どこにいても
「え、どういう事?」
再び音が戻ったサリカの耳に聞こえたのは、やけに震えた自分の声だった。
三十年という年月は、テッセオに暮らす人々にとって非常に長い。その間に何があってもおかしくないと、頭では分かっていたつもりだった。
だが、親しい者がこの世を去っている可能性すら思い浮かばなかったということは、三十年という月日の重みを、実際は何も分かっていなかったのだろう。
ソニヤは空になったサリカのカップにお茶を注ぐと、目を伏せて小さく深呼吸をした。
ソニヤの様子を見ているうちに、サリカの胸の内も徐々に静まっていくのを感じる。伏し目がちに黙ってサリカを見つめるソニヤの姿は、穏やかな海を彷彿とさせた。
サリカが目の前のお茶をゆっくりと飲んでいると、ソニヤが再び話を始めた。
「災禍の後、カイはサリカを探しに頻繁にカデウスに行ってたの」
「私を探すため? でも、捜索は師匠が一任されてたって……」
サリカがカデウスで行方不明になったのは、教団内でも一部の者にしか知らされてなかったそうだ。公にできない事が多かったのに加え、混乱した状況下で人手を割くこともできなかった聞いている。
「そうなんだけどね。あのカイが、それで納得すると思う?」
「……」
「最初はエルノ様も止めたらしいの。災禍直後のカデウスの状態は酷くてね。魔素の調整が上手い神官達でさえ、数日で体調を崩すぐらいだったの。でもカイときたら、騎士団を辞めて探しに行くって言い始めて、エルノ様も折れたらしいわ」
「あのバカ……」
二人のやり取りの様子を想像し、サリカは両手て顔を覆って項垂れた。
子供の頃から、頑固だったカイのことだ。一度やると決めたなら、エルノが何を言っても無駄だったに違いない。
「だから、条件付きで許可したそうよ。サリカが行く予定だったコダルは、クラネオスとの国境に近かったでしょ。当時は頻繁にクラネオスとやり取りする必要があったから、クラネオスへ行く役目があった際はできるだけカイに任せるので、空いた時間でサリカの捜索に充てても構わないって。ただし、決められた期限内には必ず帰ってくるように厳命されたそうよ」
「そうだったんだ」
「でも、その期限というのが、結構短かったみたい。カイに会った時に、時間が足りないと文句を言ってたわよ」
おそらく、場が乱れきった災禍の中心地近くに長期間留まれないようにするための、エルノなりの配慮だったのだろう。
だが、捜索時間を捻出するために無理をし続けるカイの姿が、サリカには容易に想像できた。
「カデウスに入るのは、最短でも三ヶ月に一度だったけど、それでも身体への影響は大きかったみたい。周囲には悟らせないようにしてたけど、まあ私は付き合いが長いし、これでも一応『癒し手』だからね。無理はするなと言ったけど、あいつが私の言う事を素直に聞くわけないでしょ?」
「たしかに……」
子供の頃から、顔を合わせる度に言い合いをしていた二人だが、仲が悪いというよりも、互いの存在を認め合う喧嘩仲間のような感じだった。そんなソニヤに助言されても、逆に頑なになったに違いない。
「それで、災禍の五年後に一体何があったの?」
「私はエリナ様が聞いた話を後から教えてもらっただけだから、どこまで本当の事か分からないけど、それでいい?」
「勿論」
「カイの死因は、暴れた騎獣に跳ね飛ばされた事による頭部の外傷。打ち所が悪かったらしいわ」
「どうしてそんな事に……」
「パモスとクラネオスを繋ぐ街道に、大きな砂嵐がきたらしいの。当時の砂嵐は、今よりも遥かに高濃度の魔素に加えて、霊素と幽素が多量に混じってたから、巻き込まれた騎獣が混乱して暴れることはよくあったのよ」
「でも、カイなら上手く避けられたんじゃないの?」
カイは神殿騎士団での訓練に加えて、ユリウスの訓練も受けていたはずだ。普通の神殿騎士より身体能力は高かったはずだ。
「カイだけならね」
「どういう事?」
「騎獣が突進していった方向に、逃げ遅れた子供が居たんですって。その子を庇って避け損なったらしいわ。無理を重ねたせいで、身体が上手く動かなかったんじゃないかって、エリナ様が言ってたわ」
