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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第二章 新たな地
32/42

幸せを願う

「あんたと違って繊細なんだから、もう少し優しく扱ってよ!」


 テーブルの上で真っ赤な鳥が叫んだ。サリカの拳程度の大きさなのに、そこから発せられる声は地から響いてくるような重低音だ。


「誰が繊細だ。言葉の意味分かってんのか?」

「キーーー!」

「そんな事より、ここでデカくなるなよ」

「分かってるわよ!」


 訪ねて来たのは、先日サリカに迷子探しを依頼して逃げ去った精霊だった。騒がしいのは以前と同様だが、本来の姿でやって来たので家が壊される心配はない。


 普通のカップにお茶を入れると、カップの縁に器用に留まっていたく喜ばれた。ただ、すぐに熱いお茶に嘴を突っ込んで、「アチチ」と叫んで大騒ぎしていたが。

 申し訳ないとは思ったものの、冷たいお茶を入れ直すのも面倒なので、冷めるのを待ってから飲んでもらいたい。


「用事があって来たんだろうが。騒いでる暇があったら、さっさと本題に入りやがれ」

「誰のせ」

「お前のせいだろ」

「せめて最後まで言わせなさいよ!」


 一見揉めているようなやり取りだが、端で見ていると楽しんでいるようにしか見えない。楽しんでいるのはユリウスだけかもしれないが、見ているだけなら面白い。だが、このまま放置すると日が暮れそうだ。


「あのー、本日いらした目的は、この子ですよね」


 サリカが意を決して口を開いた瞬間、四つの瞳に見つめらた。瞳の主達は、見た目と能力は最上級だ。だが、他の事情を知っているだけに、見つめられると何とも言えない微妙な気分になる。


「嫌ねえ、私としたことが」

「どうでもいいから、話を進めろ」

「煩いわね! まあ、良いわ。サリカちゃんだったかしら。探していたのはその子で間違いないわ。見つけてくれてありがとう」

「いえいえ、無事発見できて良かったです」


 サリカは荒野の中の捜索活動を思い出しつつ、安堵の溜息をもらした。だが、本日の主役である精霊の子供は、サリカの膝の上でタオルに包まれプルプル震えている。


 ユリウスによって来訪直後に気絶した真っ赤な精霊が、テーブルの上で復活するや否や、子供が隠れるタオルの中に突進したのだ。

 余程怖かったのだろう。精霊の子供はピギャピギャ鳴きながらタオルから飛び出し、そのままテーブルから転がり落ちてしまった。すぐに床の上から回収したものの、怯えきっているので膝の上に乗せて宥め続けてる状態だ。


 原因となった精霊は、その場でユリウスに叩き潰されていたが、その後平然とお茶を飲んでいるところを見ると、案外丈夫な生き物なのかもしれない。


「良かったねえ。お家に帰れるよ」


 タオルの上からポンポンと軽く叩きながら声を掛けると、精霊の子供の体の震えが止まった。


「やっと安心できたのか……あれ?」


 安心して震えが止まったのかと思ったのだが、どうやら違う気がする。緊張が緩んだというより、逆に過緊張で身体が硬直している感じだ。


「え、どうした?」

「そのまま、そのチビ抑えとけ」


 ユリウスの言葉に、サリカはタオルの上からそっと小さな身体を抑えた。同じ精霊でも皆が頑丈とは限らないので、潰さないように力加減に注意する。


「よいしょっと」


 カップからテーブルに飛び降りた赤い鳥が、パタパタという軽い足音をさせつつサリカの前まで歩いてきた。小さな身体を左右に揺らしながら歩く姿は、先日の派手な巨人と同じ存在とは思えないくらい可愛らしい。


「うーん、どうしようかしら」


 テーブルの縁に辿り着いた精霊は、七色の羽が生えた頭を下げて、サリカの膝の上にあるタオルの塊を覗き込んだ。


「その派手な顔で、チビ脅すなよ」

「失礼ね! この美しい姿を何だと思ってるのよ!」


 いちいち話の軌道修正をするのが面倒だが、精霊の事情は精霊にしか分からない。根気よく付き合うしかないと腹を括って、二人の会話に割って入る。


「あの、この子に何か問題でもあるんですか?」

「問題があると言えばあるのよ。でも、無いと言えば無いわね」

「どういう事でしょうか?」

「うーん」


 可愛らしく小首を傾げているが、出てくる声は唸り声に聞こえる。声だけなら、大型肉食獣だ。


「なんか汚いのよ、このおチビちゃん」

「え……」


 まさかの潔癖症発言に、サリカは絶句した。

 確かに昨日は泥団子だっが、一応風呂に入れて綺麗にしている。まあ、先ほど全身果汁まみれになっていたが、そこは子供という事で広い心で大目に見てほしい。汚れたら綺麗にするでは、駄目なのだろうか。


