微妙な二つ名
気付かぬうちに驚くほどあっさりと大神官となっていたサリカは、ユリウスに連れられ中央大神殿の最上階へとやってきた。
エルノはお役目があるといって、マイヤの前を辞してすぐに自室へと戻っていった。おそらく、放置していた植物の選定作業に取り掛かるのだろう。
「大神官になった奴が、最初にくるのがこの部屋だ」
階段を上がった先には、両開きの大きな扉が待ち構えていた。壁と同じ紺色の扉には、渦のような幾何学模様の装飾が、室内灯の明かりを反射し金色に光っている。
閉じられているのに、見ているだけで中に吸い込まれそうな奇妙な感じは、サリカには幼い頃から馴染みの感覚だ。
「ここって、もしかして内殿ですか?」
「そうだ」
神殿で最も神聖な場所とされる内殿は、サリカが暮らしていたセリウォル大神殿に限らず、大神殿の最奥に位置する。
全ての大神殿を知っているわけではないが、建物の最上階に内殿があるのは、この中央大神殿ぐらいだろう。
「これからお前一人で中に入ってもらう」
「それは構いませんが、中で何をすればいいんですか?」
内殿で祈りを捧げるのは、神官にとって当たり前の事だ。だが、こうして師であるユリウスに連れてこられたのだ。普通に祈りを捧げるのではなく、何か他の意味があるはずだ。
「お前、各大神官の役目がどんなものか知ってるか?」
「大神官のお役目ですか?」
先程会ったマイヤを除けば、サリカが直接関わった事がある大神官は三人だけだ。
エルノは神殿長だったが、今は植物関係の何かをしているようだし、神殿長代理も務めていたエリナは『癒し手』の指導をしていたが、それ以外どんな役目を担っていたかは分からない。
目の前のユリウスに至っては、自分の師匠にも関わらず、何をしているのか見当もつかない。
「改めて考えると、神殿長という立場以外はよく分かりませんねえ」
「そうだろうな」
「どういう事でしょうか?」
腕組みして立つユリウスを見上げながら、サリカは首を傾げた。
「大神官ってのは、それぞれ異なる役目を持ってる。だが、その内容をちゃんと理解しているのは本人だけだ。神殿長ってのは、その役目の上に更に割り振られる役割だから、ジジイを含めて嫌がる奴が多いんだよ」
「そ、そうなんですね」
神殿長といえば、王族と同等の扱いを受けることもある立場だ。信者だけでなく、神官の中にも憧れている人は多いはずだ。
そんな神殿長という立場が、大神官達から忌避されるものだと知ったら、真面目な神官や信者達は膝から崩れ落ちるに違いない。
「役目は、大神官となるきっかけになった出来事が影響する。だが、はっきり知るには、大神官になった後にここに来る必要がある」
「理解するとかではなく、『知る』ですか?」
「そうだ。自分の右手を見て右手だと知っている、それに近い。だが、人によって感じ方が違うから何とも言えねえな。役目の内容も本人の感覚頼りだから、真偽を知るのも本人だけだ」
「ということは、私が自分のお役目を知ることができなくても、教えてくれる人はいないということですか?」
「そうだ。まあ、中に入ってみりゃ嫌でも知ることになる」
「そうですか……」
曖昧すぎて、扉を開けて中に入ること以外はよく分からない。だが、具体的に説明できるような事でもないのだろう。
「嫌でも知る」と言われたが、そうでなかった場合どうなるのだ。
「もし自分のお役目を知ることができなかったら、大神官の地位を返上することは……」
「できるわけねーだろ」
「ですよねえ」
首から下げた身分証に触れながら、サリカは小さく溜め息をついた。
心配そうに顔を覗き込んでくるカミルの頭を撫でていると、ユリウスの大きな溜め息が聞こえてくる。
「おい、よく聞け」
「はい」
「上級神官までは、大神官の指示で動くのがほとんどだ。だが今日、お前はその指示をする側に立った。その意味を、そのぼーっとした頭でよく考えてみるんだな」
大神官は、神官のなかで最高位だ。今までは神殿長であるエルノの指示でお役目を果たしていたが、今のサリカは、そのエルノと同じ立場に立ったことになる。
大神官が揺らいでいたら、他の神官達を混乱させ、それが神殿外の人々へと伝播していくだろう。
