大神官とは
パモスから帰って来た翌日、サリカは名札を返却するため、中央大神殿へ向かった。
自分の生死が分かる物を自分が持っていても仕方がないのと、紛失した時に面倒そうなので、早々に返却することにしたのだ。
「では、こちらはお預かりしておきますね。今後使うことはないとは思いますが、まあ世の中、いつ何があるかわかりませんからねえ」
「そ、そうですね……」
どうやら余程の事がない限り、サリカの所属は変わらなそうである。だが、できるだけ平穏に過ごしたいサリカにとって、余程の事が起こるのも問題である。
とりあえず、自分も世の中も平和であることを願うばかりだ。
「そうそう、先程パモスのソニヤ様から連絡がありました。ピヴァロの神官長であるアハトさんが、大神官になる事を了承したそうですね。サリカ様にもご助力いただいたようで、感謝いたします」
「いえ、私は彼の話を聞いただけで、特別何かしたわけではないですから……」
サリカのしたことは、手紙を運んでお茶を飲みつつ会話しただけだ。どう考えても、立役者は全てを仕組んだソニヤだろう。
昔から頭が良いとは思っていたが、神殿長になって更に色々な方向で磨きがかかっているような気がする。
そんなサリカの心の内はお見通しとばかりに、マイヤが幼い子供を見ているかのような笑みを浮かべた。
「彼に必要だったのは、サリカ様と直接会って会話をする事でした。貴方は手紙を渡す事も、彼の話を聞くことも、断ることができたのです。ですが、その両方を貴方は実行しました。それによって、彼の心の中が整理されたのですから、十分ではありませんか?」
「確かに、仰る通りだと思います」
「サリカ様、貴方の二人の師よりも少々長く生きている私が、一つだけ助言いたしましょう」
「は、はい」
さらっと重大な事を言われた気がするが、今大事なのはそこではないと気を引き締める。
「自分の能力を過大評価しないという姿勢は素晴らしいと思いますが、度を過ぎると害になることがあります」
「はい」
「貴方のお役目は、目の前で起こっている事、どんな些細な事も見逃さないようにする必要があります。自分の能力はもちろん、その時々の自分の行動や判断などもきちんと把握しておかないと、見落としてしまう事があるやもしれません。十分に気を付けて下さいね」
「ご指導ありがとうございます」
深く頭を下げるサリカの耳に、マイヤの軽やかな笑い声が聞こえてきた。
「いえいえ。まあ、あの型破りなユリウス様のお弟子さんですからねえ。色々思う事もあるのでしょう」
全てが図星なだけに、苦笑する以外に何もできない。だが、こうして助言を貰える機会というのは、年齢や立場が上がるにつれて無くなってくるのを知っているだけに、幸せな事だと実感する。
「大神官になったばかりで戸惑う事も多いでしょうし、何かご質問があるようならお答えしますよ」
「私の役目に直接関係の無い事でも大丈夫ですか?」
「はい。構いませんよ」
サリカは、アハトの話を聞いた時から気になっていた事を尋ねることにした。ユリウスに尋ねることもできるが、おそらくマイヤの方が詳しいはずだ。
「三十年間寝ていた私が言うのも何なのですが、アハトがテネアルから直ぐにテッセオに戻り、今まで大神官とならずにいられたのは何故なのでしょうか?」
「ああ、確かに気になりますよね」
マイヤは腕組みをして、何度も頷いた。
「一番の理由は、アハトさんの師が上級神官だったということですね」
「上級神官だとテネアルに入れないからですか?」
「そういう事です。サリカ様も身に覚えがあると思いますが、初めてテネアルに足を踏み入れた者の中で、混乱せずに状況を把握できる者は、非常に稀です」
「確かに……」
その稀な人間の中に、己の師が入っているように思うのは、弟子の欲目では無い気がする。
(師匠が帰ってきたら、確認してみよう)
サリカは、そう密かに決心した。
「混乱していても、自分の師の話ならば、大抵の者は耳を貸します。教団内で師弟関係が重視されるのは、その関係性の中で精神的な安定が図れるからなんです」
「なるほど、そういう事なんですね」
「師弟関係を結ぶにあたり、教団側が口出しすることは一切ありません。ですが、自然と生まれ持った質が似たものが師弟関係なるので、大神官の弟子が大神官になる事が多くなります。まあ、似たもの同士が引き合うということですね」