 サリカが硬直したままの精霊の子供をタオルの上から撫でていると、ユリウスの溜息が聞こえてきた。


「感覚を切り替えてみろ」

「あ、はい」


 魔素や霊素を捉える理由は不明だが、ユリウスの指示だ。弟子としては従うまでである。

 それに霊石創りを練習するようになってから、感覚を切り替えるのが以前と比べて格段に早くなったのだ。ユリウスに確認してもらって、助言をもらえるいい機会にもなる。


 サリカは大きく息を吸いながら目を閉じ、感覚を切り替えつつゆっくりと息を吐いて目を開けた。


「げっ!」


 目を開けた瞬間、今度はサリカの身体が硬直することになった。

 灰色のモヤのような物が、サリカの膝の上を覆っていた。片手で払い除けると少しだけ周囲へと流れて行くが、すぐに元の位置へと戻ってきてしまう。


(なんで瘴気が………)


 神官として各地に赴いていた時、街中などでよく見た光景だ。

 教団では瘴気と呼んでいるこのモヤは、様々な理由で生じた負の念が集まったものとされている。

 程度によって見え方や感じ方は異なるが、サリカがこれまで見た中で一番酷い瘴気は、ヘドロ状の真っ黒なものだ。そこまで酷いと、神官でなくとも何となく嫌な感じはするらしい。無意識に避けて歩く人も居るが、大抵の人は気付かずドロドロの瘴気の中を歩き、全身に黒いヘドロを纏ったまま去って行く。


 どうやらこの灰色の瘴気は、精霊の子供が纏っているようだ。全て洗い流してしまって確認はできないが、あの嫌な感じの泥に何かあったのかもしれない。


 瘴気とは無縁のテネアルで生活していたので、すっかり存在を忘れていた。平和ボケしていたと言われても、反論できない。


「汚いとは、この瘴気の事ですか?」

「あら、気付いてなかったのね。私達は、ただ『汚れ』と呼んでるのよ。だって、汚いじゃない」


 瘴気は心身の不調を引き起こし、病気の原因になる。また、場の魔素も乱すため、状況によっては災害の原因にもなりうるものだ。

 灰色なのでそこまで酷い瘴気ではないが、体に纏わり付いていて良いものではない。とはいえ、そこらで拾ってきた瘴気なら、光の魔術で浄化してしまえば済む。


「昨日のうちに浄化すれば良かったな」

「やっても無駄だ。浄化したところで、すぐに元に戻る」

「え……」


 サリカは、灰色のモヤの奥にあるタオルの塊を凝視した。


 人に瘴気が纏わりつく原因は、大きく分けて二つある。

 一つ目は、場に存在している瘴気に触れてしまう事だ。この場合、浄化すれば直ぐに消失するし、何もしなくても徐々に霧散して無くなっていくことが多い。

 二つ目は、その者の中に瘴気を生じさせる、もしくは引き寄せる「何か」が存在する場合だ。これは浄化のみでは解決にはならない。問題となる「何か」を見つけ出し、取り除く必要がある。


 ユリウスが無駄だと言ったのは、瘴気の原因が精霊の子供自身にあるからだろう。


「君、一体何があったんだい?」


 サリカがポツリと呟いた。

 瘴気の原因は、わりと厄介である。表面的に見える分かりやすいものの奥に、本当の原因がある場合がほとんどだ。その場合、分かりやすいものから取り除いて、最奥に辿り着くしかない。そして、辿り着いた時に、ようやく本当の原因が見えてくるのだ。


「お前、何か知ってるだろ」


 精霊の七色の頭を、ユリウスが指先で弾いた。パシッという鋭い音と共に、赤い小さな体がカップの縁でよろめく。


「痛いじゃないの!」

「精霊に瘴気が付くなんて、これまで聞いたことがねえ」

「私だって初めて見たわよ。『汚れ』はこの世界特有の物だし、この世界の精霊にも無縁の物だもの」

「お前なら精霊のガキ一人ぐらい探せるはずだ。それなのにわざわざ俺を頼って来たんだ。既に何か掴んでたんだろ、ああ?」

「嫌ねえ、そんなに睨まないでくれる?」

「知ってる事、全部吐きやがれ」


 素早く椅子から立ち上がったユリウスが、一瞬のうちに右手で精霊を捕まえ上下に激しく振り始めた。

 テッセオの酒場で、一度だけ容器を振ってお酒を作っているのを見たことがある。だが、今振り終わって出てくるのは、酒ではない。先程精霊が飲んだお茶である。


「師匠、それ以上振ると吐物でテーブルが汚れます」

「ちっ」


 舌打ちをしたユリウスは、テーブルの上に精霊を放り投げるとドサリと椅子に座った。見るからに機嫌が悪い。だが、ユリウスをここまで怒らせる事ができる精霊も、かなり大物だと思う。