サリカは目を閉じると、テネアルで目覚めた時のユリウスの言葉を、記憶の中から引っ張り出す。
『テッセオでの自分の役目を、自分で思い出して遂行する』
それが大神官になるために必要なことだと、そう言われたはずだ。ならば、サリカは既に自分の役目を遂行しているのだ。
サリカはゆっくり息を吐き出すと、目を開け己の師の顔をみる。
「分かりました。中に入ります」
「よし。チビは俺と留守番だ」
「はーい」
カミルが飛び移るのと同時に、ユリウスは螺旋階段を降りていく。
「俺はジジイの部屋にいる。終わったら部屋に来い」
「分かりました」
ユリウスの背中を見送ると、サリカは内殿の扉に向き合った。
扉に近付いて渦の中心に掌を置いてみるが、扉が開く気配がない。だが、少しずつ扉の存在自体が薄れていくのが分かる。
程なく内殿の扉は全て消え去り、サリカの目の前にポッカリと大きな穴が開いた。
穴の先に見えるのは真っ暗な闇だけだ。扉のあった場所から差し込む光だけが、内殿の濃紺の床を照らしている。
「光」
差し出した右手に、光の球が出現する。掌の上で揺らめく光は、純白の光を放っている。
今のサリカの体内は、魔素よりも霊素の割合が多い。そのため、使える術は霊術となり、意図しないかぎり光の色は白くなる。
テッセオで過ごす時間が増えれば、自然と体内魔素が増えるので、霊術と魔術の両方を使い分ける事ができるそうだ。とはいっても、テッセオで霊力を使うのは転移魔法陣を使う時ぐらいらしいが。
光を頼りに暗闇の中に足を踏み入れると、廊下から差し込む明かりが遮断され、扉が再び現れたのが分かる。
「飛べ」
光の球を天井近くまで飛ばすと、部屋全体の様子がはっきりと見えるようになった。
予想以上に天井は高く、部屋が広い。詰めて座れば、五十人以上入れるかもしれない。
(セリウォルの内殿と変わらない感じかな)
室内の壁と床は、廊下の壁より深く濃い紺色で塗られている。部屋の中央には、毛足の長い白い敷物が敷かれているだけで、他には何も見当たらない。
敷物の前まで歩いていくと、サリカは靴を脱いで敷物にゆっくりと腰を下ろした。建物がドーム状なので、中央に魔石があれば各地にある祠と同じ見える。
この何もない空間が、大神殿で最も神聖な場所とされる内殿の中だ。
内殿に祀られる始原の神アルプロエは、世界そのものである。生命を生み出し、生かすという世界そのもの故に、定まった姿形はないとされている。
大神殿にある内殿は、世界の中心と繋がりやすい神聖な場所として存在する、ただそれだけだ。
テッセオで読まれている幻想的な物語の中には、人の姿をした神が出てくることがある。だが、フォシアル教の神官達に言わせれば、それは神ではなく強大な力を持った人である。
サリカは敷物に寝転がると、大きく伸びをしてから全身の力を抜いた。
儀式の時は別だが、内殿であっても自分一人で祈りを捧げる場合、どの様な姿勢でも構わないとされている。自分が最も落ち着ける姿勢が良いとされるからだ。
サリカは昔から仰向けで寝転がっているが、何故熟眠してしまわないのかと不思議がられる事が多い。全身が大地に溶けいるような感じが良いのだが、残念ながら未だ賛同者に出会った事がない。
(さすが中央大神殿だな……)
建物の最上階だというのに、場が安定している。通常は建物に出入りする人の影響を受けるものだが、そんな感じは全くない。静謐さの中に、他の大神殿では感じられない力強さが溢れている。
(さて、始めるか)
サリカはゆっくりと少しずつ息を吐き出すと同時に、天井へ放った光を消した。
一瞬のうちに暗闇に覆われると、目を開けているのか閉じているのかも分からない状態になる。静かな闇の中で、肌に触れる柔らかな敷物の感覚が心地よく感じる。
何も見えない暗闇は、人の中に恐怖心を生じさせる。そのため、子供のうちは一人で内殿に入ることは許されず、付き添いの神官が必ず明かりを持参する決まりになっている。
上級神官の中にも、内殿の暗闇が苦手という者は少なからずいるが、サリカは幼い頃からこの静かな空間が好きだった。
