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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第三章 大神官のお役目
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思いの先

 神殿長の執務室までやってきたサリカは、金色の細工がふんだんに施された白い扉を見つめ、溜息をついた。以前は何とも思わなかったが、こうして久しぶりにゆっくり眺めると、装飾過多な扉である。


「ここ?」

「そうだよ」


 本日サリカが訪れる事は、マイヤから神殿長に伝えられている。だが、対外的な事を除いて、大神官同士が予定を調整して会うのは、かなり稀な事らしい。


 どの大神官も役目が独特であるため、その時々の状況に合わせて臨機応変に行動するのが大神官の在り方だそうだ。そのため、執務室を訪れる時間はサリカの自由で構わないと言われている。


(まあ、忙しそうなら、改めて出直せばいいだけだしね)


 どう考えても、神殿長よりも今のサリカの方が暇である。今日が駄目なら後日でも構わないと、サリカが扉をノックすると、すぐに中から返事があった。


『少々お待ち下さい』


 聞こえて来たのは、低い男性の声だった。

 セリウォル大神殿の神殿長は女性だと聞いているので、おそらく返事をしたのは神殿長の護衛騎士だろう。


 程なく、扉の中央にある小さな魔石が青白く発光し、扉が動き始めた。


(へえ、初めて見たな)


 部屋の外側から操作すると花模様が浮き上がるが、内側から操作すると石だけが光るらしい。


 扉が開くと、正面に黒い騎士服をきた男性が立っていた。癖のある短い髪だけでなく、鋭く光る瞳も漆黒で、全身真っ白なサリカとは対照的な姿である。


「サリカ様ですね。どうぞお入り下さい」

「ありがとう」


 右側にずれた護衛騎士の横を通り、部屋の中に足を踏み入れたサリカの視界に、中央の執務机で書類を読んでいる女性の姿が映った。

 状況から考えて、彼女が神殿長なのだろう。


「あとこれ一枚だから、ちょっと待っててくれる?」

「分かりました」


 神殿長の仕事の邪魔をしないよう、サリカはその場に立ったまま、部屋の中をぐるりと見回した。


 部屋の造りは同じだが、以前と雰囲気がまるで違う。

 エルノが神殿長の頃は、部屋の中は常に様々な花で溢れかえっていたが、今は緑の葉が生い茂る大きな鉢植えが数個置いてあるだけだ。華やかさには欠けるが、落ち着いた雰囲気で、非常に居心地がいい。