「……そうですか」
師匠がユリウスだから、サリカがガサツに育ったわけではないらしい。突きつけられた事実に、サリカは心の中で涙した。
「教団に属する神官が初めてテネアルに入った時に限り、中央大神殿で管理している名札によってその事が分かるようになっています。ですから、アハトさんがテネアルに入ってすぐに、同じ『癒し手』であるエリナ様に向かって頂いたのですが、彼女は直接の師ではありませんからね。精神面を考慮して、アハトさんの希望を優先したという事になります」
「なるほど、そういう経緯だったのですね」
アハトの事だ。覚悟を決めたのなら、立派に自分の役目を果たしていくに違いない。別れ際のアハトの表情を思い出し、サリカはそう確信していた。
「ご質問は、以上ですか?」
「あと一つ宜しいですか?」
「構いませんよ」
「災禍の前に、神殿長宛の手紙を持ってカデウスからパモスに来た下級神官の少女が、実は神官ではなかったという話を聞いたのですが、災禍の時のカデウスには、どのくらい神官がいたんですか?」
今更知ってどうする、という者もいるだろう。だが、災禍を身を持って体験した者として、事実を知っておきたいという思いが、サリカの中でずっと燻っていたのだ。
「結論から申しますと、カデウスに残っていた神官は、国王の妹である中級神官の女性一人だけです」
「そうでしたか……」
メソアードで会った屋台の店主が、神官が減って町の神殿に神官がいないと言っていたが、国全体から神官が居なくなっていたようだ。
「カデウスは、彼女を教祖として新しい宗教団体を作るつもりだったようです。そのため、我々の教団に属している神官や神殿騎士は皆、国外退去となっていました。さすがに直接的に危害を加えられはしなかったようですが、カデウス内での扱いは酷いものだったようです」
あの時、無事にコダルに到着して手紙を渡す事ができたとして、何事もなく帰ってくることができたか疑問である。だが、おそらくエルノは、カデウス状況を把握しつつサリカに役目を振ったはすだ。
(師匠が、クソジジイ呼ばわりするはずだよ……)
また一つ明らかになった事実に、サリカは心の中で盛大な溜息をついた。
「王妹の上級神官がどうなっているのかは、把握なさっているのですか?」
「彼女が教団の身分証を身に着けたままとは思えませんが、災禍の直後から名札の反応がありません」
「光の道を歩まれたという事でしょうか」
「それが、そうとも言い切れないんです。反応がないというのは、持ち主が死亡したという反応も、身分証が壊れたという反応も、全て無いということなので」
「どういう事なのでしょうか?」
サリカは首を傾げ、マイヤを見つめた。
「あの場に幽素があるということは、テネアル側の界壁だけでなく、もう一つの世界であるディタル側の界壁にも穴が開いたということになります。ですから、カデウスに居た者達は、土地ごとディタルへ移動したのではないか、そう考えている者もいます。まあ、確認のしようがないので、憶測の域を出ませんが」
「そうですか……」
ディタルがどのような世界か、サリカには全く分からない。突然違う世界に移動したとしても、生きていればいいと単純に言っていいものでもないだろう。
サリカにできる事は、どこであっても彼らが幸せに過ごしていてほしい、そう祈ることぐらいだ。
「他には何かありますか?」
「いえ、今思い浮かぶのはこれだけです。ありがとうございました」
「そうですか。では、私から追加でもう一つお話ししましょうか」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
これからの事を考えると、長く大神官を務めている方々の意見が貴重である。サリカは背筋を正して、マイヤの話に耳を傾けた。
「サリカ様は、大神官がどのくらいの頻度で誕生するか知っていますか?」
「いえ、人数が少ないということは知っていますが、それ以上詳しい事は分かりません」
「寿命が延びるため、意図的に情報を伏せていますからね。分からなくて当然です。ですが、人数が少ないというのは事実です。寿命が延び、エルノ様のように若返る事も可能であるにも関わらず、人数が少ないというのは、界壁を越えられる神官が非常に稀だからです」