寝転がったまま宙を見つめていると、次第に周囲に光の点が無数に現れてきた。大小様々な青白い光の点がサリカを取り巻くように煌めき、夜空に浮かぶ星々の仲間入りをした気分になってくる。
壁や天井に埋め込まれた魔石の欠片が放つ光で、大神殿ごとに違いはあるが、内殿には必ずある仕掛けだ。
ここは青白い光の中に混じって、テネアルで見慣れた純白の輝きがある。おそらく魔石だけでなく、霊石も埋め込まれているのだろう。
「始源の神アルプロエ。光と闇から生まれしテッセオの地より愛と感謝を捧げん。創造主アルプロエよ。その深き愛と祝福に、我らの愛と感謝を捧げん」
今いるのは狭間の地なので、正確にはテッセオではないのかもしれない。とはいえ、気にする者などいないだろうし、仮にいたとしても、この場にいるのはサリカだけだ。何の問題もない。
雑念を消し、じっと宙を見つめたまま己に問いかける。
(自分の役目。大神官になるきっかけの出来事か……)
頭に浮かんだのは、カデウス上空に浮かんだ巨大な裂け目だ。
雲一つ無い青空を切り裂いた中から、黒の闇と白の光が交互に現れていく悪夢のような情景。胸の奥から吐き気に似た不快感が込み上げ、全身に震えが走る。
(落ち着け)
深呼吸を繰り返しながら体の力を抜いていくと、不快な感覚が遠ざかっていく。サリカは目を閉じて、大きなため息をついた。
世界を隔てる界壁に開いた穴と、そこから地上へと降り注ぐ白と黒の霧。
異様でありつつ、どこか人を魅了するような光景を、今まで思い出さなかった事自体が不思議だ。だが、忘れたわけではなく、記憶の中に鮮烈に焼き付いているのだと、今まさに思い知らされた。
(今ならもっと上手くやれるだろうか)
ユリウスの話では、白はテネアルの霊素であり、黒はデギアルと呼ばれる世界から漏れ出た幽素らしい。
魔力を用いて必死に繕ったものの、サリカにできたのは裂け目から伸びるひび割れを閉じただけだった。だが、霊力を使えるようになった今なら、もう少し違う対応が可能かもしれない。
とはいえ、あの巨大な裂け目をサリカ一人で塞ぐことなど、できるはずもない。
(あれは無理でも、もっと小さければ……)
メソアードで会った屋台の店主の話だと、異変が起き始めたのは、災禍よりかなり前だったはずだ。
何かのきっかけで小さな綻びができ、そこから大きくなっていったのではなかろうか。
綻びを作る原因が何かは知らないが、原因を突き止め対処するのが一番良いはずだ。だが、自分に各国の事情を調べるという、そんな面倒で厄介な事ができるわけがない。
(穴を塞いでまわるぐらいなら、私でもできるかもねえ)
そう思った瞬間、突如様々な映像が頭の中に流れ込んできた。
見たことのない街中や、森の中。畑のど真ん中や、獣車が走る街道の脇。誰一人いない寂れた場所や、大勢の人で賑わう場所。
沢山の景色が現れては消えていき、どれもが関連性のない場所に見える。だが、その景色の中に、小さなひび割れという共通点があった。
(え、ちょっと待って。これって、もしかして界壁の穴?)
カデウスの上空にあったものよりかなり小さい。だが、敗れた風景画のような奇妙な裂け目は、見覚えがある。
そして、これが意味する事は一つしかない。
「お役目って、もしや界壁の穴塞ぎ?」
静かな部屋に、サリカの声が響き渡った。
物を修理するのは嫌いではない。だからと言って、好きかと言えば違う気もするが、何故か妙にしっくりする。
界壁を直すのは構わないが、やることが神官というより職人だ。大神官になると同時に、職人見習いになったということか。
(修理する人って、なんていうんだ? 修理屋か?)
そんな事を考えていたサリカの頭に、声のようなものが響いた。
『界壁の修復士』
誰かの声のようであり、自分の思考の声のようでもある。優しく穏やかな声に、嫌な感じはしない。だが、決して覆る事のない何かを感じる。
「嫌でも知る」という意味を実感しつつ、サリカは大きな溜め息をついた。
(まあ、自分のできることをやっていくのは、今までと変わりないか)
周囲で煌めく無数の光が一瞬だけ強く瞬いたのを見て、サリカの顔に笑みが浮かんだ。




