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界壁の修復士  作者: 瑪栗 由記
第二章 新たな地
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既視感

 転移魔法陣で家に帰って来たサリカは、精霊の子供を抱えたまま風呂の準備をした。


 弱っているなら、風呂は体力が回復してからの方が良いのかもしれない。だが、どうにも泥まみれなのが気になる。汚れているのが嫌というより、泥自体に嫌な感じが漂っているのだ。


 浄化で泥を消す事も考えたが、テネアル産まれの精霊の子供だ。魔素を用いる魔術を使ってよいのか、判断に困る。


 残る手段は、普通に風呂に入れて汚れを落とすこと。以前、鳥は温かいお湯に入れない方が良いと聞いた気もするが、鳥っぽい嘴はあっても一応精霊だ。何の根拠も無いが、大丈夫だと信じることにする。


 倉庫からバケツを持ってきてお湯を入れると、テネアルの入浴剤を一滴垂らす。霊素を体に取り込みやすくする効果がある入浴剤で、疲れた時に使うようにと、以前アネルマからもらった物だ。

 精霊が何を摂取するのか不明だが、テネアルで生まれたなら、おそらく霊素は必須だろう。


「お風呂入って綺麗にしようか」


 声を掛けると、泥団子にしか見えない丸い体がふるりと動く。嫌がっているのではなく、返事をしているかのような感じだ。まあ、勝手な思い込みかもしれないが、文句があるなら、サリカに迷子探しを依頼した、あのド派手な精霊にぶつけてもらいたい。


「大丈夫だから、暴れないでねえ」


 声を掛けながら、人肌程度のお湯にゆっくりと入れる。顔らしき場所をお湯に浸けないようにしながら、ゴワゴワとした表面をそっと撫でると、瞬く間にお湯が茶色く濁った。


(うわ、凄いことになってるな)


 濁ったお湯の中で軽く体を擦ると、土の塊がボロボロと剥がれてくるのが分かる。泥が本体かと思うくらい、泥が落ちる度に体が小さくなっていく。

 何度もお湯を取り替え、お湯が汚れないようになった時、精霊の子供の大きさは、泥団子だった時の半分くらいになっていた。


「君、そんな姿だったんだねえ」


 サリカが苦笑しながら言うと、真新しいタオルの中から真っ黒な頭が飛び出した。


 小首を傾げて、真っ青な目がサリカをじっと見つめてくる。指先で頭を撫でると、満足そうに目を閉じた後、タオルの中からモゴモゴ出てきた。

 二つの翼と、鈎爪の付いた二本の足。見た目は丸っこい小鳥である。


「かわいいねえ。でも、その中に入ってなくて大丈夫?」


 サリカが両手で包み込むようにして持ち上げると、精霊の子供はピッと小さく鳴いた。曲がった黄色い嘴の付いた頭を動かし、何かを確認するかのように周囲を見ていたが、そのうち満足気に目を閉じ、手の中で寝始めてしまった。


 ほんのりと入浴剤の香りが漂う体は、漆黒の闇のような色だ。まだ少し湿っている翼の先と尾羽根の先は、瞳と同じ青色をしている。おそらく完全に乾いたら、もっと鮮やかな青になるだろう。

 間近でよく見ると、翼と尾羽根以外はふわふわとした毛だった。触り心地は、子猫の毛のような感じである。


 嘴の形や体の色など所々違いはあるものの、何となくアネルマに作ってもらった小鳥の置物と似ている気がする。


(こんなに人懐っこいのに、なんで精霊界から逃げ出したんだろうねえ)


 テネアルと重なるようにして存在する精霊界は、精霊のみが暮らす場所だそうだ。精霊たちは、精霊界の大地から自然と生まれてくるが、例外としてテッセオで魔獣から精霊へと変化する場合もあるらしい。


 気にならないといったら嘘になるが、サリカにはテネアルの事すら分からないのだ。精霊界の事情は、精霊達にお任せしたい。


 手の中で眠ってしまったようなので、サリカは再び精霊の子供をタオルに戻すと、寝床を作るべく再び倉庫へ向かった。


 住んでいるのがサリカとユリウスだ。倉庫の中であっても、あまり物は置かれていない。だが、使っていない手頃な大きさの籠を見つけたので、タオルごと入れて寝床にしてみた。