「よし、終わった。待たせたわね、サリカ」

「え?」


 顔を上げた神殿長の姿を見て、サリカは言葉を失った。


 何となく聞き覚えのある声だとは思っていたのだ。だが、そんな自分にとって都合の良いことが、そうそう起こるはずないと、最初から可能性を投げ捨ていた。


「……ソニヤ?」

「そうよ。『もう少し』って言ってたのにだいぶ待たされたから、食事はサリカの奢りよ」


 椅子から立ち上がったソニヤが、昔と変わらぬ黄緑の瞳を輝かせながら近付いてくる。

 艷やかな茶色の髪に少し白いものが混じっているものの、カデウスに旅立つ前に飴をくれた、あの日のソニヤの姿とほとんど変わらない。


「おかえり、サリカ」

「ただいま、ソニヤ」


 どちらからともなく出した両手を握り合い、その温もりに夢ではないのだと実感する。微笑むソニヤの瞳が涙で潤んでいるのを見て、自分の視界も涙で歪む。

 会いたいと願っていたが、こんな形で再開するとは思いもしなかった。


 だが、そんな感動の場面も、残念ながら長くは続かなかった。


「いててて、カミル、爪刺さってるよ!」


 左肩に視線を向けると、カミルがふわふわの毛を逆立てて丸くなっている。サリカの指摘に一応足の力は抜いてくれたようだが、まだ若干痛い。


「カミル、どうした?」

「……サリちゃん、その人だれ?」

「誰って、ここの神殿長だよ。ソニヤっていう名前で、子供の頃からの私の大事な親友」

「サリちゃん、『しんゆう』って何?」

「あー、仲が良くて、心から信じられる大切な友達のことかな」


 喧嘩でも売るように、ソニヤをじっと見つめるカミルの様子に、サリカは首を傾げた。


 こんな様子のカミルを見たことがないので、何を考えているのか全く分からない。だが、何となく、浮気を責められているような気持ちになってくるのは、気の所為だろうか。


 カミルの様子を見ながら眉間に皺を寄せるサリカの耳に、プッと吹き出すソニヤの声が聞こえた。


「その嫉妬むき出しのちびっ子、流暢に喋ってるってことは精霊?」

「そう。色々あって、今一緒に暮らしてる精霊の子供で、カミルっていうんだよ」

「へえ、そうなんだね」


 ソニヤがニヤリと笑って、カミルを覗き込んだ。


「こんにちは、カミル。私はサリカの『大親友』のソニヤって言います」

「……カミルです」

「君は小さくて可愛いねえ」

「すぐ大きくなるもん。大きくなってサリちゃんまもるんだもん」

「そうなんだ。あ、君は青空みたいな綺麗な目をしてるね。そうそう、私ね、君の丸い目みたいな飴を作るの得意なんだよ。サリカは子供の頃から私の飴が『一番美味しい!』って言ってくれてね。せっかくだから、君にも今度食べさせてあげるよ。あ、でも小さすぎて食べれないかな」


 ソニヤの話に、カミルの足に力が入ってくるのが分かる。先程よりはマシだが、それでも痛い。


「カミル、爪が痛い」

「……ごめんなさい」

「ソニヤ、幼い子供をからかわない」

「はーい」


 カミルは精霊だけあって、人間の子供より成長が早いが、さすがにソニヤの勢いにはついていけないようだ。だが、この様子を見ると、すぐにソニヤに対抗できるようになるに違いない。


 かつてサリカを間に挟んだまま繰り広げられた、聞いているのも止めに入るのも大変なソニヤとカイの舌戦を思い出し、サリカは大きな溜息をついた。


「ちびっ子と遊んでると日が暮れるわね」

「ちびっ子じゃないもん!」

「はいはい。可愛いねえ」


 ソニヤが嘴を指先で突くのを、カミルは嫌がる素振りを見せながらも避けはしない。度が過ぎたら止めるつもりだが、喧嘩するほど仲が良いということで、暫くは様子見だ。


 このじゃれ合いがいつまで続くのかと思っていると、ソニヤがサリカの後方に立つ護衛騎士に声をかけた。


「レオ、私はこれから奥の部屋でサリカと話をするから、机の書類をアイラの所に持って行ってくれる?」

「承知しました。他にやっておく事はありますか?」

「特にないから、アイラの所に行ったあとは騎士団の方に戻ってもらって構わないわ」

「では、そうさせていただきます」


 レオと呼ばれた護衛騎士は、サリカに向かって深々と頭をさげると、執務机の上にある書類の束を抱えて、静かに部屋から出ていった。


 恥ずかしいところを見られた気もするが、今更気にしても仕方ないと開き直ることにする。


「さて、立ち話も何だから、奥の部屋に行きましょうか」


 サリカはソニヤの後に続いて、執務室の続き部屋へと入って行った。




 ソニヤが入れてくれた懐かしいお茶を味わうサリカの前で、カミルがテーブルの上に置かれたお菓子を嬉しそうに齧っている。


 先程まで威嚇していたのに、すっかり食べ物で懐柔されたようだ。単純なところも可愛いのだが、美味しい物につられて知らない人について行かないよう、ちゃんと教えておかねばなるまい。


「まさか神殿長がソニヤだったとは、思いもしなかったよ」

「でしょうねえ」


 ソニヤの癒し手としての能力は、幼い頃から抜きん出ていた。それでも中級神官のままだったのは、階級を上げたくないというソニヤの意思があったからだ。


 その理由を、サリカは未だに知らない。おそらく、ソニヤの生い立ちが大きく影響していたのだとは思う。だが、わざわざ過去をほじくり返してまで聞き出す意味はなかった。


 話したくなったら話せばいいし、話したくなければ話さなくていい。どちらであっても、幼い頃から一緒に過ごしてきた中で育まれた、二人の間にある信頼は揺るがない、そう思っていたからだ。


