋の惨状を見て小さく頭を振った。
机上は整えられ、一見何の問題もないように見える。だが、覗き込んでみると、机と椅子の陰に隠れた床の上に、白い布の塊が転がっている。
神殿長の執務室には、神殿長としての役目以外を行う場所が設けられている。執務机の奥にある扉のない小さな個室のような場所で、入り口からは死角になっている。
現神殿長であるソニヤの話によると、大神官にはそれぞれ独自の役目があるらしい。
自分の役目と神殿長としての役目。どちらも手を抜くことができないため、とんでもなく忙しい。部屋を移動する時間を惜しんで設けられたのが、執務机の奥にある空間だそうだ。
「自室は隣なのですから、お戻りになって休まれた方が、疲れは取れると思うのですが」
白い塊がモゾモゾと動き出すのを見て、レオの口から安堵と呆れの入り混じる溜息が出る。
日々の忙しさは、護衛騎士として傍にいるレオにも痛いほどよく分かる。だが、床で寝ている姿を目にする度に、何とも言えない残念な気持ちがこみ上げてくる。
「そうは思ってるんだけど、ついねえ」
欠伸をしながらモゾモゾと起き上がってきたソニヤが、立ち上がって大きく伸びをした。普段は泰然とした雰囲気を纏っているが、目覚めた直後だけは少々可愛らしく見える。
毎度不思議に思うのが、神官服を着たまま寝てたというのに、起き上がると髪にも服にも乱れがない事だ。つい先程まで、芸術的な置物のごとく床で転がっていたとは思えない。
「悪いけど、着替えてくるから少しだけ待っててくれる?」
「承知しました」
「そうそう、机の上の飴なんだけど、今朝できた新作なの。良かったら食べてみて」
「ありがたく頂戴いたします」
疲労回復と魔力回復の飴は、『癒し手』である神官なら皆作ることができる。だが、ソニヤの作るものは品質が良く、味だけでなく効果も著しく高い。
神殿長に就任以降は時間がなく、効能の研究をする時しか飴作りをしていないらしい。そのため、ソニアの飴を口にできるのは、ごく身近な限られた者だけとなっている。
「食べたら感想をきかせてね」
「承知しました……」
感想と言っているが、正しくは詳細な報告だ。毎回質問攻めにされるが、報告書を書けといわれないだけマシだと思うようにしている。
ソニヤは自分で作った飴の一つを摘み上げると、ポイっと口の中に放り込んだ。
「うん、なかなかの出来栄えね」
誰かに新作を試食させる場合、ソニヤは毎回こうして自分が先に食べる。
食べても問題ないと相手に伝えるためのようだが、そもそも彼女に全幅の信頼を置く人しか食べる機会はないのだ。不要な配慮だと指摘する事もできるが、そんなソニヤの心遣いが嬉しく、レオはいつも黙って見守る事にしている。
寝起きとは思えぬ優雅な動きで部屋から出て行くソニヤを見送ると、レオは執務机へ歩み寄った。
「また、ご無理をなさって……」
机の上には、ガラスの器に入った二種類の飴がある。朝日に照らされ輝いている様子は、小さな宝石のようだ。
レオはその中から疲労回復の飴を二本の指で摘みあげ、窓から差し込む光に透かしてみた。
気泡が入っていない水色の飴は、向こう側が透けて見える程澄んでいる。ソニヤの作った飴以上に美しい飴を、レオはこれまで見たことがない。
食べるのが勿体無い気もするが、新作の感想を述べるのも自分の役目である。先程のソニヤに倣って、レオは口の中に飴を放り込んだ。
********
午前中の執務が終わり、そろそろ休憩時間という頃、神殿長への面会を希望する神官が一人やってきた。
部屋に入って来たのは、カトリという名の下級神官だ。十代半ばと思われる少女で、緊張しているのか、礼をとった後の手が若干震えている。
「す、すみません。突然来てしまって……」