 ついでに、タオルの隙間に霊石を入れておく。術を掛けられて色は変わってるが、一応霊素の塊だ。効果があるか不明だが、何も無いよりは良いだろう。

 石の光は弱まっているので、眩しくて寝れないということも無いはずだ。


 ようやく一息ついて窓の外を見ると、既に日が暮れ始めている。


(疲れた……)


 無事に精霊の子供を発見できた安堵からか、今までの疲れがどっと押し寄せてきた感じがする。体も怠いが、何となく目の前が霞んでいる。


 鞄から昼に食べ損なった弁当を取り出すと、温かいお茶を飲みつつ、ホテ包みを口に放り込んだ。一口食べて、ようやく自分が空腹だったことに気づく。

 テーブルの上の籠を眺めながら、弁当の中身光は弱まっているので、眩しくて寝れないということも無いはずだ。

 全て食べ終わった頃には、幾分怠さは残っているものの、霞んでいた視界は元に戻っていた。


(さて、師匠に手紙でも書くか)


 不測の事態と精霊の子供を発見した際には、連絡をするようユリウスから言われていた。

 サリカは念話が使えないため、連絡手段は転送筒しかない。だが、ユリウスがテネアルに居た場合、筒は行き先不明でサリカの元に戻ってきてしまう。そうなったら、手間でも再び転送する事になる。


 今までは転送筒だけで事足りたが、大神官になった後はテネアルとテッセオを頻繁に行き来することになる。念話ができないと、後々面倒な事になりそうだ。

 近いうちに念話のやり方をユリウスに習おうと決心し、サリカは報告書のような手紙を書き上げると、筒に入れてユリウスへと送った。


 テーブルの上に置いた籠を覗き込むと、タオルの中から少しだけ黒い体が見える。非常に静かだが、呼吸の様子から見て、おそらく眠っているだけだろう。


 泥団子化していたものの、泥を落とすと思いの外元気だった。とはいえ何があるか分からないので、しばらくの間は注意が必要だろう。

 目の届く場所で様子を見るとなると、この子を二階の自分の部屋に連れていくか、自分が一階の食堂で寝るかのどちらかとなる。


(ここで寝るか)


 何かあった時に、対応しやすいのは一階である。食堂のテーブルに伏せて寝ることになるが、先日の野宿を考えれば何の事はない。


 サリカは二階に上がって急いで着替えると、枕と毛布を持って食堂に戻って来た。籠の傍に枕を置いて室内灯の明かりを弱くすると、口から欠伸が出る。


「おやすみー」


 籠に向かって声をかけ、毛布を被って枕の上に突っ伏した次の瞬間、サリカは夢の国へと旅立っていた。




 ********




 何処からか、甘い香りが漂ってきた。微かに小鳥の鳴き声も聞こえてくる。


(あれ、今日は学校に行く日だったっけ?)


 アネルマの学校は、子供達の様子やサリカの勉強の進み具合いで登校日が決まる。遅刻しても、登校日を間違えても怒られる事がないが、子供達の手前少々決まりが悪い。


 どうやら机で寝てしまったようで、疲れが抜けていない気がする。だが、目を閉じていても周囲が明るくなっているのが分かるので、そろそろ起きた方がいいだろう。


 大きく伸びをしながら頭を起こすと、案の定体のあちこちが痛い。


「やっと起きたか」

「ピッ」


 すぐ傍からユリウスの声がし、サリカは反射的に目を見開いて姿勢を正した。

 目の前には、湯気が上がるカップを手にしたユリウスが座っている。背後の窓から差し込む光を受けて、相変わらず無駄に輝いている。起きがけに見るには、目に刺激があり過ぎだ。


