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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第三章 大神官のお役目
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実感

 僅かな揺らぎを感じた次の瞬間、サリカはガランとした部屋の真ん中に立っていた。足元には、白い光を放つ大きな魔法陣がある。


 見覚えのある魔法陣にサリカが安堵の溜息をつくと、肩に乗った黒い小鳥が小首を傾げた。


「着いたの?」

「そうみた、あーーーちょっと待った!」


 魔法陣から放たれる光が弱まっていく中、サリカは扉の両脇に掛けられた室内灯に駆け寄った。


 小さな摘みを動かし明かりを点けたと同時に、魔法陣から完全に光が消え失せた。


「間に合った……」


 ぼんやりとした明かりの中で、サリカはホッと胸を撫で下ろした。


 転移魔法陣が設置された部屋は、セリウォル大神殿の地下にある。明り取り窓があるような洒落た部屋からは程遠い、明かりを点けないと真っ暗で何も見えなくなる四角い箱のような場所だ。

 しかも、この部屋の中では、転移魔法陣を使う以外での魔術使用が厳禁とされている。


 もう少し思い出すのが遅かったら、暗闇の中、手探りで扉を探す羽目になるところだった。


「サリちゃん、よかったね」

「ありがとね、カミル」


 突然走り出したにも関わらず、カミルは平然と肩に止まっている。さすがカテミノ観光のため、肩乗り練習していただけのことはある。

 時々爪が痛いのは、仕方ないと諦める事にしている。


(変わらないねえ)


 三十年前、大神官のエリナに連れてこられた時と同じ光景を見つめ、サリカは大きく息を吐き出した。


 床に刻まれた転移魔法陣と、白い壁に掛けられた室内灯以外は何もない部屋だ。その魔法陣ですら、光が消えた後は床の模様に紛れてよく見えない。


 扉の両脇以外にも室内灯はあるのだが、全ての明かりが点いたところは一度も見たことがない。おそらく、一つ一つ手動で点灯しなければならないので、面倒だったのだろう。


 神殿長の許可が無ければ立ち入る事ができない、大神殿の中でも特別な部屋ではある。

 だが、転移と酷い転移酔いがセットであったサリカにとっては、大神殿の中で一番近寄りたくない、皆が言うのとは別な意味で特別な場所だった。


 同じ年頃の神官や見習い神官達から羨ましがられた事もあったが、代わってもらえるなら代わってもらいたいと、何度思った事か……。 


 まあ、今となっては、全て良い思い出だ。


「この部屋は地下にあるから、四階にある神殿長の部屋までは階段を上がるからね」

「うん、分かった!」


 元気なカミルの声が、狭い部屋の中で響き渡った。

 サリカは、カミルの漆黒のほわほわとした頭を撫でると、自分の口に人差し指を当てた。


「カミル、お願いした事をよろしくね」

「あ!」


 嘴をパカっと開けたカミルが、そのまま無言で何度も大きく頷くのを見て、サリカの口元が自然に緩む。


 高位の精霊が言葉を話すのは知られているし、精霊と人が一緒に居ることも珍しいが皆無ではない。だが、精霊と大神官が合わさると、少々事情が異なってくる。


 真っ白の神官服の上に黒い鳥。しかも、カミルは鳥でも人でも殺人的な可愛さだ。どう考えても、目立つに決まっている。


 好奇心旺盛な幼いカミルには申し訳ないが、神殿長の執務室まではできるだけ静かに、話す時は小声でとお願いしていたのだ。


「よし、じゃあ行こうか」


 大きく頷くカミルの頭を再び撫でると、サリカは扉の中央にある小さな魔石に右手を翳した。


 次の瞬間、魔石が青白く輝いた。茶色の縁取りをされた白い扉がスッと静かに横に動き、サリカ達の前には、人が一人歩いて通れるくらいの穴が開いた。穴からは、懐かしい白壁と模様の入った灰色の床が見える。


(さて、行きますかねえ)


 一度だけゆっくりと深呼吸すると、サリカは室内灯の明かりを消し、廊下へと一歩足を踏み出した。




 ********




 転移魔法陣のある地下室は、執務棟の一番端にある。

 執務棟の一階部分は、中庭を囲む回廊の一部となっているので、景色は良いが冬は寒い。

 一階から四階まで上がる階段は執務棟の中央にあるため、今居る場所から向かうには回廊を歩くか中庭を突っ切る必要がある。


 最後に見た中庭は、赤い大輪の花が咲き誇っていたが、今は花どころか、緑の葉も殆ど無い。


「だれもいないね」

「そうだねえ」


 皆が朝食を終え、それぞれお役目や修行で忙しい時間を狙って来たため、回廊にいるのはサリカ達だけだった。


 立ち止まって、冬支度を終えた庭を眺めていると、カミルが再び耳元で囁いた。


「サリちゃん、寒くない?」

「大丈夫。カミルのお陰で暖かいよ」


 カミルは先日習得したという術を使い、サリカの周囲だけを暖めてくれている。精霊は外気温に左右されにくいのだが、サリカの為にと覚えてくれたらしい。


『うちの子可愛い……うちの子賢い……』


 サリカがそう呟く度に、ユリウスから呆れたような視線を向けられるが、事実なのだから仕方ない。


「お花がさいてたら、きれいだよね」

「そうだねえ。その頃にもう一度来てみようか」

「うん」


 テッセオの精霊の多くは、自然豊かな場所で生活していると言われている。カミルも植物は好きなようで、今は放置されている家の裏手にある畑や温室で何かを育ててみたいらしい。