「いえ、大丈夫よ。私に聞きたい事があるみたいだけど、どんな事かしら」
「は、はい」
気持ちを落ち着かせるためか、カトリはぎゅっと目を閉じて一度だけ大きく深呼吸すると、少しだけ躊躇う様子をみせながら口を開いた。
「あ、あの、先日いらした大神官の方は、神殿長のお知り合いなのでしょうか?」
ここ最近セリウォル大神殿に来た大神官は、サリカだけだ。
カトリの言う大神官がサリカなのは間違いないと思うが、わざわざ人目につかない時間帯を選んで来ていた筈だ。出会っていたなら、かなり運がいい。
「そうだけど、あなたサリカと会ったの?」
「は、はい。中央回廊でたまたまお見掛けして、挨拶させていただきました。あの方、サリカ様と仰るんですね」
先程まで強張った表情で立っていたカトリが、頬を染めて目を輝かせている。まるで恋する乙女のような表情だが、一体何があったのだろう。
レオの位置からソニヤの顔は見えないが、笑いを堪えているのか微かに肩が震えている。
「あなたが聞きたかった事というのは、彼女の名前なのかしら?」
「いえ、お名前を知ることができたのは嬉しいですが、ここに来た理由は他にあります」
「そう。じゃあ、その理由を聞かせてくれるかしら」
「はい」
再び深呼吸をしたカトリは、意を決したような表情で話し始めた。
「上級神官になるには、大神官もしくは上級神官の弟子になる必要があると聞いたのですが、師弟というのはどのように決まるのでしょうか?」
「そうね。人によってそれぞれだから、これという決まった形はないわ。ただし、双方の合意の上というのが絶対条件で、最終的に許可を出すのは神殿長である私ね」
「もし私がサリカ様の弟子になりたいとお願いしたら、あの方の弟子になることは可能なのでしょうか……」
カトリの声が尻すぼみに小さくなった。
「ああ、成る程。そういうことね」
ソニヤの溜息混じりの小さな呟きは、少し離れた位置に立つカトリには聞こえていないだろう。
サリカが大神殿にやってきてから数日経つ。その間、この少女なりに色々考え、勇気を振り絞ってソニヤに質問しにきたのだろう。
サリカの役目がなんであるかは知らないが、彼女の所属はセリウォル大神殿から中央大神殿へと変更になったそうだ。
神殿騎士であるレオには、神官の師弟関係がどのようなものかは分からない。それでもサリカがこの少女を弟子にしない事は、何となく分かる。
「カトリ、確かあなたは『癒し手』を希望していたわよね」
「はい。『癒し手』が向いていると、ヨーナス様にも言われました」
「ヨーナスが言うのなら、確かね。同じ『癒し手』として期待しているわ」
「ありがとうございます!」
「でも、残念ながらサリカは『癒し手』ではないの。だから、あなたを弟子することはできないわ」
「そう、ですか……」
神官の役割には『読み手』『癒し手』『操り手』の三つがある。
師弟関係を結ぶには、役割が同じである必要は無かったはずだ。とはいえ、同じ方が指導しやすいのは、誰から見ても明らかだ。
落ち込んだ様子のカトリを見て可哀想だとは思うが、こればかりは仕方ない。
「でも、あなたが弟子入りを希望していたことは、彼女に伝えておくわ。それでいいかしら」
「は、はい!」
「ヨーナスは厳しいでしょ?」
「私は要領が悪くて、叱られてばかりです……」
「そう。でもそのヨーナスが『癒し手』に向いてると言ったのだから、あなたには素質があるという事よ。まずは、焦らずに中級神官になれるように努力なさい。そうしているうちに、あなたにとって良い縁が巡ってくるでしょう」
「分かりました」
「他に聞きたい事はない?」
「大丈夫です。お時間をいただき、ありがとうございました」
色々と吹っ切れたのか、カトリは部屋に来た時とは異なる明るい表情で、部屋から出ていった。