「師匠、いつの間に帰って来たんですか?」

「ついさっきな。で、そいつがピーピーうるせえから、メシ食わせてたんだよ」

「あ、そうだった!」


 寝ぼけていた頭がようやく覚醒し、サリカは昨日の出来事を思い出した。

 慌てて視線をユリウスからテーブルに移すと、皮を剥いて小さく切られた果物が山積みとなった皿が、テーブルの真ん中に置かれている。


「ピッ」


 小さな鳴き声と共に果物が一つ転がり、その後ろから黒い塊が出てきた。澄んだ青い目がサリカをじっと見つめている。


「良かった。昨日より元気になったみたいだねえ」

「ピピッ」


 返事をした精霊の子供は、再び果物の中に頭を突っ込んだ。空腹だったのだろう。周囲を気にする事無く、物凄い勢いで食べている。


「やっぱりお腹が空いてたか。風呂入れたら寝ちゃったからそのままにしてたんですが、無理にでも何か食べさせた方が良かったんですかねえ」 

「今元気なら問題ねーだろ」


 ユリウスはそう言うと、テーブルの上に置いた物をサリカに向かって滑らせてきた。

 テーブルの上に置いたままの枕に当たって止まったのは、サリカが作った羽の形の霊石だ。ただ前と異なるのは、青い色が抜けた事だ。寝ている間に、創った時の霊石の状態に戻ったようだ。


「あ、元に戻ってる」

「役目が終わったからな。で、そいつが早く元気になったは、その石と一緒に寝てたってのもあるだろう」

「ピッ」


 精霊の子供が、皿の上からサリカに向かって歩いてきた。鉤爪がテーブルに当たるので、歩くと小さな足音がする。

 テケテケと歩きながら枕の前までやってくると、テーブルに転がっている霊石に乗って丸くなってしまった。


「これ、気に入ったのか……」

「まあ、霊素の塊だからな。くっついてると気持ちいいんだろうよ」


 精霊の子供は体を動かし、嘴や羽を枕に擦り付けている。どうやら、果汁まみれの体を拭っているようだ。霊石を気に入ったのは構わないのだが、サリカの枕で汚れを落とすのは止めてほしい。


「君ねえ……。これ君にあげるから、そっちで食事の続きでもしなさいな」


 サリカは霊石と一緒に精霊の子供を持ち上げると、果物が載った皿の前にそっと下ろした。あれだけの勢いで食べていたのだ。まだ、満腹にはなっていないはずだ。

 精霊の子供はしばらく果物と霊石を見比べた後、再び果物の山の中に突進していった。元気を取り戻してくれたのはいいが、食べ終わったら再び体を綺麗にせねばなるまい。


 幼い子供が可愛いのは、人も動物も精霊も変わらない。飽きずにずっと見ていられる自信はあるが、早めに精霊界に戻った方が、この子にとっては良いだろう。


「一応ご依頼は達成しましたけど、いつお迎えはくるんでしょうか?」

「さあな。だが、霊石の術が無くなってるからな。それに気が付きゃ来るだろ」


 来た時も帰った時も突然だった。おそらく次来る時も突然だろう。


(今度は巨人姿でないといいけど……)


 天井につっかえていた巨体を思い出し溜息を漏らしたサリカの耳に、玄関扉を叩く音が聞こえてきた。

 カンカンカンカンと連続で叩かれる音は、大きな音ではないが非常に耳障りである。


「何事よ……」


 来客だとは思うが、こんな無人島に一体だれがくるというのだろう。首を傾げつつ椅子から立ち上がりかけたサリカを、片手でユリウスが制した。


「俺が行く。お前はここで、そのチビ見てろ」

「分かりました」


 中腰のままユリウスの後ろ姿を見送り、視線をテーブルに戻すと、皿の上の黒い塊が果物に頭を突っ込んだまま固まっていた。警戒して隠れているつもりだろうが、青い尾羽根の生えたお尻はまる見えだ。


「心配しなくても大丈夫だよ」


 安心させるよう優しく声を掛けた直後、玄関から「ギャー」という叫び声と、何かが壁にぶつかるような音が響いてくる。玄関で何をしているかは分からないが、大きな物音のせいで、怯えた精霊の子供が寝床のタオルに潜ってしまった。せっかくのサリカの心遣いが台無しである。


「師匠、大丈夫ですか?」

「問題ない」


 一糸乱れず食堂に戻ってきたユリウスに一応確認してみるが、予想通りの答えが返ってくる。問題なく対処できたということだろうが、結構な物音がしたのだ。何があったのかは気になるところだ。


「一体何があったん、あ……」


 眉間に皺を寄せて歩いてくるユリウスの右手に、真っ赤な塊が握られているのが見える。かなりの力で握り締めているようだが、潰れないのだろうか。


(この光景、昔も見たことあるわ)


 子供の頃に森の中で見た時は、薪にするための木の枝で叩き落としていたが、今日はどうしたのだろうか。

 サリカは苦笑しながら、来訪者にお茶を入れるべく椅子から立ち上がった。



 

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