 テーブルの上に転がってぐったりしていた精霊は、程なく起き上がってカップの縁に飛んで戻ると、カップのお茶をがぶ飲みしている。


「もう少し丁寧に扱って頂戴! だからこの姿でここに来るのは嫌なのよ」

「自業自得だろ」


 前回巨体で来たのは、防衛策だったらしい。とはいえ、あの大きさで来られるのは迷惑なので、今後も鳥姿で来てもらいたい。


「それで、何かご存知の事があるのですか?」


 サリカの言葉に、精霊が大きな溜息をついた。


「そのおチビちゃん、生まれた時からちょっと変わってたのよ。上手く言えないけど、なんか精霊ぽくないのよね」

「え、この子、精霊ではないんですか?」

「違うわよ。精霊界で生まれた精霊なのは確かなんだけど、魂が精霊ぽくないの」


 サリカは精霊と一緒に首を傾げた。そもそも精霊ぽい魂というのが分からない。ユリウスに目を向けると、眉間にシワを寄せて精霊を睨みつけていた。


「どういう事だ?」

「うーん。断言することはできないけど、何となくあんた達に似てるのよねえ」

「人間の魂に似ているということか。なら、生まれる所を間違えたってことか?」

「それはないわね。間違えたなら生まれてきてないもの。それはあんた達も同じでしょ?」

「まあな」


 フォシアル教では、魂は不滅とされている。流転しながら、時・所を己で選び生まれ、そして去って行くと。

 死んで終わりではない。善行も悪行も、徳も罪も全て刻まれ続けていくのだと教えられる。


 では魂とは何なのか、生きるとは何なのか。


 神官としてそれなりに修行はしてきたものの、全てが分かったとは言い難い。分かったと思った事でも、単なる思い込みかもしれないし、気付かぬ所で既に知っている事もあるのかもしれない。

 そもそも、テネアルという世界が実際に存在しているのを知ったのも最近なのだ。


 サリカは感覚を元に戻すと、タオルの中に手を入れて小さな体を直に撫でた。温かな感触は、この子がこの世界にちゃんと存在しているのだと訴えているかのようだった。


「人間ぽい魂の精霊だと、生きる上で問題が出てくる可能性はあるのでしょうか?」

「分からないわね。でも、おチビちゃんにとって必要で意味のある大事な事だから、その状態で生まれて来たというのは分かるわ。そこに問題を生じさせるかどうかは、おチビちゃん次第じゃない?」

「確かに……」


 精霊は生まれた時から己の全てを知っており、世界の理にも詳しいと伝えられている。声音や話し方、見た目によって色々混乱するが、話す内容や行動は、さすが高位の精霊である。


「ただねえ、その人間くさい所に汚れが絡みついてる感じなのよ。えーと、何だったかしら……。そうそう、呪いみたいな感じなのよね、それ」

「呪いですか……」


 確かに呪いは瘴気の塊ともいえる。だが、どんなものかが分かれば解呪は可能なはずだ。


「どんな呪いなのか分かりますか?」

「それが、なんか変な感じなのよねえ。害になるものだけじゃないというか。力で無理矢理引っ剥がす事もできなくはないけど、下手すると変な感じに残っちゃいそうなのよ。その方が後々厄介な事になりそうだから、一番良い方法は、おチビちゃんが自分の力で中から抜け出すことね」

「そうですか………」

「まあ、命には別状ないみたいだから、それほど深刻になる必要はないでしょ。その子が成長すれば自然に外れてくるかもしれないし、気長に待った方がいいわよ」

「分かりました」


 取り敢えず、大きな問題になる事はなさそうである。漏れ出た瘴気は、その都度浄化していけば大丈夫だろう。


 昨日出会ったばかりで、お互いまだ何も知らない精霊の子供だ。だが、関わった以上は先の事は気になるし、幸せに過ごして欲しいと思う。


 緊張がほぐれた様子の温かな体に、サリカの顔に自然と柔らかな笑みが浮かんだ。



 

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