カトリが去った後、天井を見上げていたソニヤが大きな溜息をついた。
「まったくサリカったら、相変わらずなんだから」
「相変わらずというと?」
「彼女、昔から無自覚な人たらしなのよ」
「ああ、何となく分かります」
「でも、いい人材を釣り上げてくれたわ。アハトが大神官になった後、カトリと会わせる機会をつくってみようかしら」
「確か、アハト様も『癒し手』でしたね」
要領が悪いと言っていたが、おそらく真面目さと丁寧さの裏返しなのだろう。大神官であるサリカの弟子になりたいくらいだから、当然向上心もある。良い人材であるのは確かだろう。
「ですがそれ程良い人材なら、ソニヤ様が弟子にしてもよろしいのでは?」
「多分、あの子と私とでは上手くいかないわ。私は要領がいい人間だから」
「確かに……」
二つの役目を同時にこなしていくには、要領の良さは必須だろう。だとすれば、生真面目なアハトとの方が、上手くいくのかもしれない。
「それに、私が弟子にと望んでいる人物は、他にいるからね。でも、なかなか承諾してもらえないから困ってるのよ」
苦笑するレオを見ながら、ソニヤがニヤリと笑った。
『あらやだ、あなた半分精霊の血が混じってるじゃない!』
人語を話す赤い鳥から言われた言葉を、レオは今でもはっきり覚えている。
レオの故郷は、災禍を逃れたカデウスの北端の村だ。
父親は何者か分からず、母親もレオが物心が付く前に亡くなった。育ててくれた高齢の祖父母も、レオが十歳の時に病によって相次いでこの世を去った。
自称精霊の赤い鳥と出会ったのは、祖母が亡くなり、レオが天涯孤独の身となった数日後だ。
騒がしい赤い鳥が教えてくれたのは、レオが精霊の子供であるということだった。名前も顔も知らない父親が、どうやら精霊だったらしい。半分精霊なので、レオの寿命はかなり長いだろうと言われた。
普通なら嘘だと言って笑い飛ばすような話だが、レオは疑う事なく素直に受け入れた。幼い頃から、自分が他の人と少し異なっていると気付いていたのだ。
『え、あんた行く所がないの? しょうがないわね。私がユリウスっていう乱暴者にあんたの事を話しておくから、ここに来た神官を捕まえて神殿にいきなさい!』
赤い鳥はそう言い残して、何処かへ飛び去って行った。広げた翼が美しかった気がするが、大きな声と騒がしさの印象が強く、姿形は殆ど覚えていない。
神官を捕まえろと言われたが、神殿などあるはずもない小さな村だ。だが、当時は災禍の直後で、頻繁に神官が訪れていたのが幸いした。神官に事情を話したところ、すぐにパモスのセリウォル大神殿に行くことになった。
赤い鳥が言っていた『乱暴者』が、教団で最も偉い大神官だと知ったのは、レオが新しい生活に慣れてきてからだ。その時の衝撃は、自分に精霊の血が流れていると知った時より大きかったと思う。
身体を使うことが得意だったので神殿騎士になったものの、レオは光属性の魔術を使うことができる。そのため、神官としての勉強もさせられており、今から神官になることも不可能ではない。
だが、レオは神殿騎士という役目が気に入っている。ソニヤの護衛騎士としての生活は、充実感だけでなく、不思議な安らぎも感じる。
排他的で閉鎖的な小さな村の中で、後ろ指を指されながら生きてきたレオにとって、神殿騎士団という場所は、生まれて初めて自分を肯定できた場所なのだ。
寿命が長いと言われても、それが自分の生活にどう影響するのか、今のレオには想像もつかない。だが、どういう形であれ、目の前にいる大神官と関わり続けるだろう。心の中に、そんな確信めいた予感がある。
(焦って決めるものではないよな)
レオは黄緑色の瞳を見つめたまま微笑むと、これまでと同じようにソニヤの言葉を受け流した。