 中央大神殿でエルノに会った際、なにやら約束していたらしいので、そのうちエルノも家に来るのだろう。師匠と大師匠が揃った時は、二人の相手はカミルに任せて、自分は自室に籠もろうと決めている。


(さて、どっちから行くかな)


 四階へ上がる階段に行くには、中庭を突っ切った方が距離的には短い。だが、歩きやすいのは回廊である。


 どちらを行こうか迷っていると、前方から女性の声が聞こえてきた。


「早く行くよ!」

「待って、これ持ち難いんだよ」

「しょうがないなあ。半分持ってあげるから、代わりにこれ持って」

「分かった!」


 十代前半と思われる少女達が、大きな荷物を抱えてバタバタと走ってくる。荷物の隙間から水色の帯が見えるので、下級神官なのだろう。


「急がないと、ヨーナス様にまた怒られるよ」

「それは嫌だー!」


 名前に聞き覚えはないが、ヨーナスというのはおそらく指導役の神官なのだろう。


 指導役は慎重に選ばれるので、厳しくても理不尽な指導をする者はいない。

 怒られたとしても、それは何かしらの意味があっての事である。その時は分からなくても、後になってから理解できる事も多い。

 最初から理解できるように説明してくれと言う者も多いが、どんなに丁寧に説明されても、己が経験せねば理解できない事は結構多いのだ。


 頻繁に説教されていた幼い頃の自分を思い出し、何となくいたたまれない気持ちにもなるが、それもまた良い思い出だ。


(行くか……)


 このまま回廊に突っ立ていると、二人の行動の妨げになる。中庭を通り抜けると決め、サリカが回廊から一歩足を踏み出した時、「あっ」という声が聞こえてきた。

 視線を向けると、二人が慌てた様子で床に荷物を降ろし、胸に手を当てて頭を下げるのが視界に入る。


 礼儀作法は幼い頃から厳しく教え込まれるにも関わらず、礼をとる姿がどことなくぎこちない。見知らぬ大神官の登場に驚いたからだと思うが、予期せぬ出来事に動揺する二人の初々しい姿が微笑ましい。


 若い下級神官達を驚かせたお詫びと、二人を応援する気持ちを込め、サリカは丁重に礼を返してから中庭へ入った。


「みんな、ねてるね」

「そうだねえ」


 満開の花に覆われた華やかな庭とは異なり、真冬の庭は殺風景だ。

 だが、やがて訪れる暖かな春の為に丁寧に手入れされているのは一目瞭然で、その様子が不思議と味わい深い。


 エルノが神殿長をしていた頃は、もう少し緑があった気もするが、あの頃が特別だったのかもしれない。


 中庭の中央にある小さな噴水まで来てみたが、残念ながら水は止められていた。


「ここでかくれても、すぐにサリちゃんに見つかっちゃうね」

「いや、カミルは小さいからねえ。その姿で隠れられたら、見つけるの大変だよ」

「そう?」


 遠い昔、この庭の片隅に隠れていた少年の不貞腐れた顔を思い出し、サリカがプッと小さく吹き出した。


「どうしたの?」

「いや、ちょっと思い出した事があってね。昔、この庭で隠れるのが上手な子がいたんだよ」

「そうなの? ぼくとどっちが上手?」

「うーん、多分カミルの方が上手なんじゃないかな」

「えへへ」


 嬉しそうに頬にすり寄るカミルを撫でながら、サリカはぐるりと周囲を見回した。


 一見すると、サリカが過ごしていた頃と何も変わらないように見える。壁の色も、床の色も、空の色さえ、そのままのような気がする。


 だが昔は、真冬でも噴水の水しぶきが青空の下で煌めいていたし、回廊で会うのは見知った者達だった。


 サリカが気付かぬうちに、この場所で過ごした年月より、この場所に居なかった年月の方が長くなってしまった。頭では分かっていたつもりだが、こうして再び大神殿にやってくるまで、実感が伴っていなかった。


 流れた月日は取り戻せない。


 眠っていただけの三十年を取り戻せたらと、これまで一切考えなかったと言ったら嘘になる。だが、不器用ではあっても、自分なりに必死に歩んで来た道を否定したくはないし、後悔もしてないつもりだ。


 今のサリカにできるのは、受け入れて前に進む事だけだ。


「神殿長の所に行こうか」

「うん!」


 見上げた青空は、この場を後にした時よりも高く澄んでいるように見える。


 目を閉じて大きく深呼吸したサリカは、肩に乗った可愛い相棒と共に、静かな中庭を後にした。


 

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