「カイが庇った子はどうなったの?」
「カイが突き飛ばした時に膝を少し擦りむいたらしいけど、それだけで済んだそうよ」
「良かった……」
「今はクラネオスで腕の良い薬師として働いてるわ。数年前に会ったことがあるんだけど、黒髪が印象的な、サリムって名前の男性だったわ」
「そう……」
ソニヤが言いたいことは、サリカにも何となく分かる。だが、カイがその少年とサリカの存在を重ねたのかどうかは、当人しか分からない事だ。
サリカの胸に湧き上がるのは、カイの行動が無駄にならずに済んで良かったという思いだけだ。
サリカは目を閉じると、思い切り息を吐き出した。
最後にカイを見たのは、カデウスに旅立つ日の朝だ。あのバカげたやり取りが今世最後になるとは、思いもしなかった。
「ここでカデウスに行くお役目を言い渡された時、休暇中のカイを呼び戻すか、他の護衛をつけるように言われたんだよね」
「でも、断ったんでしょ?」
「そう。でも断らなかったら、何か違ってたのかなあ」
後悔の滲むサリカの呟きに、ソニヤが呆れたような表情で溜息をついた。
「私は当時のコダルの事はよく分からないわ。一応、大神官になった後に状況は説明されてるけど、規模が大きすぎて想像できないのよ」
「うん」
「そんな私でも、これだけは言えるわ。あの時あの場所にサリカがいなければ、もっと酷い事になってたはずよ」
空にぽっかりと開いた大きな割れ目と、あの時感じた不快感は、今でも鮮明に思い出せる。
本当にギリギリだった。
転移魔法陣を使い、三眼馬の能力で日数を大幅に短縮したにも関わらず、逃げる時間など残されていなかった。それは、その場にいたサリカが一番よく知っている。
「そうだね。そうだったよ」
ユリウスから三眼馬が助かった事は聞かされているが、あの場にカイや他の護衛騎士がいた場合、彼らを逃がすだけの時間はなかっただろう。
「カイが死んだ時、私もショックだった。無理を重ねて、ほんとに馬鹿なやつだと思った。でもね、カイがサリカを見つけたいと思った気持ちは良く分かるの。私も同じ気持ちだったから」
「……うん」
「色々考えてしまうのは仕方ないと思うよ。私もそうだったから。でもね、カイの行動を否定しないであげて。あいつはあいつで、自分の思いを貫いたんだって、そんな風に思ってあげてほしい」
「うん、そうだね」
頑固に自分の意思を貫き通したカイの人生が、幸せだったかどうかサリカには分からない。だが、それを許されない状況にある者もいるとすれば、十分幸せな人生だったと言えるのかもしれない。
確かなのは、サリカがその時に自分ができる事をやったのと同じように、カイはカイができる事を全力でやりきったということだ。
傷だらけの少年が気になり、中庭まで追いかけていった事を、今でもはっきりと覚えている。茂みに隠れていた幼いカイの姿を思い出し、サリカの頬が涙で濡れた。
その後、ソニヤと互いの近況報告をし合ったサリカは、自分の名札をソニヤから受け取った。
身分証と同じ大きさの金属のような板に、名前と魔法陣が刻まれているもので、これを受け取る事が、今回セリウォル大神殿に来た目的の一つだった。
名札は所属している大神殿と、中央大神殿の二箇所で管理しており、神官や神殿騎士の生死が分かるのは、名札と身分証が連動しているからだそうだ。
サリカは中央大神殿所属となるので、名札の一つは不要になる。マイヤからは自分で持っていても構わないと言われたが、持っている意味がなさそうなので中央大神殿に返却予定である。
「荷物は置きっぱなしでも構わないのに」
大神官の執務室と私室は、執務棟の四階にある。それぞれ四つずつあるが、今セリウォル大神殿に所属している大神官はソニヤ一人であるため、部屋が余っているらしい。
「ソニヤを見習って、私も自分のお役目を頑張らないといけないしね。気持ちを切り替えるためにも、荷物は持って帰るよ」
そうは言ったものの、案内された部屋の中にあったサリカの私物は、自分でも驚くほど少なかった。二十年以上暮らしていた場所なのに、鞄一つに全て入り切る。
入り切らない場合は、カミルの術に助けてもらうつもりだったが、そんな心配は必要なかったらしい。