「成る程、考えてみればそうですね」
自分がなってしまったせいか、大神官という存在の貴重さをすっかり失念していた。パモスには大神官が三人いたが、国よっては大神官が居ない所もあるのだ。
「ユリウス様に続き、サリカ様、ソニヤ様が大神官になり、これからアハトさんが大神官となる予定です。非常に喜ばしい事なのですが、見方を変えると、これは異常事態ともいえます」
「これまで、同じような事はなかったのてしょうか?」
「私も全てを知っているわけではありませんが、教団内に残されている古い記録によると、過去に何度かあったようです。その中の一つが、オノクシ大陸を小さな島々にするきっかけを作った、魔術大国があった時代です」
嫌な予感に、サリカは声を出すことができなかった。
「その時でさえ、続けざまに大神官になったのは二人です。それ以外でも多くて三人。そしてどの時も、その後に世の中を揺るがすような事が起きています」
「大神官の誕生は、災禍の前兆という事でしょうか?」
「分かりません。ですが、我々大神官は、世界の調和が崩れぬよう存在しています。大神官の人数が増えたのなら、その人数で事に当たらねばならないことが起きる。そう考えられなくもない」
目を閉じて深呼吸をしたマイヤが、再び目を開けた。眼鏡の奥にある水色の瞳が、じっとサリカを見つめている。
「脅すつもりはありません。カデウスの災禍だけでも大きな被害が出ていますから、今後何も起こらない可能性もあります。ですが、楽観的に考えて放置することはできません」
「はい」
「サリカ様は界壁の修復をするため、あちこちに行かれる事になるかと思います。その際、気になる事があったなら、どんな情報でもすぐに報告して下さい。必要な情報か不必要な情報かは、こちらで判断しますので」
「分かりました」
名札を返しにきただけのつもりが、酷く重い話になってしまった。だが、何も知らされずに動いていたカデウスでの事を考えたら、今の方が何倍もマシである。
サリカは胸に手を当て、マイヤに向かって深く頭を下げた。
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中央大神殿から戻ってきた夜遅く、久しぶりにユリウスが家に帰ってきた。ユリウスにしては珍しく、数日は家で過ごすらしい。
カミルは既に部屋で眠っており、久しぶりにユリウスと二人きりである。サリカは、お茶を飲んでいるユリウスの前にどっかりと座ると、大きな溜息をついた。
「なんだよ」
「今日、中央大神殿に行って名札を返してきたんですけど、その時マイヤ様から色々と話を聞かせていただきました」
「ああ」
「立て続けに大神官に就任する者が出てくるのは、非常に稀な事だという事とその意味、当然師匠は知っていましたよね?」
恨みがましい視線を向けるサリカに、ユリウスは呆れたような溜息をついた。
「普通に考えば分かる事だろうが」
「分かりませんって。師匠じゃあるまいし」
「知っていようと知ってなかろうと、やる事は同じだろうが」
「それはそうなんですけどね。でも、マイヤ様から、何かあったらすぐに連絡をよこすようにと言われました」
「まあ、そうだろうな」
「そういう事なので、師匠、念話のやり方教えて下さい」
「お前まだ使えなかったのか?」
「私には自力で習得できるだけの能力がありません。師匠じゃあるまいし」
「ちっ、仕方ねえなあ」
ユリウスには、自分が特殊な人間なのだと早く自覚してもらいたい。と、同時に、ユリウスの一番弟子であるサリカの事も、カミルの十分の一でいいから可愛がってほしいものである。
「師匠」
「なんだよ。まだ何かあんのか?」
「パモスでカイの墓参りをしてきました」
「そうか」
「ずっと来れなくてごめんと、謝ってきました」
「あの場所に埋められてるのは、あいつが脱ぎ捨てた身体の灰だけだ。あいつの魂は、もう先へと進んでいる」
「そうですね」
「久しぶりに酒でも飲むか」
「……はい」
貯蔵庫に酒を取りに行き、酒瓶を抱えて戻ってきたユリウスの左手には、三つのグラスが握られていた。