「でも、大神官でないと知ることができない、そんな事が沢山あるって分かってしまったからね」

「なるほどねえ……」


 ここで暮らしていた時から、教団から知らされていない事は山程あるだろうとは思っていた。それを不満に思ったことはないが、何故だろうと不思議に思ったことならある。

 そして、それらを知る立場になって初めて、やむを得ない事だったと理解できた。


「私の師匠はエリナ様なんだけどね。私がテネアルで修行している間、エリナ様とユリウス様に頼んで、一度だけサリカの様子を見に行ったことがあるの」

「え、ほんと!?」

「嘘ついてどうするのよ」

「いや、そうなんだけど、師匠何も言ってなかったから」

「私がサリカに言わないようにお願いしたんだよ。サリカが目を覚ました後に、自分で話したいからって」

「そうだったんだ」


 ユリウスが「自分で確かめろ」と言った意図が分かり、サリカは苦笑した。


「私はずっと寝てて何も分からなかったけど、多分凄い心配かけたよね。ごめんね」

「まあ、サリカがカデウスに行くのを知ってたからね。でも、サリカは巻き込まれただけで、サリカのせいではないでしょ」

「そっか、そうだよね」

「基本鈍いくせに、変なところで気にし過ぎるのは、昔とちっとも変わらないね」


 一緒に過ごしていた頃と変わらない、少しからかうようなソニヤ笑みを見ながら、サリカは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


「偉くなってやると決心した理由は、サリカの行方を知るためだったけど、それが私を変えるきっかけになったの。『出来事にどんな意味を持たせるのかは、自分次第だ』と、昔エリナ様に言われた事があるけど、その意味が今なら分かる気がするわ」

「そっか」


 サリカが直接何かしたわけではない。だが、自分の存在が、ソニヤが抱えていた重荷を下ろす一助になれたのであれば嬉しい。

 ソニヤのすっきりとした表情を見ながら、サリカは素直にそう思えた。


「あ、そうだ。ものすごく遅くなっちゃったけど、これお土産」


 サリカは自分の鞄の中から、小さな包みを取り出し、テーブルに置いた。


「もしかして、カデウスのお役目の時の?」

「そう。鞄の中に入ったまま私と一緒にいたせいか、劣化してなかったんだよね」

「ありがとう、サリカ……」


 今にも泣き出しそうな顔で、ソニヤが包みを開けた。


 中から出てきたのは、ソニヤの瞳と同じ黄緑色のリボンだ。細い糸で編まれた花柄のレースのリボンなのだが、買った時とほぼ変わらぬ状態で鞄に入っていたのだ。


 リボンを手に取ったソニヤは、あっという間に自分の髪に編み込んでしまった。昔から器用だと思ってはいたが、更に磨きがかかっている気がする。


「どう? 似合う?」

「うん。思った通り、よく似合う。カミルはどう思う?」

「うん、かわいい!」

「ありがとう」


 カミルに褒められ、少し照れた様子のソニヤが可愛らしい。


 自分用に買ったリボンは三眼馬にあげてしまったので、図らずもソニヤと三眼馬とのお揃いということになってしまった。だが、その事実を知っているのはサリカだけだ。バレなければ問題ないだろう。


「そうそう、中央大神殿でマイヤ様に護衛騎士をどうするか聞かれたんだけどね。カイって今どうしてるの?」

「サリカ、ユリウス様から聞いてないの?」

「うん。『自分で確かめろ』って言って、教えてくれないんだよね」

「そうだったのね」

「また私の護衛騎士になってほしいって訳じゃないんだけどね。カイにはカイの考えや人生があるからさ。でも、多分ものすごく心配して、ものすごく怒ってたと思うから、ちゃんと会って話をしたいんだよ」


 護衛騎士という言葉に反応したのか、カミルが慌てた様子でサリカの左肩に戻ってきた。それは構わないのだが、食べカスが付いた嘴を服で拭くのはやめてもらいたい。


 そんなサリカ達の様子を黙って見ていたソニヤが、大きな溜息をついてから口を開いた。


「サリカ、よく聞いてね」

「うん」

「カイはもう居ないわ」

「居ないって、別の神殿に移ったの? それとも還俗した?」

「今から二十五年前になるわね。カイはね、サリカが災禍に巻き込まれた五年後に、光の道を歩んで行ったわ」

「え……」


 一瞬、サリカの周囲から全ての音が消え去った。



 

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