「これから忙しくなる思うけど、私はここにいるから、いつでも会いに来てちょうだい」
「そうさせてもらうよ。大神官の先輩に、色々相談したいことも出てくると思うし」
「まあ、ちゃんと答えられるのかは別にして、相談ならいつでも乗るわよ」
「ソニヤも遊びにきてね。私もカミルも楽しみに待ってるから」
そう言って肩に視線を向けると、カミルが小さく頷いていた。
ソニヤがどこからでも家に遊びに来れる具体的な方法については、ユリウスが帰って来た時に相談しようと思う。
「じゃあ、またね」
「ええ、また会いましょう。今度はもっと早くにね」
「わかった」
ソニヤに見送られ、サリカはカミルと共に階段を降りて行った。
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執務棟を出たサリカが向かったのは、教団関係者のための共同墓地だった。
神官と神殿騎士が亡くなると、その遺体は完全に灰となるまで火葬され、大神殿にある共同墓地に埋葬されることになっている。
最も神聖な場所とされる内殿の右側に位置する共同墓地は、中央に立つ大きな白い柱が印象的な、美しい庭園のように見える。暖かい季節なら色とりどりの花に囲まれているが、今は中庭と同様に少々寂しい雰囲気がする。
「カイ、来るの遅くなってごめんね。ちょっと寝すぎちゃってさ」
自分の身長の二倍はある白い柱に、サリカはそっと手を当てた。カミルのお陰で身体は暖かいが、柱に触れた掌からは石の冷たさが伝わってくる。
六角形の柱の先端は、空へ向かうかのように尖っている。光を受けて仄かに輝く柱を見上げ、サリカは小さく溜息をついた。
カイが二十歳を過ぎた頃から、カイの元に頻繁に縁談が持ち込まれているのは、サリカも知っていた。
どこにでも噂好きな人間はいるものだ。何かある度に、懇切丁寧にカイの情報を教えてもらったのは一度や二度ではない。
神官と異なり、神殿騎士が還俗して教団外の人間と結婚するのは、そう珍しい事ではない。
加えて、カイは元々貴族である。サリカには分からない事情があるのだろうと思っていた。
カイが何をどう選択するかは、カイの自由だ。そのまま神殿騎士を続けるにせよ、還俗して別の道を進むにせよ、カイが幸せなら構わなかった。どんな道を進もうと、サリカにとってカイが大切な弟分であることは変わらないのだから。
(まさか、光の道とは思わなかったけどねえ)
元々せっかちな所があったが、少々急ぎ過ぎではなかろうか。だが、そんな事を言おうものなら、サリカが呑気すぎるだけだと小馬鹿にしたような表情で言うに違いない。
雲一つない青空から降り注ぐ日の光が、酷く眩しい。ギュッと目を閉じると、両目から涙がこぼれ落ちた。
「サリちゃん、大丈夫?」
耳元で、カミルの小さな声が聞こえた。
「大丈夫だよ。ちょっとばかり寂しいけどね」
「ぼくは、サリちゃんといっしょにいるからね」
左肩を見ると、サリカの顔を心配そうに覗き込むカミルの青い瞳と目が合った。
「ありがとね。じゃあ、そろそろソニヤにお願いされた事をやりに行こうか」
「うん」
家に帰る前にピヴァロの神殿に寄り、ソニヤの手紙をそこの神官長に手渡してほしいと頼まれたのだ。
セリウォル大神殿の神殿長から依頼されたお役目が、連続して手紙の配達というのも妙な感じである。だが、前回とは異なり、転移魔法陣を使っても転移酔いにはならないのだ。きっと、手紙の配達も問題なくすぐに終わるはずだ。
「カイ、またね」
できるだけ明るい声で言うと、サリカは柱からゆっくりと手を離した。
『案外、早々に生まれ変わって、自分の望み通りの場所で楽しく生きてるかもよ』
別れ際にソニヤが言った言葉を思い出し、サリカの顔に笑みが浮かんだ。そうであってほしいと、心の底から思う。
どこに居ようと、頑固で生意気で口煩く、可愛いくて頼りになる自慢の弟分なのは変わらない。再び出会った時には、お互い思い切り文句を言い合おう、そう心の中で語りかける。
一度だけ大きく深呼吸をし、サリカは暖かな光の中を後ろを振り返ることなく歩き始めた。




